日記・コラム・つぶやき

コストコの眼鏡

220223_1この日、2週間ほど前に発注していたメガネを受け取りに、八幡市内にあるコストコに向かう。

コストコ訪問自体はこれでもう3回目ぐらいだが、ここでは食料品以外に何とメガネや医薬品も売っているのだ。

220223_2さて、メガネの更新と言えば昨年にも行ったばかりなのにまた、ということで、その事情を説明せねばならない。そう、またまた壊れてしまったのである。

壊れた原因は先日のスキー。この際、スキー板と共にメガネをしたまま着けられるゴーグルも新調したのだが、それの付け外しのテストをした際に、呆気なく壊れてしまった。以前に壊れたのと全く同じ、レンズフレームと弦が接合する蝶番の部分。不幸中の幸いだったのは、スキー本番中ではなく、出掛ける前日に家で試していたときのアクシデントだったので、実際のスキーには一世代前のメガネを持って行って何とかしのいだ。

それにしても、二度も続けて同じ場所が壊れるというのは、構造的欠陥と判断し、同じフレームを手に入れることはせず、レンズも含めて改めて新調することにしたのであった。

220223_3それで新調したメガネがこちら。前回も、次の更新では遠近両用にしないとあかんなあという話だったが、注文時の度数等確認の際、「サポート機能」という、遠近両用移行一歩手前の、レンズ下方部分の度数が緩めてあるので、近くのものを見てもピントが合わせやすい設計のレンズにしてもらった。

早速掛けて見たところ、違和感は特にない。メガネを掛けたままでも、レンズの下の方をつかってタブレットを見ると、何とかピントが合わせられる。視線の先以外の部分の度数が違っても違和感を覚えないのは、おそらくは人間の目では視線の中心部分しか集中して見ておらず、視野周辺部の画像処理は手を抜いているから、度数が違っても気にならないのだろう。

ちなみにこのメガネ、なんとお値段2万円程で済んでしまった。流石はコストコ、恐るべしコストダウンである。なお、安いからといって決して手抜きというわけではなく、前日注文・調整した際の担当者の対応や説明も丁寧だったし、フレームもレイバンの正規品だった。メガネの値段って何なのだろうと考えさせられた。

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ほぼ皆既月食2021

211119_12021年11月19日、日本時間の夕方から夜にかけて、98%が欠ける「ほぼ皆既月食」が見られた。仕事帰りに東の空を見るとだいぶ欠けている月が見えた。

最大食分になるのは18時過ぎぐらいだったが電車の中。一応車窓からもほぼ真っ黒な月は時折見えた。帰りの道すがらに手持ちのAndroidタブレットで何度か撮影してみたのだが、カメラのピントが月に全然合わず話にならない。

211119_2帰宅後、NikonD5600を持ち出して、望遠レンズの最大ズームで撮ってみたところ、何とか記録に値する画像を残せた。実際の見た目よりもだいぶ明るく写っている。設定はフルオート、三脚もなしでここまで撮れればむしろ驚異的なのかも。(画像クリックでオリジナル解像度画像を表示)

ジュニア達にも双眼鏡で見せてやったりしたが、あまり興味・関心は無さそうだったのが残念。

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シン・オリンピック考(2)

シン・オリンピック考(1)から続く) 前回の記事投稿からこれまでの間に、東京五輪の競技会場がほぼ全面的に「無観客」で行われることに決まったという、前代未聞の事態へ推移した。もうムチャクチャである。だったら最初からやめとけよというほかないが、それでもやらないわけには行かない方々がいるのであろう。

さて、この項では、オリンピックを筆頭とした世界的なスポーツイベント、その関係機関と、出場するアスリートの関係性について考察してみたい。

あるスポーツでダントツに強いアスリートがいたとする。当然のごとく全国大会でも優勝、日本一となれば、次は世界だ。ドラゴンボールの悟空ではないが、「世界にはもっと強えヤツがいるに違いない、そいつらと闘いたい、オラ、すっげえワクワクすっぞ」という思いは、どの競技でも同じであろう。

