日記・コラム・つぶやき

振替輸送時のIC定期券トラップ問題

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4月某日、JR京都線で橋桁に車が接触したため、JRはしばらく運転見合わせ、阪急京都線に振替輸送となった。これに先立つこと1ヶ月前、JR西日本をはじめとする関西の鉄道各社は、振替輸送時のルールを大きく変えるとアナウンスしており、今回その変更後ルールで初めて利用する振替輸送となった。

変更点はざっくり言うと「振替輸送票」の廃止と、ICカード利用は一旦入場後も含め振替輸送対象外(※もちろんIC定期券の区間は振替輸送の対象になる)とすることである。それまでは、振替輸送時には、振替先の鉄道会社改札前で、定期券や切符の提示と引き換えに振替輸送票をもらい、これが一種のキップのような存在となって改札を通り、降りた駅の改札で回収されるという手順だったが、この際振替輸送票をもらうための大行列ができるという弊害があったので、原則廃止となったのだ。

JRのIC定期券を持っていた私は、阪急の自動改札機にカードをタッチして入場、振替先の駅まで移動後、再度自動改札機にタッチして改札を出た。このとき、普通に阪急の運賃がカードチャージ額から引き落とされて、思っていた挙動と違うことに気が付いた。私が思っていたのは、振替輸送ルール変更に伴い、JRでの定期区間に相当する阪急の区間も定期券と同じ扱いとして料金が精算される(つまり定期区間内であれば料金は引き落とされない)という動作であった。そうでないと、従前は振替輸送票の回収でもって振替輸送利用者・利用区間を把握していたのが、振替輸送票なしでは把握できなくなるから自動改札システムをそのように改修したのだろうと思っていた。しかし実際はシステムは何も変わっておらず、IC定期券での振替輸送時には、自動改札機にタッチしてはいけない、というのが正解だったのだ。

後で阪急の改札の駅員に聞いてみても、一旦出場してしまうと運賃引き去りは取り消せない、入場のデータのみがある状態で入場データを消去するしかない、との回答だった。しかし、これだと出場するまでは運賃が取られるかどうかが分からない、あるいは出場時に初めて思っていた運賃よりも高く取られたと気づいても抗議をいっさい受け付けない仕組みであり、問題である。せめてクレジットカードのようにマイナスの同額請求を立てて相殺といったことができるようにすべきだ。法律的に言えば、運賃がかからないと思ってIC定期券を利用したのだから、運賃が引き落とされることに同意・納得していたわけではなく、錯誤無効であり、運賃を引き取って手に入れた阪急電車はその不当利得を返還するのが筋である。返金できない、というのはICカード決済システムの仕様上の都合であって、法的にも返さないという見解であれば、異議あり、争う。

さらにここで問題として提起したいのは、先に挙げた振替輸送時のルール変更を以前から散々アピールされた鉄道各社であるが、ポスター案内webページのどこを見ても、「IC定期券での振替輸送時には自動改札をタッチしないでください」とは書かれておらず、常識的にそう読めて当然とは到底思えない、ということである。一般人よりかなり鉄道には詳しいと自負する私ですらそう思うのだから、他にもそう思った人はいたのではなかろうか。勘ぐったいい方をすれば、鉄道各社はそうやって敢えて積極的にはPRしないことで、知らずにIC定期券をタッチさせて、しれっと運賃をせしめることを狙っているのではないかとさえ疑いたくなる姿勢である。この問題点については阪急電車のホームページのお客様意見投稿欄に匿名で意見具申を行った。今後何らかの対応をするのか、それとも無視して握りつぶすのかを見守りたい。

最後に、全国のICカード定期券利用者に向けて、今後このようなトラブルに遭わないようPRしてこの記事を終えたい。

IC定期券での振替輸送時には自動改札をタッチするな

IC定期券での振替輸送時には自動改札をタッチするな

IC定期券での振替輸送時には自動改札をタッチするな

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ココログ、全面リニューアル

このブログでも利用している、@niftyの「ココログ」が今度3月19日に全面リニューアルされるとのお知らせが掲載されていた。

「ココログ」全面リニューアルのお知らせ(2019/3/19)

近年のSNS興隆(といっても、SNSの中同士(mixi、Twitter、Facebook、Instagram、TikTok…等)でも栄枯盛衰がかなりのハイペースではある)に比べると、ブログは低調であり、最近では老舗だった「Yahooブログ」や「はてなダイアリー」も終了という状況である。その中で、ココログは「終了」ではなく、リニューアルして存続、というのでもまだありがたい話なのかもしれない。

