旅行・地域

高槻市農林業祭

171112_1この週末は、高槻市農林業祭を訪れた。朝食に近所のパン屋まで一家で出かけたその足で、嶋上郡衙(しまがみぐんが)跡の会場へ向かう。今年で第44回にもなるイベントだが、長年の高槻市民にもかかわらず今頃になって初めての訪問。舞台ではバンドの演奏が披露されていた。

171112_2会場内には各地にテントが並び、野菜などの地元の農産品、木工工芸品などの販売のほか、飲食物の模擬店もあった。想像以上の賑わいである。どうやら、朝の開始直後に買いに行くのが正解だったようだ。時間がたつほど売り切れの品・店が増えていく。

171112_3舞台では地元小学生の和太鼓も演じられた。保護者と思しき観客が一段と増える。まだ11ヶ月の次男坊も案外ちゃんと見ていた。

171112_4餅つきも行われて、長男坊が参加。てっきり餅がもらえると思ったら、もらえたのはポン菓子。それ、さっき買ったばかりだったんだが。

171112_5予想外に長時間を過ごし、その帰り道で疲れ果てた長男は、自転車に乗ったまま寝てしまったとさ。

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frun近江富士合宿(2)

171009_1frun合宿2日目。この日は、いよいよ近江富士こと三上山に走って登る。泊まった宿の敷地内にも既に山頂へ続く遊歩道があった。

171009_2天狗岩と名付けられた岩。まあ見た目どおりだわな。

ちなみにこの山は「富士」と呼ばれているが、富士山のような火山ではない。参考にしたサイトの記載によれば、元は海の底にあった堆積岩が隆起し、熱変性を受けて硬くなった岩の塊であり、硬いがゆえに周りの地面が浸食されて無くなったがここだけが残った、ということのようだ。地理的には残丘とでも言うのだろう。

171009_3というわけで、山頂に近づくにつれ、足もとは岩だらけとなり、急な登りが続く。「割岩」という巨大な岩が2つに割れている個所もあったが、上の方から見たらよくわからなかった。この先も岩をよじ登るような険しい登山ルートだ。

171009_4山頂に到着。標高は432mと大して高くはない。また山頂付近そのものは見晴らしがない。

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山頂からやや降りたところにある展望台の方が見晴らしがある。琵琶湖岸、野洲付近の平野が一望できる。

この日のランイベントはこの登山のみで終了。下山後、野洲駅で昼ごろに解散。新快速で缶ビールは飲んだが、打ち上げの飲み会もなし。ずいぶん大人しくなったものだ。

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frun近江富士合宿(1)

171008_01かつて10月初旬はfrunのおこしやすマラソンが開催されていたが、昨年で終了した。というわけでそのメモリアルとして、合宿のイベントが企画された。というか、草創期のfrunではそうした合宿をしていたらしい。今回の舞台は滋賀県野洲市の近江富士(三上山)麓にある近江富士花緑公園。その前座のマラニックは、草津がスタート。天井川となっている旧草津川(現在は流路付け替えで水は流れておらず、おしゃれなカフェなどが立ち並ぶ)の脇で、東海道と中山道が分かれるところから、中山道沿いに野洲方面へ向かって走る。

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草津宿本陣。中の見学もできるが有料なのでパス。

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やや進んで大宝神社。土俵があって相撲の行司も近日にあるらしい。お宮参りの家族連れの姿複数。

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大宝神社の境内に、松尾芭蕉の句碑がある。このあたりは綣(へそ)という地名で、「へそむらの まだ麦青し 春のくれ」という句が残されている。

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十王寺というお寺。通称「焔魔堂」。人が死んだら地獄で閻魔大王の裁きを受ける、というのが仏教での通俗的な設定だが、実は10人(そこは「人」じゃなくて「王」か)の裁きを受けるのだそうだ。閻魔大王はそのうちのひとりに過ぎない。

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これがその十王の一覧。初七日、四十九日の法要は聞き覚えがあるが、実は1週間ごとに裁きがあるのだそうだ。追善法要は、その裁きの場において、この人は生前こんなにいい人だったのですよと弁護する活動なんだってさ。