ところが、世界大会ともなると、おいそれと開催できるものではない。開催地をどこにする、施設は、ルールは、審判は、予選は、と事前に用意すべきことが山ほどある。そして何よりも多額の費用がかかる。とてもじゃないが、一アスリートの力だけでできる代物ではない。

そこで、競技団体やスポンサー企業、マスコミの出番となるのである。世界一レベルでのスポーツの模様は、それ自体が至高のエンターテイメント素材でもある。要するに、競技場に観客が喜んで金を払って見に行き、世界中の視聴者がテレビの前で固唾をのんで見守る。CMでも流せば何億という人々が目にするであろう。世界大会の実施に必要な多額の費用を負担する代わりに、それらを商売のネタにさせていただきますよ、という算段だ。

ただ、これが行きすぎることの弊害が出てきてはしないか、と近年感じるようになってきた。端的に言うと、あるスポーツの純粋なナンバーワン決定戦というよりも、「感動ポルノ」の押し売りの格好の素材として費消されるだけの存在になっていやしないか、ということである。具体例を上げれば、高校野球の全国大会や正月の箱根駅伝である。

もちろんこれらの大会に出場するアスリート達に罪はない。そこでひたむきに闘う姿は視聴者に感動を呼び起こす。ハラハラドキドキの筋書きのないドラマだ。しかし、これが行きすぎると、感動を与えることが自己目的化してしまい、報道側の過剰な演出や、アスリート側も「あの大会に出て自分もテレビに映りたい」ということが目標となってしまったら、果たしてそれは本当にいいことなのだろうか。

大部分の競技が無観客となる見込みの今回の東京オリンピックに出場予定のアスリート達に問うとすれば、競技会場での観客からのワーキャーの歓声が無かったとしても、世界中のよりすぐりのライバル達と闘えることはワクワクしますか、さらに言えば、もしこれのテレビ中継すら無かった場合はどうでしょうか、である。

実は、現在のオリンピックは、ギリシャの古代オリンピックになぞらえたものというよりも、古代ローマの剣闘士の決闘に近しいものになっているのではないだろうか。ローマの剣闘士のイベントは、皇帝が民衆に娯楽として施したものであり、出場する剣闘士の多くが奴隷階級だったそうである。運良く勝ち残り生き残って名声を得たら、奴隷から解放され一般市民となる道もあるのだが、あの歓声が忘れられず再び剣闘士になる者も相当数いたそうである。

今回の東京オリンピックのコロナ禍での開催の是非が問われた際に、特に開催反対の意見の人の一部が、アスリート達に対して非難したという話を聞いたが、これはお門違い、筋違いもいいところである。アスリート達は鵜飼の鵜だ。鵜飼のショーの開催是非を鵜に問い詰めても意味がない。問い詰めるべき相手は鵜匠である。

さはさりながら、一アスリートがスポンサー企業無しでその競技一本で食っていくのは現在のところほぼ不可能だ。ただ、インターネットの普及とそれを活用したプラットフォームの利用で、企業だけに頼らない、アスリートがファンから直接収入を得る道ができるのではないかと考える。

具体的には、オンラインサロンのようなもの、あるいは動画配信の投げ銭のようなものである。また、クラウドファンディングもある。今のところこれらのサービスには怪しいものも結構見受けられるが、プラットフォーマーが公正でクリーンな運営をすれば、あるいはオリンピック強化選手に認定されることなどを要件に、それへの寄付を税制優遇の対象とすることなどによって、普及する可能性はある。