主な変更点としては、スマホ用画面とパソコン用画面の違いがなくなり同一のURLとなること、ガラケーが使えなくなること、トラックバックの終了、などである。いずれも時代の趨勢で仕方ないかなあ、というところ。

それにしても2003年12月にこのブログを始めてからはや15年余り、掲載記事数は2000件を超えた。最近では更新頻度もめっきり少なくなってしまったが、いつまで続くのか、いつまで続けられるのか。ココログが、あるいは@niftyが未来永劫続くとは思えない。この書き溜めた記事も、科学的にも歴史的にも文学的にも価値のないものではあるが、もしできたら子供や孫たちに、お父ちゃん、お爺ちゃんはこんなことをしたり考えたりしてたんやで、という記録としてぐらいは残せないものかと考えている。

まああと100年ぐらい経って、この記事が何らかの形で後世に残せていて、100年後の誰かがこれを目にしたとき、当時の一般市井の人々の暮らしやものの考え方はこんなんだった、という手掛かりになるのだとすれば、民族学的価値ぐらいはあるのかもしれない。

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さらばPiTaPaカード

18110110月下旬のある日、あまり頻繁にチェックしなくなったパソコンのメールを見ると、三井住友カードからの利用明細に関する連絡が入っていた。ふと気になって、Webサイトを確認すると、何と年会費の請求がエントリーされていた。このクレジットカードは、PiTaPaとセットになった阪急のエメラルドスタシアカードで、運営は三井住友が担っている。最近はもっぱらJR西日本のJ-WESTカードとICOCAの組み合わせでしか使わなくなっているため、こちらのカードを使う機会はほとんどなくなっていた。

PiTaPaに関して言えば、年間に一度もPiTaPaの使用がないと年会費1000円が取られることは認識していたので、年に1回はICOCAではなくPiTaPaで電車利用をするよう気を付けていたつもりだった。さらに言うと、この年の10月からJR西日本でもPiTaPa利用がポストペイになる、つまりICカードにチャージしたお金は使う機会がほとんどなくなるため、1000円余りあったPiTaPaのチャージ額を無理してJRで使い切って残額0円にしたばかりだった。

それで、よくよくカード規約等を調べてみると、交通系のPiTaPaとしての年会費は前述のとおりだったのだが、クレジットカードの年会費はこれとはまた別で、初年度は無料、それ以降は年に一度でもクレジット利用があれば無料だが利用がないと年会費1250円(税別)がかかるというのだ。しかも、どうやらそのクレジット利用には交通系IC利用ではカウントされず、店舗等での支払いでないとアカンということらしかった。

もはやほとんど使う機会のないこのカードのためにわざわざ買い物するのもアホらしいので、この際クレジットカードをPiTaPaもろとも解約することとした。この手続きはWebではできず、三井三友カードの窓口に電話で連絡する必要がある。平日の昼休み、電話は混んでいて結構待たされたが何とか解約手続き完了。後日届けられる返信用封筒に、裁断したカードを送り返して全て終了となった。なお、チャージ額を使い切っていたのは大正解で、もし残っていたらパーになっているところだったらしい。それから、請求予定に上がっていた年会費も、どうやらこの解約により引き落とされずに済んだようだ。

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平成30年台風21号

180904_1平成30年(2018年)9月4日、台風21号(アジア名:チェービー)は、非常に強い勢力を保ったまま12時頃に徳島県南部に上陸した。この台風やそれによる被害についての詳細は各所に記録されているのでそちらに譲ることとして、身の回りの状況などを備忘録代わりに記載しておくこととする。本記事は、便宜上台風襲来時の日付としているが、だいぶ後になってから掲載したものである。

台風の接近はあらかじめ予測されていたので、その日は早々と保育所の臨時閉鎖が決まり、またJR西日本も昼頃から全ての列車運行を止めると事前に宣言していたため、仕事も休みを取った。ところが当日朝も嵐の前の静けさ。保育所に行けず元気が有り余っている子供らを公園に連れて行って遊ばせるぐらいの平穏さだった。