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今宿一里塚。かつては街道沿いに一里ごとに目印となる塚が置かれていたそうだが、この付近の中山道で残っているのは唯一ここだけらしい。

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土橋。旧栗太郡と旧野洲郡の境を流れる吉川に架かる橋。今でこそ数メートルの長さしかないが、かつては川幅(というか河川敷)が広かったので数十メートルの長さがある橋だったとのこと。

171008_09土橋を越えると守山宿のゾーンに入る。程なく東門院というお寺がある。東門というのは、比叡山から見て東にある門、だそうだ。東門院守山寺、という名前で、守山という地名もこの寺が発祥らしい。山を守る、ってのは、つまり比叡山を護るということか。

守山宿の中心部にある中山道街道文化交流館に立ち寄ると、ちょっとした展示物があったり、トイレ休憩も可能。管理人のオッチャンが走ってきた我々に対して興味津津だった。また、すぐ近くには宇野宗佑元首相の実家の町家を改修した、うの家というレストラン併設の施設もあった。ガイド役の若者が、近くの勝部神社で行われる「勝部の火まつり」も紹介してくれたが、これは冬に行われる奇祭。いずれも写真を撮り損ねたのでリンクにて手抜き御免候。

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野洲川を越えて野洲市に入る。向こうの方に近江富士が見えてきた。手前には東海道線の鉄橋。しかしよく考えると、草津から先のJR東海道線は中山道沿いに走っているので、東海道線と呼ぶのはちょっと変なんだな。真の東海道沿いの線路は、今では草津線及び関西本線となっている。

171008_11橋を渡ってすぐのところに、十輪院というお寺がある。無人のようだ。柵がしてあるが空いているので敷地内へ入ると、ここにも芭蕉の句碑がある。「野洲川や 身は安からぬ さらしうす」という俳句。野洲晒(さらし)という織物を川に晒す様子を詠んだそうだ。残念なことに案内板が折れて倒れていた。

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野洲の市街地に入ってきた。すると「背比べ地蔵」が鎮座していた。右側の小さい地蔵の方がそれ。その昔は産まれた子供が育つ際に病気などで命を落とすこともかなりあったが、この背比べ地蔵と同じぐらいの背丈まで育てばほぼ大丈夫だろう、という目安とされた大きさの地蔵なのだそうだ。かつては人口ピラミッドがその名のとおりピラミッドの形をしており、しかもその裾野がなだらかだったのだなあ、と思い知らされるエピソードである。

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いよいよ近江富士に近づいてきて、市街地を離れて山あいに突入。福林寺跡の磨崖仏が忽然と現れる。なお、仏像の周りが噛みついたような溝で囲われているのは、かつてこれを盗掘しようとして掘られた途中で止まった状態のものだそうだ。

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小さな石仏も並んでいる。

171008_15これらの石仏は何でここにあるのかはよくわかっていないそうだ。ただ、こうして囲うように並んでいる部分は、墓標のように見えなくもない。

171008_16また別の山肌にある妙光寺山磨崖仏も訪れた。これは巨大な岩の高いところに掘られたかなり大きなものである。

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磨崖仏を離れて、一路本日のマラニックの終着点、近江富士花緑公園へ。途中には、希望が丘文化公園のゲートもあって、10年ほど前まではここを会場にして視覚障害者駅伝をやっていたなあと懐かしむ。同駅伝の会場はその後各地を転々として、現在は長居公園となっている。

さて近江富士花緑公園のふるさと館に宿泊することとし、夕食はBBQ。その後も部屋で夜を明かしての宴会かなあ、と覚悟したが、何と皆々次々に布団で眠りに落ちていく。私を含め最後まで残った4人も、22時半にはお開きに。frunも高齢化が進んでいるわけだなと実感した。

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関東遠征(グルメ編)

