旅行・地域

京都アクアリーナ

200211_12月某日、アイススケートをしに西京極のアクアリーナ京都へ向かった。だいぶ前からできている施設なのだが、プールも含め利用で中に入るのはこれが初めて。

200211_2前にスケートをしたのは学生時代だっただろうかというぐらいの久しぶりにスケート靴を履く。で、何でアイススケートかというと、長男が最近某スケート教室に通っているからである。

200211_3自分は全く滑れなくはないが、とてもじゃないが上手とは言えず、取り立てて楽しいわけでもないので、ひたすら次男のお守りを買って出て、ペンギンの親子のようにしてリンク内をウロチョロ。

スキーも含め滑り系スポーツは上手くならないこともあって避けていた、というかそこでマラソンに出会ってそっちに集中したんだよなということを改めて認識した。結局家族内でいちばん上手に滑れていたのは長男だった。スケート教室を見学している際は受講者の中でも下手っぴいに見えてたんだがなあ。

(本記事は、だいぶ後になってからの投稿のため、相当記憶が薄れており、そんなことがあった、という記録程度の内容となっているのでご了承願います)

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ちょっと昔の地球儀

ヨーロッパ朝、ジュニア達を保育所に送る際、次男はセッティングを親がしてやるが、年長組の長男には自分でやらせるので若干の待ち時間が生じる。この時、ふと部屋にあった地球儀を見ると、「ソビエト連邦」という表記が飛び込んできた。他にも東西ドイツが分裂したまま、逆に分裂前のユーゴスラビアやチェコスロバキアが健在などツッコミどころ満載で、いったいいつ頃のものか、というネタをSNSでアップし、友人等も巻き込んでちょっとした推理ごっこが展開された。この記事はそれらの最終まとめとして記録したものである。なお、この記事内での画像はクリックするとオリジナルの原寸大画像が表示される。

アフリカアフリカ編。ザイールはコンゴ民主共和国に改称(1997年)。なお、現在単に「コンゴ」と言ってしまうと、この「コンゴ民主共和国」か、お隣にある「コンゴ共和国」かの区別が付かないので、今後注意が必要である。イエメンが分裂したままだが1990年に統合。エリトリアが1991年エチオピアから独立も載らず。南スーダンの独立は2011年と結構最近の話だから当然ここには反映されていない。

アフリカ南部アフリカ大陸南部が見えにくかったので改めて撮影。ナミビアは1990年に独立、スワジランドは2018年にエスティワニに改称だがいずれもこの地図には反映されていない。

アジアアジア編。スリランカの首都がスリジャヤワルダナプラコッテに移転済み(1985年)なのが載っている。一方でミャンマーの首都がヤンゴンのまま(2006年ネーピードーに遷都)。ちなみに、ビルマ→ミャンマーへの改称は1989年以降だが既にここに載っている。当時の軍事独裁政権が強引に言い出した話なので国際社会はにわかには受け入れたがらなかったが、日本ではあっさり受け入れてしまったことを思い出した。香港が英国統治表記のままだが、1997年に中国に返還されている。

中南米南北アメリカ編、だが北米はUSAとカナダで動きようがないので割愛して中南米のみ。といっても近年の動きは少なく、直近でも1983年にクリストファー・ネイビスが独立したぐらいしかトピックスが見あたらず。

オセアニアオセアニア編。ミクロネシア連邦の独立が1990年だが、事実上1986年には既に独立とのことで、地球儀製作年の特定には微妙。一方でパラオは1994年に独立なので、ここではまだ米国信託統治領の表示。日付変更線も実は時代とともに変遷があるらしいが、今回の地球儀では決め手にはならず。

それで、結局この地球儀はいつごろのものか、制作時期の特定については、反映されている事象で最も新しいビルマ→ミャンマー改称(1989年)と、反映されていない事象で最も古い東西ドイツ統一(1990年)の間であろう、という結論になった。

(本記事は、実際は記された投稿日よりだいぶ後になってからの投稿のですのでご了承願います)

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香住釣りツアー

191022_01即位礼の日ということでこの年だけ特例的に祝日となった10月22日、早朝から車で兵庫県北部方面へ。市町村合併で今は香美町となっている、旧香住町の香住漁港へ釣りに行く。