しかし、昼頃から様相が一変する。今まで経験したことがないような強風が吹き荒れた。昼前からは家にこもり、シャッターも全て締め切っていたので、外の様子は見えず、音でうかがい知るしかない。何かが飛ばされて転がっていく音、飛ばされた何かが落ちてきてぶつかる音。そして最接近の15時あたりでは、時折瞬停が起きた。いよいよ停電かもと思ったが、何とか我が家は停電を免れたようだ。

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そして関西空港の連絡橋にタンカーが衝突したとのニュースが飛び込んできた。これにより関空は孤立、その後しばらくは鉄道も車もアプローチできない状態が続き、外国人観光客の激減につながることとなる。

そのほか、各地で主に強風による被害が発生した。以下はANNがまとめた投稿映像より。

消防庁の集計では、この台風による死者は13名。いずれも、強風による転落・転倒や、飛来物に当たったことが原因とみられるそうだ。これらは、外に出なければ防げた可能性も高い。さらに言えるのは、今回と似たような進路を取った昭和9年(1934年)の室戸台風で死者2000名余り、昭和36年(1961年)の第二室戸台風で死者200名弱に比べれば格段に少なかった。治水が進んで洪水被害がなかったこともあるが、建物が頑丈になり、外にさえ出なければ命はまず助かるようになったのだろう。そして、JR西日本が早々と運行休止を宣言したことが、多くの人の通勤通学を最初からあきらめさせることにつながり、犠牲者の減少に寄与したのではないかと考える。「超ファインプレー」と評しても過言ではない。

さて強風が収まった夕方過ぎ、近所の人らがわらわらと外に出て後片付けやらを始めた。こちらも家から出てみてビックリ、あちこちに飛ばされてきた屋根の破片やらが散らばっている。植木鉢を外に置いたままだったお宅では、全部飛ばされて落ちて割れていた。また、カーポートの屋根が丸ごと吹き飛ばされている家もあった。その後もSNSで友人らの「ベランダの屋根が飛ばされた」「未だに停電中」といった被害報告を目の当たりにすることとなった。

180904_3振り返るに我が家の被害はどうだったというと、通過直後には被害なしという認識だったのだが、後日よくよく見ると外壁に傷が付いているのに気がついた。おそらくは飛ばされてきた何かが当たったのだろう。車に当たらなくてなくてよかった。

180904_4気がかりだったのは屋根。簡単に見ることは出来ず、これも後日だいぶ経ってから、棒の先に携帯のカメラを貼り付けて撮影することでようやく確認できた。見たところ大きな被害はなさそうだったが、これもよく見ると真ん中あたりのスレート材の端っこが欠けているようであった。まあ、この程度ならかすり傷だろう。

6月の地震で屋根瓦がズレたり落ちたりしてブルーシートを掛けている家も市内に相当数あったが、これらの多くが台風で飛ばされてしまった。修理業者も手一杯でなかなか修復が進まず、その後も長期間ブルーシートが掛かった屋根が残り続けることとなった。

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平成30年大阪府北部地震(2)

平成30年大阪府北部地震の記事続き。地震当日からだいぶ経ってからの投稿のため、その後の報道等も含めての検証を中心とする。

まず今回の地震の震源について。当初はてっきり有馬・高槻構造線(阪神・淡路大震災を引き起こした活断層の延長線上にある断層帯)が動いたものかと思ったのだが、震源地はそれよりも若干南にずれていた。また、震源地よりも若干離れた茨木市内でも被害が大きかった。

180718_asahi地震から1ヶ月後の7月18日付朝日新聞の記事によると、震源では2つの異なる断層が別方向に動いたとみられるとの解析結果が載っていた。

その記事に載っていた図によると、震源から北寄りに向かって逆断層が、震源から西寄りに向かって横ずれ断層が動いたということである。この、西に向かって走った揺れが、茨木市内での被害につながったのではないかと思われる。

また、地震の翌日、6月19日付の毎日新聞の記事(有料)によると、地盤の軟弱さが揺れを増幅させたのではないかとの解説が述べられていた。以下その記事に載っていた震度分布の図だが、震源から近いところだけでなく、やや離れた場所でも震度6弱とされている地域があることがわかる。
180619_mainichi

地盤について調べていくと、住所ごとに地盤の揺れやすさを示す朝日新聞の記事があることがわかった。これは東日本大震災を受けて作られたページのようだが今でも健在で、住所を入れると丁目レベルの細かい単位で、元々どのような地勢の土地だったのかと揺れやすさの指数を示してくれる。