170802_g1関東出張時の食関係をこの項にまとめ。まずは初日夜の宴会から。「ホッピー」は最近でこそ関西でも入手できるようになってきたが、まだまだマイナーだ。というわけで関東に来るとホッピーが飲みたくなる。

一般的にホッピーを頼むと、焼酎少々に氷の入ったジョッキと、ホッピーの瓶が渡される。これがいわゆるホッピーセットというやつで、焼酎のジョッキにホッピーを流し込んで割って飲む。ホッピーを注ぐ量で濃さを調整。ホッピー投入を少なめにして残し、ジョッキを飲み干したら、焼酎入りのジョッキのみをおかわりする。これが俗に言う「中だけのおかわり」。逆に、ホッピーが足りなくなって瓶の方だけをおかわりするのを「外だけのおかわり」と言うそうだ。なお、ホッピーの瓶自体にはアルコールは入っていない。ビール味のする炭酸である。要するにホッピーは「ビール味の酎ハイ」だと私は認識している。

170802_g2居酒屋「車屋」の名物、沢蟹が出てきた。

170802_g3宴会がお開きとなって皆を見送った後、小腹が減ったので近くの刀削麺の店に入る。坦々刀削麺をいただいた。

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翌日の昼食。東京駅丸の内のオアゾという商業ビルにある「鮨 竹山」でお寿司をいただく。季節の握り、1260円也。生しらすも入っていた。混雑を避けて、12時より少し早めに来たけれどそれでも混んでいた。やはり東京は人多過ぎだ。

170803_g22日目の予定も無事こなして新幹線で帰る。車内で早めの晩ご飯として崎陽軒のシウマイ弁当をいただく。某SNSにもこの写真を載せたら、横浜で買ったら十字の紐がかけられていること(これは品川で買ったので紐がない)、醤油差しの陶製の瓶「ひょうちゃん」はシウマイのみを買った際には入っているがシウマイ弁当には入っていないことなど、いろいろなトリビアをコメントから得ることができた。ううむ、シウマイ一つでも奥が深い。

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関東遠征(鉄道編)

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先日の関東方面出張時に乗ったor見かけた鉄道関係をこの項にまとめる。まずは京都駅から新幹線に乗る。もはやよほどのことがない限りN700Aばかりになった。ただし当初からのAではなくN700の後期改造車がほとんど。今回もそうだった。

170802_t2新横浜駅で横浜線に乗り換え。

170802_t32年ぶりの乗車となる横浜線。さすがに馴染みはないのでE233系という型式までは見ただけではわからない。

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初日は相模原市内某所での仕事。それを終えたら再び横浜線に乗り、一路都心へ。町田駅で小田急小田原線に乗り換え。町田駅の利用は生涯初かも。

170802_t5快速急行に乗車。これまた全く馴染みがないが、おそらく2000形だろう。終点の新宿目指して、少なめの停車駅をかっ飛ばす。

先頭車両かぶりつきで見ていたのだが、川を越えたあたりから複々線になってまるで京阪のよう。下北沢駅ではなぜか地下に潜るが、また地上へ。そして新宿手前では複線に戻ってしまった。

その後は新宿駅で中央線に乗り換えて、この日の泊地である神田へ向かった。

170803_t1翌日。東京駅付近での午前の予定をこなした後、次の目的地である新橋へ。路線はいくつかあるがやはりここは東海道線を選択。ホームに来ると、スーパービュー踊り子が止まっていた。

170803_t2もちろん特急には乗らず、普通のE321系車両に乗る。そう言えば上野東京ラインの開通で東京駅も始発駅ではなくなってしまった。列車の行き先案内が、南行きならまだ馴染みがあるが、北行きの行き先が東北本線やら常磐線のはるか遠い駅なので土地勘がないと訳が分からない。

170803_t3新橋駅に到着。駅前はSL広場というだけあって、蒸気機関車のC11が鎮座していた。

帰路は品川駅経由で新幹線に乗る。豊橋ー三河安城間でドクターイエローとすれ違った。(予期していなかったので画像等はなし。)

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関東遠征(ラン・総括編)