191022_02実はここへ来るのはこれで2,3度目ぐらい。前に訪れた際のブログ記事掲載をサボっているだけ。

以前に来た際は小アジが入れ食い状態で、しこたま釣れたが、今回はボチボチ程度。岸壁からサビキを投げる釣り方である。ジュニア達は釣ることそのものよりも釣れた魚をいじくる方に関心があるようだ。

191022_03お昼ごはんは近くの「れんが亭」というレストランで、かに丼定食をいただいた。

191022_04釣りばかりではジュニア達も飽きてしまうので、近くの公園に連れて行って遊ぶ。海の間際にあり、そこから漁港の方面を見やる。

191022_05帰路途中、地元の銘酒「香住鶴」の直販店、福智屋に立ち寄り。土産に日本酒を購入。

191022_06さらに帰路を進めて、道の駅あゆの里矢田川に立ち寄り。この道の駅は、近年香住方面に高速道路が延伸されたことにより、一般道でないと通りがかれない立地が災いして客足が激減し、潰れる寸前まで追い込まれた。しかし、その逆境を比較的若い駅長(店長)が半ば自虐的にTwitterでアピールしたことで、ネット界隈でちょっと話題になり、息を吹き返しているという状況にある。その話題を知った時から一度は立ち寄りたいと思っていたので、ようやく念願がかなった。なお、当該道の駅の、かなりクセが強いTwitterアカウントはこちら(@tajimaayunosato)

191022_07土産に買って帰った品々。ちなみに、あゆの里矢田川では天然鮎が入手できなかったので鮎の甘露煮を買ったのだが、よく見たら愛知県豊川市製造だったというオチ。

(本記事は、だいぶ後になってからの投稿のため、相当記憶が薄れており、そんなことがあった、という記録程度の内容となっているのでご了承願います)

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大仏鉄道廃線跡マラニック

191013_0110月某日、ランニングフォーラム・FRUN有志のイベントで大仏鉄道廃線跡マラニックが行われた。かつては毎年この時期にFRUN主催で「おこしやすマラソン」を実施していたが、数年前に終了し、その名残というか代わりに何かやっているという次第。

近鉄奈良駅に集合した後、大きい荷物はコインロッカーに預けて、JR奈良駅から加茂駅まで電車で移動し、加茂駅からのスタート。実は加茂駅のホームの一部も、かつての大仏鉄道のホームだったそうだ。そして最初の画像は、加茂駅敷地内にある、レンガ造りのランプ小屋。

そもそも大仏鉄道とは、加茂駅から奈良市内方面へ、大仏への参拝客を運ぶ目的で1898(明治31)年に開業した路線だったが、途中かなりの急勾配を無理して通した線形が祟り、開業後わずか9年で廃止となった幻の鉄道だそうだ。現在では、さっき乗ってきた、やや遠回りだが平坦なところを結ぶJRの路線に取って変わられている。大仏鉄道の詳しい解説は他のページに委ねることとする。
191013_02鹿背山橋台。大仏鉄道跡にはもはや線路は残っていないが、このように橋などがあったところに、遺構が残っている。石垣のように石が積まれている。

191013_03梶ヶ谷隧道。レンガを積み上げて、鉄道の下を道や水路がくぐり抜けられるようにしている。

191013_04赤橋。廃線跡をそのまま走っているとこの姿は見られないので、いったん脇にそれて見物。

途中のコンビニで昼食休憩をはさみつつ、マラニックは続く。

191013_05大仏鉄道を作った、関西鉄道株式会社(「かんさい」ではなく「かんせい」読むそうだ)のロゴマークがレンガで表されている。当時は国有ではなく私鉄だった。

191013_06奈良市街に入ってくると、住宅地が広がっており、もはやかつての路線跡を正確にはトレースできない。その住宅地の中にポツンと公園があり、これが大仏鉄道終点の大仏駅跡地。本当はもっと大仏殿の近くまで引く予定が、用地確保できずに、仮設的にここに駅を置いたそうだ。というわけでここから大仏まではまだだいぶ離れている。

191013_07大仏殿まで到着。中には入らず。たくさんの観光客、とりわけインバウンドの外国人客で賑わっている。

この後はひとっ風呂浴びてから飲み会。二次会では日本酒がいっぱい選べる店もあり、したたかに酔った。

今回のマラニックをReliveというアプリでトレースしていたので、その動画も貼り付けておく。


(本記事は、だいぶ後になってからの投稿のため、相当記憶が薄れており、そんなことがあった、という記録程度の内容となっているのでご了承願います)