これによって自分の住んでいる地域を調べてみると、意外にも「砂礫質台地」と表示され、それほど軟弱ではないことが分かった。そういえば自宅を建てる際、地盤のボーリング調査をしたが杭打ちは不要という調査結果だった。一方で、ブロック塀が倒れて女児が亡くなった地点の地盤を調べると、後背湿地で非常に軟弱と表示された。

Old_osakabayこれでふと思い当って、さらに大阪湾(というか大阪の海岸線)の変遷を調べてみると、大阪市住吉区が載せている資料(PDFファイル)の中に左のような図を発見した。これは縄文海進と言われる海水面上昇が起こっていた頃の海岸線(そのうち約5500年前のもの)で、現在の大阪平野は大部分が海の中に没しており、わずかに上町台地のみが半島状に付き出していた。一方で高槻付近を見ると、現在の淀川沿岸一帯はこれも海中あるいは河口のあたりとなっており、ただしそのすぐ北側に「富田台地」と書かれた陸地があった。先の地質を示すサイトで「砂礫質台地」と表示されたのは、たぶんこれだろう。

そういえば、以前に地元自治会の集まりがあった際、年配の方々が雑談しているのを漏れ聞くところでは、地質関係の学者さんが「地震に関してはこの町内は大丈夫だ」と言っていた、ということを思い出した。その意味するところは、たぶんこのことを指していたのではないかと考えられる。

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次に、大阪近辺の古地図(明治時代後半)をたまたま目にする機会があったので、高槻付近を改めて確認すると、まだ高槻市に合併する前の当時の村々が点在しているのだが、その中でもひときわ大きい集落となっている富田村は、先の大阪湾変遷で見た「富田台地」のちょうど南の縁の部分にあたるのだということが分かる。台地の縁は伏流水からの水を得ることが容易であり、だからこそ今でも酒蔵がある。

その一方、富田村から南東方向は、田畑と思われる平地が広がっているが、集落は見当たらない。おそらくは、ひとたび淀川や芥川、如是川が氾濫すれば水浸しになる低湿地だったので、田畑はできても家は建てられなかったのではないかと考えられる。しかし、現在はどこもかしこも住宅街となっている。この辺の話については、自然災害・地域防災対策支援センターというNPO法人のサイトに載っていた「大地震や大雨から守る 安全な地盤」-高槻市域で宅地・住宅に適した地盤の見分け方-という資料(PDFファイル)にも詳しく述べられている。

180620_mainichiところで、地震の2日後、6月20日に掲載された毎日新聞の記事(有料)によれば、今回の地震波は「極短周期」というタイプで、多くの家屋が倒壊した阪神大震災や熊本地震に比べると、家(1・2階建て程度の木造家屋)よりもブロック塀や家具の方が共振しやすい性質を有しているとのことであった。確かに今回震度6弱という強さにもかかわらず家が倒壊したという被害は聞かれなかったが、他方で屋根瓦がやられた家が多かったのはこのことが原因であると思われる。

ということで、いろいろ調べて見ると、今回の地震が震源地間近だったにもかかわらず、我が家では皿一つ割れなかったのは、これらのような背景があることが分かった。そもそも4年前に自宅を建てた際、最重要コンセプトは、来るべき南海トラフ巨大地震に耐えること、無傷は無理にしても、家にいて死ぬことはないこと、が最低条件であった(参考:本ブログ記事「新都造営の経過(その2)」にトラックバック)が、それに向けての格好の抜き打ち検査の機会にはなったといえる。秘策「制震テープ」は十分に機能していたようだ。

逆に言うと、今回の地震ぐらいでやられているようだと、「本番」の際は目も当てられない事態となることだろう。上に示したように、かつて海の底だった軟弱な地盤に、今や何百万人も住んでいるということをよく認識する必要があると思われる。

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平成30年大阪府北部地震(1)

平成30年6月18日午前7時58分、大阪府北部を震源とするM6.1の地震が発生した。
その時は家族全員がまだ家にいて、息子二人はダイニングテーブル脇の椅子に座っており、自分は掃除機をかけているところだった。最初にグラッと来て、普段なら初期微動継続時間を計るのだが、そんな暇もなく瞬時に大きな揺れが襲う。「地震だ、デカい!」と叫ぶと、ダイニングテーブル脇で座っていた次男坊がギャーッと悲鳴を上げたので、相方がそばに飛んで行って抱きあげた。自分は何をしていたのかよく覚えていないが、ようやくブザーが鳴った携帯の緊急地震速報に「遅いっ!」とツッコミつつ、揺れが収まる頃になって食器棚の開放防止ロックをかけていた。ちなみに食器棚は転倒も中の食器の飛び出しもなかった。突っ張り棒をしていたおかげだろう。幸いにして部屋の中で落下物はなく、パントリーのワインボトルが倒れていた(割れていはいない)のと、外の自転車が倒れていた程度。