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最近は東京方面出張といっても、ほとんど日帰りで、遊びを入れる余裕がないのだが、珍しくこの日は1泊2日の予定を取ることができた。鉄道編・グルメ編を別記事に譲ると、いきなり皇居からのスタート。初日の仕事を終え、泊地の神田に荷物を置いた後、久々に皇居を走ることができた。近年は超混んでいるといううわさを聞いていたが、この日は小雨で、時間帯も早めだったので、そんなに混んではいなかった。

気が付くことといえば、コース上にいくつも看板が立っていて、マナー向上を訴えていたり、反時計回りの一方通行を指示していた。昔はこんなのはなかったと思う。

170802_2タブレットを持って走り、ラン用アプリでコース等を記録させた結果がこれ。走行距離やマップ上のどこを走ったかがわかるようになっている。便利になったものだ。1周しかできなかったので、取り付け部分も含めて約7kmほどのランニング。

170802_3走った後はホテルの風呂に入って、frun関東の仲間と飲み会。自分が東京在住だった10年ほど前は、皇居練習会打ち上げは神田駅ガード下の「升亀」という店が定番だったのだが、その後閉店となってしまい、現在はこの「車屋」という居酒屋が定番となっているそうだ。もちろん自分は初めての訪問。こうして声をかけると飲みに付き合ってくれるラン仲間の全国ネットワークは、つくづく有り難いと感じる。

170803_1さて翌日。記事の日付とずれるがここにまとめる。この日最初の用務先は、東京駅八重洲口の近くのオフィスビル。某企業を訪問。

170803_2午後からの訪問には若干間が空いたので、新橋駅周辺で時間調整。新橋駅前にあるニュー新橋ビル、今まで中に入ったことがなかったので、入ってみた。昼過ぎだったが飲食店はまだ客も多い。「カレーは飲み物。」というどこかで聞いたことがあるフレーズが店名となっているカレー店に行列ができていた。

170803_3こちらは「みぼうじんカレー」という、これまたインパクトのあるある店名。同じく行列ができていた。

170803_4「交通ギャラリー」という鉄オタ御用達の店も発見。テレビで見たことがあるような気がする。

このほか、1階にはチケットショップ、2階にはマッサージ店、そのほか昔ながらのゲームセンターがあるかと思えば、ごく普通のクリニックもあり、主にサラリーマンをターゲットにしているであろう雑多な店々が混然と存在する、カオスな世界であった。

170803_5新橋駅前の広場では「ふくしまの酒」をPRするイベントが準備中だった。開始は夕方からだったので残念ながら参加はできず。

170803_6駅近くにある「烏森神社」を参拝。新橋駅の「烏森口」はこの神社から名を取ったのであろうが、今まで一度も訪れたことがなかったので、ちょうどいい機会となった。

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奈良柳生マラニック

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この日はラン仲間4人でマラニック。JR奈良駅に一旦集合した後、駅構内のコインロッカーに荷物を預け、関西本線笠置駅まで移動。加茂駅から先はキハ120系、ディーゼルのワンマンカー。ちょうど乗り換えたあたりからにわか雨が降り出した。

170723_2雨雲レーダー画面とにらめっこして、しばらくすれば小止みになると見切り、笠置駅で少し待機した後走り出した。今回のコースは、柳生街道という道を基本的に沿っていく。そしてこれがまた東海自然歩道にも位置づけられているのには驚いた。

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野を越え山越えのトレイルコースがひたすら続く。京都府笠置町は程なく終わり、県境を越えて奈良市内に入る。奈良市と言えども田舎の農村やトレイルの風景が繰り返される。

お昼時になって、柳生茶屋という店に到着。以前閉店したという情報があったので心配だったが、着いてみると開いていた。

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ここでお昼ご飯。ざるそばと、朴葉寿司(ほおばすし=柿の葉寿司の柿の葉の代わりに朴葉を使ったもの)のセットをいただいた。店の人の話を聞くと、店のオーナーが無くなられたので2015年に一旦閉店となったが、その後地元有志の力で2016年秋に復活したのだそうだ。今は土日だけ開いているとのこと。我々が笠置駅から走ってきたと聞いて驚かれた。