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みやまい紀行

190830_018月末、夏の家族旅行第二弾で京都府北部方面へ車を走らせる。金曜日にそちら方面の出張予定があり、仕事が終わってから別働隊の家族と合流の予定だったが、出張予定のイベントが中止になったために最初からの参加となった。

まず向かったのは綾部市天文館パオ。以前からその存在は知っていたが、今回ようやく初めて訪れることができた。

190830_02シンボルでもあるドームの中には95cmの天体望遠鏡が鎮座しており、見学させてもらえた。昼間でしかも曇天時折雨という天候だったので、星を観ることはできず。

190830_03館内にある展示物を見て回る。こぢんまりとしており全体的に古め。というか置かれていたパソコンがPC98シリーズなのにはビックリ。更新する予算も付かないのだろうなあ。天文系の展示や資料以外にも、手作りおもちゃなどがあり、子供らはそちらの方に関心を寄せる。また、屋外には結構長いローラー滑り台もあって、そこでひとしきり遊んだ。

その後は宮津方面へ向かい、晩御飯は富田屋に寄りたかったのだが、あいにく満員。仕方なく泊地のホテルまで行ってホテルの居酒屋で晩御飯とした。

190831_01今回泊まったのは、ホテル&リゾーツ 京都 宮津。元々は「宮津ロイヤルホテル」という名前だったが、経営主体である大和リゾートのブランディングリニューアルにより改称となっている。高層階からだと、栗田湾を挟んで天橋立を見ることができる。

このホテルにも温泉があるので一応リポート。大浴場の一般的な設備の中の一部に温泉の浴槽がある。露天風呂も温泉水。サウナ・水風呂はもちろんある。由良の浜から汲み上げた「宮津の湯らゆら温泉」が使われているようで、とすれば泉質はナトリウム-塩化物強塩冷鉱泉であろう。無色透明塩味無臭だった。

★★★☆☆ 温泉については可もなく不可もなくといったところ。

なお、このホテルでは「小さなお子様のいるご家族に優しいホテル」もコンセプトに掲げているようで、今回利用した宿泊プランも、和室で何名泊まっても全部で一室1万円(素泊まり)というものだった。
190831_02チェックアウト後には、ホテル内に併設されているプールを利用。宿泊客は割引価格となる。

当初の天気予報は曇時々雨だったが、予想外に良い方向へ外れて、プール日和となった。既に夏休みは終わっている日程のため、客は少なく、というか最初は貸切状態だったが、その後次第にうちと同じような子連れも含め他の客もちらほら現れた。ガラ空きのプールでプチリゾート気分を満喫。

190831_03昼ご飯は、前日の晩御飯断念していた宮津駅前の富田屋に再度挑戦、今度は入れたので、うなぎ定食をいただく。それにしてもここはいつも混雑している。

190831_04しばらく車を走らせると、宮津の地酒の看板を見つけたので立ち寄った。ハクレイ酒造、漢字では「白嶺」と書く。

190831_05地酒の試飲もさせてもらえた。ハンドルキーパーは申し訳ないが相方に委ねて、私だけいただく。お土産に1本と酒粕もいただいた。

190831_06さらに進んで舞鶴市に入り、「エル・マールまいづる」という施設を訪れた。ここは関西電力のPR施設で、元々は船だったものを改造してミュージアムにしている。

原発マネーで作られた施設だから、さぞや原発ゴリ推しの展示内容かと思ったが、意外とそうでもなく、メインのプラネタリウムのシアターと、船に関する展示、舞鶴の歴史等に関する展示、そしてエネルギーに関する展示と抑揚が取れていた。(まあ、原発礼賛の基本スタンスは変わらないのだが)

190831_07そしてプラネタリウム上映の時間が回ってきたので鑑賞。今度は義母が気を使ってくれて次男坊を連れて外で待機してもらえたので、グズられて退場という心配もなし。富士山の四季と星空のコラボの美しい映像を鑑賞できた。

(本記事は、だいぶ後になってからの投稿のため、相当記憶が薄れており、そんなことがあった、という記録程度の内容となっているのでご了承願います)

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ほくりく紀行(後編)