急いで携帯のワンセグでテレビを見る。余談だが我が家ではちょっと前からテレビを撤去してしまったので、普段はテレビのない生活で、朝にラジオのネット放送を聴いている。報じられている震源地は、大阪府北部…って、直下ではないか。震源地の高槻市やその周辺で震度6弱。でも我が家の近所では、家が倒れたとかはなさそうだ。

180618_1こんな状況ではあるが、とりあえず相方が次男を保育所に預けに行く。預け終わって家に戻った相方が言うには、保育所に行く途中の幾つかの家では瓦が落ちていたり、石灯籠が倒れているところもあったとのこと。

なお、いったんは子供を預かってくれた保育所だったが、結局この日は臨時休所となり、再び子供を引き取ることとなった。親の仕事の都合ですぐには迎えに来られない、長男坊の同クラスの子供もついでに我が家で過ごしてもらうこととなった。

180618_2やがて上空には複数のヘリが飛び交う音が聞こえてきた。それらの空撮映像が臨時モードに切り替わったテレビで生中継されている。地元民がよくわかっていない周囲の光景が、テレビではいち早く報道されており、それを見て状況を知る、という何だか滑稽な状況だ。新幹線が止まっている映像、水道管が破裂して水が吹きあがっている映像などが流れてきた。これは結構ひどい被害になっているのか。そして、小学校のブロック塀が倒れて児童が心肺停止と速報が流れる。ああ、ついに、犠牲者が出てしまった。

鉄道は完全にマヒした。近所の阪急京都線でも、快速急行が途中で止まったままで動かない。踏切をまたいだ状態で停車しているので、通行にも支障が出ている。掲載画像は地震からだいぶ時間が経った後の様子。ドアを開け、乗客が線路に降りはじめている。それでもまだたくさんの乗客が車内に残ったまま。通勤時間帯だったので車内も込み合っており、中には長時間立ちつくして気分が悪くなったのか、線路脇にぐったりと座り込んでいる人もいた。結局この日は深夜になるまで鉄道が動き出すことはなかった。

JR、阪急とも動きそうな気配は微塵もなく、とても通勤できる状況ではなかった。むしろ通勤のために電車に乗っていなかったのは幸運で、たまたまこの日は子供を保育所に送る当番の曜日だったから遅くまで家にいたのであり、そうでなければ地震発生時は既に電車に乗っている時間帯だった。午後になってから、地震当時既に梅田近辺に出勤しており、歩いてこちら方面に向かい帰宅中だった義母を回収すべく、車に乗って出かけたのだが、ごく近所でさえかなり渋滞気味であり、これはとても無理だろうとすぐに引き返した。その後、相方が自転車で迎えに行って、合流後義母に自転車に乗ってもらい、当人は走って一緒に帰るという形で救援した。

なお、地震直後も、我が家のライフラインについては、電気・ガス・水道・ネットとも一切途切れることなく健在なのは強運だった。茨木市内の親戚宅も含むかなりの軒数が数日間ガスが不通だったり、同じ高槻市内のマンションにある実家では給水タンクが損傷を受け数日間断水した。ちなみに地震当日の夕方頃に、高槻市内で広範囲にわたって断水するとの情報が一時流れたのだが、他の自治体からの応援給水を確保して辛くも免れたそうだ。こうした情報が、相方も参加している、保育所のママ友LINEグループで飛び交っていたようだ。

情報関連で言えば、地震直後は当然輻輳するだろうから携帯電話は掛けなかったのだが、実家に安否確認のつもりで送ったキャリアメール(ドコモ)も送信できない状態だった。一方、ネット上のSNSは、Twitter、Facebook、LINEとも問題なく送信・閲覧できるようだった。振り返ってみればLINEグループが安否確認には一番便利だったという状況。昼過ぎになってから、小学校時代の恩師から電話がかかってきた。それまでずっと電話をかけてもつながらない状態だったそうだ。というか、だからこそ輻輳が起きてしまうわけなのだが。