また、世界大会の中継も、「テレビ」一本に握らせるのではなく、分散化してネット中継にすれば、例えばオリンピックが米NBCの意向でクソ暑い7月末から8月にかけてという開催時期縛りに遭っている現状を打破する可能性がある。そもそも、オリンピックで全ての競技を限られた期間限られた場所で一斉にやろうということに無理があるのであって、ある4年間の間に開催される世界大会のいずれかを「オリンピック指定」としたうえで、それぞれの競技ごとにベストの時期、ベストの場所で開催して、4年間の期間満了時に総括的な閉会式(兼次期の4年間の開会式?)のようなイベントをやりゃあいいんじゃないかと思う。

言いたい放題放言したが、今回のコロナ禍が、スポーツにまつわるあれこれを大前提から見直す機会になれば、それはそれで意味のあることになろう。少なくとも私は、従前のようにオリンピックを何も考えずただひたすらにワーキャー言って観戦する、ということは無さそうだ。

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シン・オリンピック考(1)

東京オリンピック2020が1年延期して今回強行開催されるに当たり、自分なりに五輪そのものについての考えをまとめてみた。

これまでもこのブログ内で、それぞれの年に開催された五輪についての所感などを記してきたが、それらでは、やれ金メダル数がどう、プレッシャーがどう、といった話題であったところ、今回のコロナ禍における数々の関係者等の動きを見て、そもそもオリンピックって何だったのだろう、誰のために、何のために開催されるのだろうという根本から問い直すべきではないかと思い至った。

今から1年少々前、当時の安倍政権の下、東京オリンピックの「1年」延期が決められた。それまではやる気満々で、だからこそ緊急事態宣言発令といった措置には後ろ向きだったのが、延期を決めた途端に急激な方向転換がなされた。それにしても、なぜ1年の延期だったか。1年でコロナ禍が終息する見通しがあったのか。おそらくは、1年だけであれば首相(党総裁)の任期は残っており、自らの功績の集大成として開閉会式等に華々しく出席できると踏んでのことだったのだろう。そこには科学的考察に基づいた判断など微塵も無い。だが皮肉なことに、2020年8月、自らの持病悪化を表向きの理由に、安倍首相は突如として辞任。最後の花道を飾る機会を失った。

急遽後任となった菅首相も、その後に新型コロナ感染状況がいくら悪化しようが、2021年開催に向けた強行姿勢はいっさい変わらず今に至る。どうやら、オリンピックを開催さえしてしまえば、何だかんだ言っても国民はワーッと盛り上がって、同年秋には行われるであろう総選挙でも有利になるという算段のようだ。これも、その判断に科学的考察は無く、政治的思惑のみで物事が決まっている。開催地首長の小池都知事も、一時期、中止の世論が高まっていることを受け、(一転して中止(開催返上)を申し出る)一発逆転を狙っているのではという憶測も流れたが、その機会も無いまま、都議選直前に過労で休養と雲隠れ、同情票を獲得して都民ファの惨敗を防ぐという動きを見せただけ。そこでも五輪開催是非にかかる客観的判断はなく、すべてを政局として自らの政治的野望の実現に向けて利用しているだけであった。