前編からの続き)
190715_01翌朝。朝食前に、宿の近くを散歩。名勝「窓岩」を改めて眺める。岩の真ん中に穴(窓)が開いている。年間のごくわずかの期間に、ちょうどこの穴のところを通る夕日、あるいは月を観ることができるそうだ。

190715_02さらにもう少し歩いたところに、「せっぷんトンネル」なるスポットもあった。かつて映画のロケでここで撮られたキスシーンがあったのでそう呼ばれるようになったとのこと。トンネルの中に、見る角度によってはハート型に見えるイルミネーションが施されているが、それが写るように明暗調整すると、トンネル手前の地面が白飛びしてしまう。

で、なぜこのようなトンネルがあるのかというと、ずっと昔は、この海岸を行き来するには、波打ち際の岩場を通るしかなく、遭難事故が絶えなかったそうで、そこを通らなくていいように手彫りでトンネルを作ったのがこれなのだそうだ。今でこそ片側1車線の道路が整備されているが、昔は移動するのも命懸けだった。

190715_03宿を後にしてしばらく車で進むと、「輪島塩」という看板が目に付いたので立ち寄る。その名のとおり、昔ながらの製法で塩を作っている。見学や体験もできる。

海水から塩を作る場合、海水をいきなり煮詰めるとたくさんの薪が必要になってしまうので、まずは砂に撒いて天日干しをして、濃い塩分を含む砂をさらに海水で溶かして、十分に塩分濃度を高めてから煮詰めるのだそうだ。

砂に海水を撒く体験もさせてもらったが、スプリンクラーのように広く薄く飛ばすのは非常に難しく、また装備も重くて重労働だった。なお、かつてなぜそこまでして塩を作ったかというと、能登の地では地形上の制約から米作りが困難なことが多く、米で納める年貢の代わりに塩で納めたのだとか。ここで作られた、結晶の大きなお塩をお土産で購入。

それにしても、今の技術ならば、塩分濃度を上げるためなら、砂に撒くのではなく半透膜を使うのだろうけど、それだと味気ないのだろうか(塩だけに)。

190715_04さらにしばらく車で行くと、千枚田というスポットがあったので見物。「白米千枚田」は要するに棚田のこと。平坦な土地の少ない能登で何とか米作のためにと造作された見事な棚田だ。

さっきの塩といい、米作りが大変な能登の土地柄を感じた。

190715_05今度は世界一長いベンチがあるとのことで、サンセットヒルイン増穂の道の駅に立ち寄った。ここも夕日の名所なのだそうだ。端から端までは確かめなかったが、記されているところによれは全長460m。

190715_06旅行二日目のメインの目的地、石川県羽咋市にある「コスモアイル羽咋」に到着。元天文部としては期待するところ大。屋外にはロケットのレプリカが立ちはだかっていた。

190715_07展示物を見て驚くのは、「本物」も中にはあること。画像のヴォストーク宇宙船カプセル(旧ソ連)も、実際に宇宙から帰還したホンモノ。どうやって手に入れたんだ?。

で、展示を見ていくうちに、ネタが微妙に古いということが気になる。冷戦期に米ソがこぞって宇宙開発競争してた時期のものばかりで、スペースシャトルすら出てこない。ボタンを押すと流れる映像も、何かそこはかとなく漂う少し古い感。極めつけは、UFOとか超常現象とかの、科学からすれば結構「トンデモ」扱いされているテーマも正面切って展示されていた。いったい何なんだここは。

一つ一つの展示ももっとよく見たかったのだが、前日同様、息子らのご機嫌取りと後を追うことにばかり労力が裂かれてしまう。ミニシアターで上映される映像も見たかったのだが、始まった途端真っ暗な会場でグズリだした次男坊を連れて泣く泣く退散(なお、シアターは別料金だったがこの場合は払い戻してくれた)。子連れで博物館に行っても大人はほとんど楽しめない。

190715_08最後の観光立ち寄り(と言っても車窓見学だが)スポットは千里浜なぎさドライブウェイ。自動車で堂々と波打ち際の砂浜を走れる道だ。ここは昔々若かりし学生の頃にドライブツアーで遊びに来て通った記憶がある。時を経て妻子連れで通ることになるとは、感慨深い。

(本記事は、だいぶ後になってからの投稿のため、相当記憶が薄れており、そんなことがあった、という記録程度の内容となっているのでご了承願います)