長くなってきたので、一旦ここで切って、今回の地震の検証等は別記事で改めることとする。

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さらばANAカード

180525自分の持っているクレジットカードのうち、メインで使うものは、数年前からJR西日本のJ-WESTカードにSmartICOCAの電子マネーとなっている。その昔は、JCBのANAカード(&電子マネーはEdy)をメインにして、いわゆる「陸(おか)マイラー」として、カードの利用ポイントを貯めてANAマイレージに変換し無料航空券をゲットするという戦略を採ったものだが、航空機に乗る機会が激減し、使われなくなっていた。

そして久しぶりにそのANAカードの利用記録をWEBで調べたところ、引き落としは0円かと思ったら2160円の記録が見つかった。何じゃこりゃ、と思ったら、カードの年会費だった。そう、ANAカードのクレジットカード連携型には、年会費0円というものはないのである。

アホらしい、カード退会や、と思ったが、今後もまれには航空機に乗ることもあるだろうし、わずかだがマイレージ残高もある。そこで調べたところ、クレジット連携なしの、単なるマイレージだけが貯められる、いわば素うどんのようなANAマイレージカードもあり、それは年会費無料ということがわかった。新規でこのカードを使うタイプのマイレージ会員を登録し、従前のカードの会員番号と「マイレージを統合する」という手続きをマイレージの会員サイトで行い、メインのカードをこの新規の方にすれば、従前のクレジットカードは退会してもマイレージは引き継がれる。これで晴れて年会費だけが取られ続けるクレジットカードを退会することができた。カード退会もWEB上で手続き可能だが、退会手続きの入り口がわかりにくいのと、手続きを始めても、「まだ止めないでー、こんなにメリットあるしー」という説明ページを3つぐらい延々見せられて辟易した。そんな引き留め策が私に通用すると思っているのか。

新たな「素うどん」マイレージカードは、まだ手元に届いていないが、Edy機能もない安っぽいプラカードになるそうだ。まあ年会費無料だし、めったに使わないだろうから、そんなもんでいいだろう。それにしても、数年間年会費を無駄に払ったことが悔やまれる。


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いちごのツブツブが外側にある理由

Strawberry長男(4歳)がデザートのいちごを食べていると、「何でいちごの種は外側に付いているの?」と聞いてきた。「それはなあ、いちごが進化してくる中で、それがいちばんいいと判断したからや」と言いつつも、ネットで調べてみたら、びっくりした。

「種」だと思っていた、いちごの外側にあるツブツブこそが本来の「果実」であり、赤い(内部は白い)部分(要は食用となるメイン部分)は、「花托(かたく)」という、萼(がく)とか茎の方が発生学的には近い部位だそうである。こういった、果実のように見えて本当は果実ではない果実のことを「偽果(ぎか)」と呼ぶのだそうだ。
(参考例:JAさがのページより
従って、質問に正確に答えるのなら、いちごの「種」も内側にある(「実」であるツブツブの中心に「種」があり、その周りには果肉がほとんどない→そういうのを「痩果(そうか)」というそうだ)。実のように見える赤い部分は、花托が肥大化したもの。が正解であろう。

…と、これで一件落着かと思いきや、さにあらず。よくよく考えれば、長男にとって、いちごが偽果でありツブツブが本来の果実であることはどうでもいい話であり、当初の質問を言い換えた「なぜいちごのツブツブは(中心部ではなく)外側に配置されているのか」には何ら答えていないではないか。

そこで改めてネットで調べてみると、地方独立行政法人北海道総合研究機構が掲載しているページが最も正面から答えているようだ。

 いちごは、受精後、種子をのせている、種子の内側にある花床が肥大して食べる果実となります。ですから、花床の外側にある種子は果実の外側にあるわけです。
 一方、りんごは種子の外側にある花たくが肥大して食べる部分となりますから、種子は食べる部分の内側にあるのです。つまり、肥大して食べる部分が種子の内側か外側にあるかによって種子のある場所が違うのです。
地方独立行政法人北海道総合研究機構のページより

話は逸れるがりんごも「偽果」だった(りんごの芯の部分が本来の果実相当箇所)。今度こそこれで決着だろうか。いやまだだ。メカニズムとしては上記のとおりだが、何故外側にしなければならなかったか、には答えられていない。