ここで、この記事執筆時点での私の意見を述べると、「東京五輪は中止すべき(延期でもなく)」である。理由としては以下のとおり。

・日本国内での新型コロナ感染状況は、もっと酷い状況のところもある諸外国に比べれば「さざ波」程度であるのは確かだが、その「さざ波」ですら重症患者の対応で医療崩壊の危機を迎えた。これはひとえに国内医療体制の不備(民間・中小規模の医療機関が多く、採算悪化や風評被害の恐れ、人手不足などを理由にコロナ患者を受け入れないところが多い。日本医師会などを中心とした勢力の「わがまま」等が遠因だが、これらに係る議論はひとまずここでは割愛)ではあるが、これが一朝一夕に解消される見込みはなく、にもかかわらず、海外から、選手・スタッフなど多数の入国者を入れることで、より感染力の強い変異株を国内に持ち込んでしまう、あるいは別々の変異株がミックスされてしまうおそれがある。
・新型コロナ感染状況が酷い状況の国では、オリンピック出場者選考に向けた国内予選の開催すらままならない。また、選手等の入国者にはワクチン接種、検疫・隔離等を強化すればいいという考えもあるが、だとすれば選手のパフォーマンスに影響が出ることが懸念される。更に、競技開催中にコロナ感染が判明して出場停止といった事態も想定され、要するに、全体的に見て、およそ選手間の前提条件が平等でない。そのような不平等な条件下での世界大会の実施で、果たしてそこで勝ったとしても、胸を張って世界一と言えるのかが疑問である。
・開催強行を熱望する勢力というのが、IOC関係者、テレビ新聞等のマスコミ、広告代理店、人材や設備等のロジ関係企業、スポンサー企業などである。これらは、もし大会が開催されないならば、経済的に大打撃を受ける、あるいはいつものオイシイ思いが出来なくなる、だからこそ是が非でも開催しなければならない、という論理である。しかし、コロナ対策ということで飲食、観光、運輸などの業界は既に経済的大打撃を被っている。それらはひとえにコロナ対策のために泣く泣く受け入れているのである。コロナ対策上問題があるからやるなと言っているのに、五輪だけは特別だ、というダブルスタンダードは、科学的考察に反しており、単に政治力でルールを歪めているだけの邪悪な存在に他ならない。これまでオリンピックが滞りなく開催され、皆がハッピーだった時には取り沙汰されることはなかったが、コロナ禍でその馬脚が露わとなっただけなのだ。「五輪中止となれば我々は死んでしまう」…いやむしろこの際そうした邪悪な方々には一度お亡くなりになっていただき、世の中をリセットすべきではないのだろうか。
・そもそも東京五輪を開催すべき大義名分は何だったのか。東日本大震災からの復興アピール、そしてもはや国内産業での自前の経済発展は望めないので、インバウンドによる需要拡大、そのおもてなし精神の発露としての海外へのPR、といったあたりだろうか。しかし、報じられた記事を拾い読みした限りでは、東京五輪誘致のきっかけは、当時都知事だった石原氏と石原ファミリーに係る政治的取引(石原都知事が五輪誘致をOKする見返りとして、息子の伸晃氏をよろしく頼むといった趣旨)とあって愕然とした。震災復興も、インバウンドも後付けの理由でしかない。そして、その後付けのインバウンドですら、このコロナ禍で雲散霧消してしまった。五輪を開催すれば経済効果があるから、中止すればこれまで掛かった費用が無駄になるから、だから開催すべし、というのが開催強行派の理由であろうが、既に経済的メリットは見込めないし(前述の一部の関係者を除く)、後者の不安に関しては「サンクコストバイアス」という言葉を授けた上での「損切り」を主張したい。1年延期すれば多少状況は改善されるかもしれないが、人あてや施設を再度押さえることのコスト増要因があり、やはり全体としての経済的メリットは望み薄である。第二次世界大戦時の大日本帝国と同様、なるべく早く白旗掲げて戦線を縮小しないと、出血が続くことになる。ガメればガメるほど、損害の方が増えるであろう。「延期」の案も採らないのはこうしたところが理由である。

ここまで書いてきて、オリンピックに限らず、およそのスポーツイベント、それも特に世界的な大規模なものについての課題、問題点に思い至った。それは、出場する選手(アスリート)、報道するマスコミ、スポンサー企業等の関係性と、その構造である。だいぶ長文となったので、項を改めてこれらを考察したい。

シン・オリンピック考(2)へ続く)

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眼鏡崩壊と再生

210604_1昨秋に更新したばかりのメガネが壊れてしまった。就寝時に、ベッドで寝るときはベッドの棚に置いていて問題なかったのだが、床に布団を敷いて寝る際に枕元付近に転がしていたところ、うっかりその上からヒップドロップをお見舞いしてしまったのだ。それ自体は2週間ほど前の話で、その際はメガネが大きく歪んでしまったが、元の形に戻せたので一旦は大丈夫かと思っていた。