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ほくりく紀行(前編)

190714_017月某日、夏の家族旅行第一弾として、車に乗り込んで一路北陸方面へ。まず最初の目的地は福井県立恐竜博物館。博物館手前で表示が出ていて、博物館の駐車場は満車だからここに車を止めてシャトルバスに乗れとの案内があり、素直に従った。それが正解のようで、案内を無視して博物館敷地の駐車場に向かった車は、目的地だいぶ手前から渋滞にハマっていた。シャトルバスはこれを避けるような抜け道の林道を通って博物館前に到着。

ここまではよかったが、昼食を博物館内で取るのは失敗だった。ファストフードのプレートランチを買うだけでも大行列の長時間待ち。フードコートのような飲食スペースはあるものの、混雑で場所を確保するのも大変。食事は館に来る前に済ませておくか、弁当などを持って入るべきだろう。

190714_02さてようやく館内を見学。比較的新しい時期にできた博物館ということもあり、精巧にできた動く恐竜模型など興味深い展示が目白押しだった。

ただ、残念なことに、息子たちのご機嫌を伺いつつ迷子にならないよう監視するのが手一杯で、じっくり思う存分見るといったことは不可能だった。

190714_03博物館を後にして、この日の泊地を目指す。福井県から石川県へ入り、それも能登半島の曽々木海岸まで、だいぶ長いドライブ。名勝「窓岩」のすぐ横にあるからか、その名も「横岩屋」という旅館にようやくたどり着いた。

190714_04西側が全部海岸線という立地なので、水平線に沈む夕日を拝むことができる。左側に写っているのが窓岩。

190714_05この宿の特筆すべきときろは食事。この日も地元で採れた海産物などをふんだんに使った料理がこれでもかと出された。時期的に「夏枯れ」のためかなり貧弱とのことだったが、それでも十分。食材豊かなシーズンにも是非訪れたいものだ。

190714_06旅館内の屏風に揮毫やら絵画やらが貼ってあった。それらが何かはよく分からない。

なお、この宿はかつて漁師の家だった建物を温泉民宿に改装しているそうで、館内は古き良き時代の趣がある。また、運び湯だとは思われるが輪島温泉郷の温泉に浸かることができる。お風呂はごくこじんまりとした浴槽が1つあるのみ。無色透明、塩味、かすかにツルヌル感あり。加水・加温・循環・消毒ありの「四重苦」だったが、気にならないレベル。

★★★★☆ 最低でも2泊はして食事を満喫したい宿。

後編に続く)

(本記事は、だいぶ後になってからの投稿のため、相当記憶が薄れており、そんなことがあった、という記録程度の内容となっているのでご了承願います)

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グリーンパーク想い出の森

190525_015月末の週末、複数の家族連れと一緒に、1泊2日で旧朽木村(今は合併して高島市)にある「グリーンパーク想い出の森」を訪れた。

190525_02コテージの周りにはアスレチックもあり、子供らを遊ばせておくのにもってこい。

190525_03同行者の中に料理の達人がいて、単なるバーベキューだけではなく、鶏の丸焼きといった凝ったものまで出てきた。

190525_04また、本格的なビールサーバーまで持ち込んで、生ビールを楽しめた。なお、一つはビール、もう一つはジュースが出るようにして、子供らも自らジュース注ぎを面白がってやっていたのだが、ビールの蛇口を出しっぱなしにした奴がいたのか、思ったより早くビールが無くなってしまうという残念な結果に。風呂あがりにも飲もうと思っていたあてが外れ、ワインをがぶ飲みしてしまったために、翌日は酷い二日酔いに襲われることとなった。

190526_01翌日は、同じ施設内にある「くつき温泉てんくう」を利用。宿泊者は1回分の温泉入浴券がセットになっている。併設のプールは追加料金を払って利用した。

子連れでの利用ゆえ、どちらかというとプールで遊ぶのがメインだった。二日酔いのため、プールにあるジャグジーで、ずっとへばっていた。温泉の湯は、ちょっとだけツルヌル感がある程度で、特筆すべきことはなし。好天だったこともあり、露天風呂での山々の眺望はよかった。

★★★☆☆ まあ一応は温泉だねという程度。

(本記事は、だいぶ後になってからの投稿のため、相当記憶が薄れており、そんなことがあった、という記録程度の内容となっているのでご了承願います)