さらにネット検索を続けると、いちごを種から育てることについて書かれた記事を見つけた。そこでは、「イチゴは、好光性種子…日が当たらないと、芽が出ません」と記されている。これだ。もし種がいちごの中心部分にあると、日光が当たりにくく、発芽しない。

いよいよ決着か。残念、まだ足りない。何故花托が肥大化する必要があったのか、に答えていない。ここで、Wikipediaのイチゴの項目や、イチゴの原種は当初ケーキの装飾用として使われていたと述べるページ、さらには、植物全般に言える、種子を移動させる戦略(参考ページ)について合わせて考えていくと、おぼろげながら答えが浮かび上がってきた。以下、それを文章にしてまとめてみた。

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植物は、自らは移動できないため、その種子をいかに様々なところへ散布させるかということが生き残り戦略上一つの大きな課題となる。風に乗って飛んでいくもの、水に浮かんで流れていくものなどもあるが、種子ごとその実を動物に食べてもらい、その動物が移動した先で糞として出てくることで、離れたところでの発芽を果たすというものも少なくない。いちごの祖先も、そのような選択をした。

さて、動物に食べてもらうためには、自身の実を動物に見つけてもらわなければならない。緑の葉が生い茂る中で、緑の補色となる「赤」は目立ち、見つけてもらいやすい。また、動物にとってのインセンティブとなるよう、大きく膨らみ、栄養ある食べものとなるよう変化することが、より好んで食べてもらえるので有利となる。そこで、いちごの祖先もそのような「実」を作ることとした。だが、膨らませる部分を、一般的な果実における「子房」ではなく、「花托」とすることを選んだ。それは、いちごが「好光性種子」であるため、子房を膨らませると、果実の中の方に種子が取り込まれる形となり、その後の発芽で不利となるからであろう。かくして、実(ただし正確には「偽果」)の外周部に種子(ツブツブ)があるという構造の原型が出来上がった。この頃のいちごの祖先は、野イチゴのような実をならせていたのだろう。

その後、動物の中でも特に高い知能を持ったヒト(人類)が現れ、他の動物と同様にいちごの祖先の実を食べた。あるいは、鮮やかな赤色の実を、食材の装飾として用いた。ところが、突然変異や種の交雑等で、たまたま甘い実がなったり、大きな実がなることもあった。人類はそうした実を特に好んで選りすぐるようになり、さらには品種改良で、人為的に人類が気に入るような種へとどんどん作り変えていった。それが、今の「いちご」に至るのだ。もはやこうなると自然に種で発芽して、と言う増え方ではなく、株分けしたものを次々植える、言わばクローンによる増殖、しかも、いちご独力での自身の種の維持はもはや不可能で、大部分が人の手助けで維持しているという状態である。
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ここまで書いてみると、最初に苦し紛れで「イチゴが進化してくる中で、それがいちばんいいと判断したから」と返したのが、ざっくり言えば当たっていたということに気が付いた。

そして、上記の見解の趣旨を、なるべく平易な言葉で長男に説明してやった。ところが、長男の感想は「よくわからない」だった。何でやねん。

とまあ、壮大な徒労に終わってしまったが、大人では当たり前過ぎて疑問にも思わないことを、素直に「なぜ?」と問える、子供の純真さには驚かされる。おかげでこれだけのたくさんのことを考える機会を得られた。昔の人はうまく言ったものである。「一期一会」と。(違)

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パラダイス☆文書

ようこそここへ 稼ごうよパラダイス
祖国(くに)の年貢抜いて

マルサは見えない しゃかりきバミューダ
夢の島までは捜せない

租税惜しがるセレブ達
さもしそうだねその瞳 Ah ついておいで
しけったままの税制じゃ 欲の深さを計れない Ah
ましてカネは稼げない
スーツケースの中に
財の限りを詰めて 詰めて行こう

ご機嫌いかが ガメろうよパラダイス
欲望の性質(さが)ギラリ

マルサは追えない しゃかりきケイマン
夢の島まではガサ入れ無い

Okanemochi


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永遠の0(ゼロ)

Zero百田 尚樹 著、講談社 刊。

(版元の紹介文より:)「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」。そう言い続けた男は、なぜ自ら零戦に乗り命を落としたのか。終戦から60年目の夏、健太郎は死んだ祖父の生涯を調べていた。天才だが臆病者。想像と違う人物像に戸惑いつつも、1つの謎が浮かんでくる――。記憶の断片が揃う時、明らかになる真実とは。(ここまで)