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既に「柳生の里」というエリアに入ってきている。剣豪・柳生十兵衛ゆかりの地である。木立の中に真っ二つに分かれた巨石があり、一刀石と呼ばれている。何でも、柳生新陰流の始祖、石舟斎宗厳が、天狗だと思い一刀のもとに切り捨てたら、天狗はかき消えて2つに割れた巨石が残ったのだとか。ルパン三世の石川五衛門かよ。いやあ、これ、単に節理で割れただけでしょ、と地学履修者は思うのであった。

170723_6マラニックはまだ続く。全くと言っていいほど走れていない最近の我が身にはだいぶこたえてきた。天気も曇りから時折日が射す空模様となり、暑い。ナンとか寺とかを経由していくのだが、土地勘がないのでどこをどう走っているのかよくわからない。そうこうするうちに、春日山の裏手までようやくたどり着く。鶯の滝があるので立ち寄った。滝壺まで間近に近寄ることができた。しばしのヒーリング。

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若草山山頂に到着。ゴールも見えてきた。若草山といってもここはその三重目、一番高いところだそうで、奈良市内観光で一般的に言われる若草山は一重目の一番低いところなのだとか。奈良市街を一望でき、そしてその手前では鹿がのんびりと草を食んでいた。

この後はひたすら山を下り、市街地を駆け抜けてJR奈良駅へ。30km弱のマラニックは無事完走できた。銭湯で汗を流した後、本当の目的であるビアホールへ。さらに2名加わり6名での飲み会。走った後のビールのうまいこと。調子よく飲みすぎて、帰りの大和路快速で乗り過ごした。

(不善亭日乗「ビアホールLSD」にトラックバック)

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伏見名水マラニック2017

170429_01今年も、恒例となった伏見名水マラニックに参加した。伏見稲荷大社お旅所に7名ほどのランナーが集結。舞台でお神楽が奉納され始めたから、ではなく、その後ろで近鉄特急しまかぜが走り抜けたからあわててカメラ(タブレット)を向けるも、タイミングが遅れて最後尾がかろうじて写ったのみ。

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伏見名水スタンプラリーの最初のポイント、藤森神社まで走る。ここでもう1名合流。

170429_03次のチェックポイント、清和荘にある清和の井。

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3つめのチェックポイント、城南宮。この日は曲水の宴が開かれていた。というか、4/29に開催すれば常に重なることになる。本殿は改修工事中だった。

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そしてこの後、昨年から開拓された新名所、鳥羽水環境保全センターにも立ち寄る。昨年の経験を生かし、事前にコンビニで昼食を買ってから赴く。前回は南の方に遠回りしてしまったので、北側からのアプローチを試みるも、どうも後から航跡をたどってみたところでは、ちょっと遠回りだったようだ。

どうやら国道1号線沿いに京都南インターをくぐるのは間違いで、城南宮北側の道をそのまま西進して鴨川を渡り、渡り終わったら千本通り沿いに北上、左側にある一方通行の細い道を西進して公園の南縁を通り、堤防に当たったら階段を上って歩行者専用の細い橋で西高瀬川を渡り、渡った先に下水処理場の歩行者用入り口がある、これが正解のルートのようだ。次回以降の参考のために書き残しておくことにする。

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たくさんの藤棚が続いていて、盛況だった。昨年と比べて若干開花は遅めのようで、まだ満開ちょっと手前の藤も見られた。机とベンチのあるスペースで買ってきた昼食をいただく。ちなみに、会場内での飲酒は禁止との掲示がされていたので念のため。

170429_07この日の天気予報では、大気の状態が不安定で昼過ぎからところにより雷雨、雹が降るかも、といわれていたが、果たしてそのとおりになりつつあった。一転にわかに掻き曇り、北の方から黒い雨雲が迫ってきて、冷たい強い風が吹き始めた。積乱雲が迫っている兆候だ。それでも、雨は降っても短時間、その間をしのげれば何とかなると見切ってラン続行。スタンプラリーのキンシ正宗、大黒寺を過ぎたあたりでパラパラと降りだした。その先、大手筋商店街がアーケードなのでそこに逃げ込んだ。すると、雨はそれほどの豪雨になることもなくすぐに去って行ったようで、ランを再開してキザクラカッパカントリーへ向かった。