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伏見名水マラニック2019

190428_01毎年この時期恒例の伏見名水マラニック、今回は6名のパーティーとなった。朝は少しひんやりとした気温。例によって伏見稲荷大社お旅所からスタート。この日は神輿巡行の日なので、担ぐための棒が装着されている状態だった。

 

190428_02疏水沿いにしばらく走って、人込みあふれる伏見稲荷本社の参道を横切り、名神高速も越えてしばらく行くと藤森神社、そこからほどなく清和荘。
そして3ヶ所目のスタンプラリーポイントが城南宮。画像は昨年のおちょこにデザインされた、菊水若水が湧いている手水場。

 

Shimotoba_map
さて、城南宮から、いったんコンビニで昼食等買い込んだ後、スタンプラリーとは無関係の鳥羽水環境保全センターへ向かうのだが、ここでまたしてもコースミス。昨年の教訓から、地図(クリックで拡大表示)にオレンジ色で引いたルートを行くつもりが、そもそも千本通に入り損ねて(千本通のT字路には信号がなく、南側にいると渡ることができない)、赤色で引いたルートに入った。これでも行けなくはないが、橋のたもとに行くには手前で左に曲がっておく必要があるところを行き過ぎてしまい引き返すこととなった(黄色で引かれたルートは、南北方向の道の下をくぐる形となっているため、そこでの左折はできない。なお、昨年は黄色のルートを行くつもりだったが、その際も左折ポイントを1ブロック行き過ぎてしまった)。というわけで2年続けて思い通りのルートを進むことができなかった。

 

190428_03ちょっとだけロスはあったものの、鳥羽水環境保全センターで一般公開している藤棚にたどり着く。10連休の真っただ中ということもあり、多くの人出で混雑している。今年は公開期間が短く、この日が最終日。ここへ寄るようになってから、ここの公開日にマラニックの日程が左右されるという状況である。肝心の藤の花は、今年はちょうど見頃。白い藤の花はまだこれからという感じだった。 

 

190428_04そしてベンチがあるコーナーも満席状態だったが、何とかかき分けて席を確保し、昼食。小瓶入りのスパークリング日本酒がここの雰囲気にもよくマッチして非常に美味。もう一回り大きな瓶を買ってもよかったな。

 

190428_054ヶ所目のキンシ正宗、5ヶ所目の大黒寺、6ヶ所目の鳥せい本店(いずれも画像省略)と巡って、次はお待ちかねの黄桜カッパカントリー。オープンスペースで販売されていたのはチェリービールだった。苦みを抑えたビアカクテルといった感じ。お土産用に「和あかね」「和かすみ」という見慣れない地ビールも購入。今回はバックパックを背負ってのマラニックのため、比較的多めに荷物を運べるのだ。

 

190428_06その次は月桂冠大倉記念館。今回は中には入らず。また、昨年は300円だった入館料は400円に値上がりしている。

 

190428_079ヶ所目の長建寺。今年は、特別公開等はされていなかったので、普通に境内に入れた。

 

190428_08疏水の運河を十石船が行き、その向こうに酒蔵が並んでいる、いかにも伏見な風景。船がエンジン音を轟かすのが少し残念。

 

190428_09大手筋商店街の人込みを抜けて、最後のスタンプラリーポイント、御香宮神社に到着。今年のおちょこは清和の井がデザインされていた。なお、後に家のおちょこコレクションを見たが、まだこれでも8種類目で、コンプリートできていない。

 

最後の帰路はほぼ迷うことなく進めた。今回は去年とはまた異なる「Relive」というアプリで、走った経路が地図上に動画で示され、途中の撮影画像も紹介されるものを作ってみた。いやはや便利になったものだ。

190428_10マラニック後は銭湯で汗を流して、打ち上げ。最初に寄った店が2軒立て続けに満席で断られる。少し移動して、東寺近くにある「食彩工房 団居(まどい)」が開店直後だったので入れた。この店が当たりだったのでメモ。その後訪れたアポなしの客は、予約で満席と断られていた。確かに、空いていたテーブル席は、その後予約客が次々訪れて全部埋まった。連休中ということもありどの店も混雑しているようだ。