しかし、曲げて戻す負荷をかけたことで脆くなったようで、しばらく後に突然蝶番の箇所で折れてしまった。部材が一番細くなっておりかつ負荷もかかる場所だから、接着するのは明らかに無料そう。安いものに買い換えようかとも思ったが、せっかく作ったばかりのレンズが無駄になる。というわけで、購入した眼鏡屋店をダメ元で訪ねてみると、全く同じ型式のフレームが入手できればピッタリはまるとのこと。その店の在庫は調べてももう無かったが、メーカーに問い合わせてもらうことになった。

210604_2数日後、全く同じフレームがメーカーにあったそうで取り寄せてもらい、無事に同じメガネが再生されることとなった。だが、もちろん追加でフレームを買うこととなるので、フレーム代18k円が余計な出費と相成った。

ちなみに、メガネが壊れている間は更新前のメガネを掛けてしのぐ。何事もバックアップは大切だ。そして、事故以来、就寝時にはメガネを必ずメガネケースに入れるという手順が加えられたことはいうまでもない。

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CMNとVirtualStore機能

Cmn_logoWindows7パソコンが朽ちかけている件(参考記事はこちら)のスピンオフ事象をここに記録しておく。HDDがいつ壊れてもおかしくないので、データ類は一応待避させたつもりだったが、どうもうまく行かなかったのが、CMNという巡回ソフトである。

今時もうこんな代物を使っている人は世の中にいないのかも知れないが、CMNというソフトは、ブログや掲示板等を自動巡回しアーカイブして、新着記事のみをピックアップして見ていくことができるというアプリケーションである。

このソフトは、ProgramFiles(正確にはProgramFiles(x86))の下にcmnというフォルダがあり、ソフト本体とサブフォルダにデータ類一式が格納されており、丸ごとコピーすればそれで移転完了となるはずだった。

ところが、移転先のPCでCMNを起動すると、掲示板等のログが2012年ぐらいでパッタリ止まっているのである。おかしいと思い、移転元のWindows7PCのデータフォルダを見ても、中身は同じ。画像だけがアーカイブされるフォルダがあるのだが、それを見ると確かに2012年ぐらいまでしか格納されていない。しかし、移転元で立ち上げたCMNではつい最近のログも見られるし画像も表示されるのである。何なんだこりゃいったい。

最初は、フォルダの中に入れられるファイルの限界数を超えたのかと思ったが、そこまでの数ではなかった。となるといったい何が原因なのだろう。ネットを調べまくって、ようやく答えにたどり着く。犯人は、「VirtualStore機能」というWindowsの仕組みであった。

VirtualStore機能とは、ざっくり言うとProgramFiles等の権限が必要なフォルダにデータ類も書き込もうとするアプリがあった際、エラーで止めてしまうのではなく、他の権限が要らないフォルダに書き込んだ上で、アプリに対してはさもProgramFilesに書き込んだように情報の受け渡しをする、というWindowsの機能である(誰か賢い人が書いた参考記事はこちら)。

昔は、アプリ本体の入ったフォルダの配下にデータ類も書き込むものはザラにあったが、WindowsVista以降、ウイルスソフト等の挙動を封じるために、ユーザー権限が厳しくなって、ProgramFilesのような重要なシステム関係フォルダにアプリがファイルを書き込みすることはできなくなった。それだと動かなくなってしまうアプリの救済措置という側面もあるのだろう。

早速、C:\Users\<ユーザー名>\AppData\Local\VirtualStore\Program Files (x86)のフォルダを探す(隠しフォルダになっているのでエクスプローラの表示設定を変えておく必要あり)と、確かにcmnのフォルダがあった。そのサブフォルダのデータフォルダには、最新のログや画像ファイルも入っていた。ご本尊はここだったのだ。