170429_08敷地内にある黄桜(しかし黄色ではなかった)をバックに、黄桜の地ビール「蔵のかほり」をいただいた。

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月桂冠大倉記念館。ここの水はまだ一度も飲んだことがない。

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運河に浮かぶ十石舟。青空が戻ってきた。

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長建寺。お寺の住職がえらく饒舌だった。

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スタンプとは関係ないが寺田屋の前も通ってみる。さすがに観光客多し。ただし、この建物が建てられた年代からすると、坂本竜馬が実際に襲撃された際の建物が残っていることはあり得ない。刀の傷跡は、鰯の頭も信心から。

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最後のチェックポイント、御香宮神社に到着。今回のお猪口は、ここ御香宮の水である「御香水」がデザインされていた。

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最後におまけ。京都駅前までラン完走後に立ち寄った銭湯「日の出湯」。あとでよく見ると、寺田屋と似た造りの建物。というかむしろこちらの方が風情があった。

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みゃーく紀行(グルメ編)

170223_g1宮古島ツアーのグルメ編をこの項にまとめる。ずいぶん掲載が遅くなってしまった。

まずは2月23日に昼食で訪れたタコ料理の店「すむばり」のメニューから。これはすむばりそば。沖縄そばの中にスライスしたタコの唐揚げがどっさり。

170223_g2これはすみ汁の定食だったか。すみ汁というのはイカ墨で黒くなっただし汁の中にそばとタコが入っているもの。

170223_g3これはタコ丼。タコの唐揚げとキャベツなどの野菜が卵とじ炒めされた具材が丼に乗る。

170224_g2続いて日が変わって、2月24日の昼食。「丸吉食堂」という店がガイドにあったので寄ってみたら、14時前近くと時間が遅かったので「本日終了」の看板が。仕方ないので他を探すかと店の駐車場で調べていると、店の人がやってきて「入っていいですよ」と。いやあ、ありがたや。

170224_g3ソーキそばとてびちそばを注文。いずれも巨大な豚肉の塊が乗っかっていて食べごたえがあった。また、食後におまけで手作りの黒糖アイスキャンディーをいただいた。

170224_g4同24日、宮古島中心部をちまちまと見て回る際についでに立ち寄った、「モンテドール」という店。宮古島のバナナケーキというのも有名だそうで、それの本店がここ。いろいろ試食させてもらって、お土産に購入。簡易包装のバナナケーキは500円とお買い得。それは自宅用にした。

170225_g1さらに日が変わって2月25日、伊良部島の中心部にある天ぷらの店「なかゆくい商店」。すべて天ぷら1つ60円と驚異的なプライス。紅芋ぱんぴん、鶏肉、さかな、やさいをそれぞれ2個ずつ買って昼食代わりとした。

170225_g2こちらがその天ぷらたち。見えにくいが奥の方に紅芋ぱんぴんもある。

170225_g3伊良部島の漁港を通った際に、直売店があるので寄ってみた。ここでマグロの刺身をいただく。壁面に「パヤオ直送」と書いてあったので海外の地名かと思ったが、どうも違うらしい。

170225_g4これは宮古島ドン・キホーテ内の「マンゴーシックス」にて。メニュー名はもう忘れたが、ワッフルが何段にも積み重ねられ、バナナや生クリームなどが挟み込まれているケーキ。栗カボチャのアイスクリームとチョコケーキも周囲に置かれている。

170225_g52月25日、宮古島最後の晩餐となった店は、この日の日中に訪れたマルキヨ味噌で紹介してもらった、「満や」という居酒屋。マルキヨ味噌をふんだんに使ったメニューがあるそうだ。さらに、大将は以前宮古島から大阪に働きに出て、その後島に戻ってきてこの店を開いたのだとか。従って、メニューには串カツも入っている。さらに、大将の奥さんは大阪出身で、大将についていく形で宮古島に移り住むことになったそうだ。人生いろいろだね。