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清鶴酒造

20190217_01この日は、高槻市富田にある「清鶴酒造」を訪れた。富田にはここともう一つ「國乃長」の銘柄で知られる寿酒造の2つの酒蔵があり、寿酒造については例年蔵開きなどのイベントを開催しているので過去何度か訪れたことがある(参考記事)が、清鶴酒造では蔵開きといったイベントはなく、今回が初の訪問となった。

かつては富田にはもっと多くの酒蔵があり、酒どころとして知られていた。その辺の歴史的解説は、路傍に掲げてあった高槻市教委の解説看板が述べているので、そこから引用。
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富田の酒造り
富田は、江戸時代前期に、商工業基盤や後背地の良質な米作、台地の地下水脈を巧みに利用して、寺内町から酒造の町へと変貌した。
最盛期の明暦頃(1655~58)には、24軒の酒造家が軒を連ね、8200石(米高)を超える酒造高を誇っていた。しかし、度重なる酒造制限令や、伊丹・灘等の発展で生産量は減少し、幕末では6~8軒となった。
現在は、2軒の酒造家が伝統の製法技術等を受け継いで、"地酒の味"を守り伝えている。
 昭和63年3月 高槻市教育委員会
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20190217_02この記事に画像は載っていないが、建物入ってすぐのところに瓶詰めの機械が置いてあった。話によると、元々そこにあったのではなく、前年6月の大阪北部地震で建物が被害を受け建て替えをするために一時的に待避させているのだそうだ。このほかに井戸もあったのだが、一緒に連れていた次男坊のご機嫌取りで撮る暇なし。

更に奥へ進むと、原料の酒米をしばらく水に漬けておく機械があった。ここからは画像あり。たまたま見学時にも実際に米が装填されている状態だったので、作業の一部を見ることができた。

20190217_03次は2階に上がる。途中で見えた巨大な桶は米を蒸すところだったか、これも次男の相手のため説明をじっくりとは聞けなかったので失念。

20190217_042階の作業場。蒸し上がった米を広げて冷まし、そこに麹菌を振りかけ、菌がしっかり根付くまで左にある扉の中にある保温室でしばらく保管する、ということだったかと思う。

20190217_05中2階に当たろうか、醸造用タンクの上段部分。画像には写っていないが奥の方のタンクは実際に醸造中で、ふたを開けるとほんのり甘い日本酒のいい香りが漂ってきた。なお、一番奥のタンクでは大吟醸を醸造中で、これはとても繊細なため杜氏以外は蓋を開けることすら許されないのだそうだ。

20190217_06先の醸造用タンクを1階側から見るとこんな感じ。画像では伝えづらいのだが、2階の作業場の床に一部小さい四角い穴が開くようになっていて、その真下にこれらのタンクが位置している。

20190217_07発酵が終わった醪(もろみ)を搾るための枡。まずは自重のみで嵩が減るそうだ。

20190217_08このときもちょうどこれから搾る予定の醪が入った袋が詰められていた。このように機械があるとはいっても、大規模醸造メーカーに比べればロットが小さいので、大量生産はできない。その一方で昔ながらのこだわりの製法を忠実に守り続けている。これこそが地酒の良さであり醍醐味である。

20190217_09見学の最後はお楽しみの試飲コーナー。お馴染みの「ひやおろし」はもちろん、あらばしりや濁り酒まで数種類のお酒をテイスティング。先ほど搾ったばかりの生原酒も試飲させてもらったが、雑味や荒々しさが先に立っていまいち。実際は瓶詰めして商品となるまでにしばらく寝かせて品質を安定させているそうだ。また、当主の解説によれば、日本酒は個性もいろいろで人によって相性は様々なので、自分に合った酒、自分が旨いと思える酒を見つけることが大事なのだとか。そのガイドをしてくれる行きつけの酒店があるとなおよいとのこと。

即席のお土産販売コーナーで試飲の際に気に入った日本酒と酒粕ケーキを購入。6代目当主の息子さん(小学生)もしっかりお手伝いをしていて、将来の7代目も安泰の模様であった。なお、この見学コースは有料であるが、サービスお土産についてくる濁り酒や酒粕の代金相当でトントンとなる値段だった。今回は相方の職場関係を中心に10名ほどで見学して程よい人数。2月の土日のみ要事前予約で受付、となっていたが、現時点ではホームページに見学案内ページが存在しないので、詳細は清鶴酒造へお問い合わせを。

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