「探偵!ナイトスクープ」の放送作家としても有名な百田氏は、小説作家としてもヒット作を連発しているが、そのデビュー作がこれ。今更、遅ればせながらで読了。

「必ず生きて帰る」「命を失いたくない」。当時の帝国海軍パイロットとしては異例の意思を持つ、主人公の実の祖父・宮部。主人公は、祖父のかつての戦友達に次々とインタビューしていくが、片やいつも臆病で周りを気にしてばかりいた、まともに戦おうとしていなかったという証言があるかと思えば、一方で操縦技術はずば抜けていた、ひとたびドッグファイトとなれば無敵だった、僚機を一度も失うことなく、何度も命を助けられた、理不尽な上官には昂然と異論を唱えた、など、矛盾する人物像が錯綜する。複数の伏線が最後には主人公のルーツにも関わって一つとなり、真相が明らかに。

家族への愛を貫いたある一人の戦闘機パイロットのドラマ。一見するとそうにも見えるが、私の思いはもう一つ別のところにある。筆者は、劇中で主人公やその姉に語らせているとおり、当時の軍部首脳の作戦立案の無能さ、人命軽視の風潮、官僚主義的な発想による組織の機能不全、これらを痛烈に批判しているのである。更に言えば、現代社会でも、この時と同じことが平然と繰り返されているだろう、という強いメッセージだと受け止めた。

振り返っても見るがいい。業績をよく見せんがために、会計書類の改竄を平然と行う企業、商品のカタログ数値の偽装を行う企業、社員を残業漬けの勤務に就かせ、自殺者が出ても迷惑なことが起きたぐらいにしか考えていない企業。戦時中の話ではなく、どれもつい最近の話である。民間でも役所でも、トップ・幹部のええカッコしいやメンツのために立案された無駄な作戦・目標によって、振り回されるのはいつも末端の兵隊である。

かつて不景気によるリストラの嵐が吹き荒れた。それによってV字回復を遂げたともてはやされた企業や、コストカッターと崇められる経営者もいたが、会計の基本を知っていれば、リストラして一時的に会計状況がよく見えるのは当たり前のことである。しかし、クビを切られた従業員の持つ技術が海外に流出して、我が国の技術的優位性を揺らがせ、また、賃金カットや非正規雇用で低収入にあえぐ労働者は、当然余計なモノを買わないので国内消費は冷え込んだまま、いつまでたっても景気が回復しない。一企業の業績を糊塗するがために国全体は傾く。業績悪化は、兵隊の働きが悪いからではなく、経営者たる将校が無能だからだ。斬るべきは兵隊のクビでなく、将校のハラであるのだ。

一方で、兵隊たる労働者に対しても痛烈なメッセージが投げかけられていると思う。祖父・宮部の言動は、人間としてごくまっとうな感情だった。しかし、当時の社会ではそれが異端の扱いを受ける。今の社会でも、理不尽なまでに要求される仕事量の多さ、サービスを含む残業時間の多さ、家庭にも影響するような無体な異動命令などにあふれているのではないか。にもかかわらず、それはおかしい、と昂然と反発する機運はほぼ皆無である。端的に言うならば、昔特攻、今社畜である。おいお前ら、本当にそれでいいのか、との声が、この小説から発せられているのだと感じた。

なお、劇中に出てくるエリート新聞記者については、筆者の最近のSNS等での過激な発言等を見ていると、ああなるほどねと合点のいく役回りであった。その思想、是非についてはいろいろ厄介な問題をはらんでいるので、今回の記事ではあえて触れないでおくことにする。

それにしても、主人公の年代はだいぶ自分に近いところだと思われる。私の祖父は父方・母方ともに出征したそうだが、父方の祖父は自分が小学生低学年ころに、母方の祖父は高校生ぐらいのころに亡くなっており、大人となった状態で戦争の実体験を聞くことはないままに終わってしまった。実は、父方の大おじが100歳ぐらいまでの長命で、十分話を聞ける可能性はあったのだが、シベリア抑留を経験しており、周囲にも経験談を話したくない様子だったそうなので、これも聞けないままだった。小説内では終戦後60年だったが、今や70年を超えてしまった。そのとき大人だった人の話を実際に聞ける機会は、ほとんど失われようとしている。

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