170225_g6いただいた品々の一部がこちら。ナーベラの味噌炒めや味噌和えのほか、魚のマース煮もうまかった。マース煮にするには新鮮な魚でないとだめだそうで、いつも出せるとは限らないそうだ。最初はオリオンビールで、次いで泡盛の水割りでいただく。相方は申し訳ないがハンドルキーパー。

170224_g1ホテルの朝食もよかったので書き留めておく。今回宿泊したのが「ホテルライジングサン宮古島」。比較的最近できたホテルのようで、内装などもきれい。朝食はいわゆるビュッフェ形式だが、特に和食コーナー側に置かれたメニューが、豆腐チャンプルーやグルクン唐揚げなど、沖縄料理のバラエティーに富んでいて毎朝楽しみでテンションが上がった。

また、ホテルの真向かいにイオンモールがあり、夕食から帰りがけに寄って買い込んで部屋で酒盛りするのにもうってつけだった。ただし、位置的に市街中心部からはやや離れたバイパス沿いに建てられたようで、夕食をどこかに食べにいくにはちょっと不便な点はデメリットだろう。

一方で、パックツアーの中身に夕食3回分も含まれており、指定された店に行ってクーポン券を渡す形でそこの料理を出してもらうのだが、残念ながらちょっとガッカリな内容だった。まあこういうところでコストダウンを図っているのであろう。

最後に、宮古島地方の方言で、宮古島のことを「みゃーくじま」、宮古島地方の方言自体を「みゃーくふつ」というのだそうだ。従って今回の紀行文では「みやこ」に相当する「みゃーく」をタイトルに使わせてもらった次第。ちなみに、関西人にとっては、「みやこじま」というと、大阪市都島区を思い浮かべるので、「沖縄の宮古島」といわないといけない、ということを旅行から帰ってきて認識したのであった。

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みゃーく紀行(総括編・3)

170225_01宮古島ツアー実質3日目(2月25日)と、ほとんど帰るだけの最終日(2月26日)のレポート。

まずは宮古島の北西あたりに位置する「マルキヨ味噌」を訪れた。ネットの情報を頼りに行ったら、とんでもない住宅街の中に迷い込んでしまった。やはり公式以外だとあてにならないこともあるので要注意だ。電話で場所を聞いてようやく到着。

ここでは、昔ながらの製法を受け継ぐ「宮古みそ」を製造しているとのこと。製造工程なども見学できるはずだったのだが、あいにくその前日にTVか何かの取材があって、それに合わせて作業日をずらしてしまい、この日は見られなくなってしまった。残念。前日にはお笑い芸人兼作家のピース又吉が来ていたそうだ。

170225_02製造の様子を見る代わりに、いろいろな味噌を試食させてもらった。豚肉を脂を混ぜ込んだ「あぶらみそ」はこれ一つで炒め物などの調味料になるそうだ。これと宮古みそをお土産に買った。

ちなみにここのご主人はマラソンも走られるようで、数々の完走メダルが飾られていた。当然にして宮古島ウルトラマラソンも走っているそうだ。

170225_03次は、伊良部大橋を渡って伊良部島へ向かう。ここは渡口の浜、という海岸だったと思うが、この日も相変わらず悪天候。

170225_04特にこれという目的地を定めていなかったので、適当に車を走らせる。ガイドブックに「帯岩」というスポットがあるそうなので寄ってみた。海岸近くに巨大な岩が鎮座しており、手前には鳥居。何でも、江戸時代の1771年に起きた八重山地震の津波(明和の大津波)で打ち上げられた岩なんだとか。津波の威力を思い知らされる。史跡に指定されているそうだ。

170225_06続いて「通り池」というスポットに寄ってみる。子供が2人とも寝入ってしまったので、駐車場に停めた車に寝かせたまま、親2人だけで見に行く。駐車場からはちょっと歩かねばならなかったので、急ぎ足。海岸近くに丸くて深い池が2つ並んでおり、底の方ではつながっているのだとのこと。ダイビングスポットとしても有名だそうだ。

170225_07下地島空港の端、ほんとに海岸きわきわの道を通って、佐和田の浜と魚垣を見渡せる場所に一時停車。ゴロゴロと<転がっている岩は、前述の八重山地震津波で運ばれてきたものだそうだ。そして、海の中に石垣のように積み上げているのは人工物の魚垣。潮の干満を利用して、干潮時には垣に取り残された魚を捕るのだそうだ。


佐和田の浜と下地島空港をぐるっと望む。

なお、下地島空港は、かつては航空会社のパイロット養成専用の空港であり、宮古島空港よりも長くて立派な滑走路を備えて、バンバンと離発着訓練を繰り返していたそうだが、今ではJAL・ANAとも離発着訓練からは撤退してしまい、うら寂しい限りの宝の持ち腐れに変質している。沖縄は基地問題で揺れており、ここを軍用に転換したらどうかと思いつきそうなものだが、当初この空港を作るのにあたっての地元民への約束が「絶対軍用にはしない」ということだったそうなので、それも難しい。

170225_08お昼ごはんの時間になったが、これという店も見つからなかったので、伊良部島の中心部にある天ぷらの店「なかゆくい商店」で買って食べることにした。これも詳しくは別項にて。

170225_09伊良部島の一番北寄りにある岬、白鳥崎に立ち寄る。ここでさっき買った天ぷらを食べる。一帯をぐるっと周るような遊歩道があったが、風が強くて小雨交じり、寒くてすぐに撤退となった。

170225_10さらに海岸沿いに車を進めると、「サバウツガー」という史跡があるようなので立ち寄った。平易に言えば「サバ沖井戸」という名称。かつて水道ができる前は、崖下にある階段を下りて行って井戸から水を汲んでいたそうだ。上からは急な階段のみ見えて、井戸そのものは見えない。子供を連れて急な階段を行くのはとても無理と判断して、入り口のみで撤退。

170225_11島の小高い丘の上にある牧山展望台までやってきた。駐車場からはちょっと歩かなければならない。2015年に開通したばかりの伊良部大橋を望むことができる。それにしても天気が悪いのが残念。

170225_12伊良部島を後にして、宮古島中心部に戻る。宮古島のドン・キホーテ内にある「マンゴーシックス」というマンゴーをふんだんに使うことが売りのカフェに寄った。これも詳しくは別項グルメ編にて。店内に流れているビデオが全部ハングルというあたりが、韓国系資本であることを表している。

170226_01飛んで翌日最終日(2月26日)。この日はもう朝から帰るだけなので、観光ネタはないのだが、最後に「宮古島まもるくん」を紹介しておく。宮古島島内のところどころに、白塗りの顔の警察官の人形が立っていて、交通安全を啓発している。どうやらまもるくんはその第一号で、他にもたくさん兄弟がいる、という設定だそうで、この時撮った彼はそのいずれかになるのだろうが、さすがに名前まではわからなかった。

お土産のクッキーにもなっていたので購入したが、外箱は面白いものの、個別のクッキーには人形の姿や交通安全標語がプリントされているだけで、これが宮古島のものである、ということが全然わからないのでご注意願いたい。

170226_02帰りの飛行機は宮古→那覇がJTAのB-737、那覇→伊丹がJALのB-777だった。

170226_03JALの機内でも、ANA同様wifiサービスを展開しており、JALでは期間限定でインターネット接続も無料だった。専用のアプリを入れなくても動画が見られるなど、本件サービスの出来具合はJALに軍配か。


そして大阪・伊丹空港へ舞い降りる(着陸時の動画…子供の泣き声が入っているが、これはうちの子ではない)。めっちゃ天気よくて悔しい。これは、もう一度(今度は晴れた時の)宮古島へ行くべしという神の思し召しだろうか。

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