VirtualStoreにあったファイルも移転先のPCにコピーして一件落着かと思いきや、移転先CMNを起動すると、「<ユーザー名(移転元PCの名前)>が使用している」という趣旨の警告表示が出て、やはり最新のログは表示されなかった。あ、しまった。ProgramFiles以下のフォルダにデータをコピーしてもうてたのがマズかったか。どうもうまく行かないので、試しにCドライブではなく、データ待避用に常に繋ぎっぱなしの外付けHDDにCMN以下丸ごとコピーしてみたら、同様の警告表示は出るものの、ようやく移転元PCと同じように最新のログまで表示できるようにはなった。完全解決では無いものの、一応初期の問題は解消できたのでひとまず良しとするか。

参照先の記事結びにもあったとおり、PC移転の際は、特に昔から使っているソフトの移転の場合は、VirtualStoreのフォルダのチェックもお忘れなく、というのが今回の教訓である。

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シェーバー更新

210307何年かぶりで、電動シェーバーを更新。今まで使ってた方の話はこのブログでは見つけられなかったが、だんだんバッテリーがヘタってきて充電がすぐ切れ、この冬になって特に寒い日の朝は電源が入らない(ストーブの前で暖めてやると復活)ということもあったので潮時だ。

それで、新たに買ってもらったのは、ドイツの誇る電機メーカー・ブラウン。かつてCMは幾度となく見たものだが、けっこういいお値段なので、実際手にするのはこれが初めてだろう。いつかはブラウン、の夢叶う(それは別のクルマのCM)。

ひげ剃り部分の構成が4つもあり、やたら幅が広い。ヘッド部分が動いて常に肌にフィットするように作られている。だから力を入れなくてもスムーズにきれいに剃れる。さすがお値段だけのことはある。

なお、画像には無いが、本製品には自動でクリーニングするスタンドも付属しており、クリーナー液のカートリッジを装着する必要がある。まだその機能は使ってないが、説明書を読んだ限りでは、汚れてきた場合はもちろんのことだが、使用頻度に関わらずカートリッジを一定期間で交換せよと書かれていた。こうやってメンテでも商品買わせようって魂胆なのだなあ。何かに似ていると思ったら、インクジェットプリンターだった。

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Thunderbird68から78へのプロファイル移行

Thunderbird_logo先日、「危篤状態」にあると述べたPCから待避したThunderbirdのプロファイル(受信したメールのアーカイブや各種設定等の一式が記録されたファイルフォルダ群)を、移行先のPCに移そうとしてハマったトラブルについて、備忘録としてここに記録する。

Thunderbirdの別のPCへの移行は、プロファイルのフォルダごとごっそりコピーすればよい、ということを以前にHDD交換した際に経験済みだったので、今回もそれで楽勝とタカをくくっていた。ところが、移行先PCにThunderbirdの現時点での最新版をインストールしたら、バージョン78となっており、プロファイルに互換性が無くこの技は使えないということが判明した。以前のPCでのThunderbirdはバージョン68。これではプロファイルが移行できず、宙に浮いてしまった。

そこで、Thunderbirdは古いバージョンもダウンロードできることを利用し、MozillaのFTPサイトから取り出すことにした。最初の数字がバージョンを示しており(.以下の数字は、同じバージョンの中でのマイナーチェンジの履歴)、それをクリックすると、OSごとにフォルダが分かれており、LinuxとかMacとかに並んでWindows用もある。うちのPCであればWin32(32bit版)でいいのだろう。それをクリックすると今度は言語別のフォルダが並んでいるので、日本語版のjaを選択。後はsetup.exeになっている容量の大きい方のファイルを選び、名前を付けて適当なフォルダにダウンロードする。ダウンロード後のファイルをダブルクリックすればインストーラーが動く仕組みだ。

古いバージョンのインストール前に、新しいバージョンThunderbirdをいったんアンインストールする必要がある。Windows10の場合は、デスクトップ左下のWindowsアイコンから左側の歯車アイコンで設定画面に移るので、「アプリ」を選択、左側のメニューから「アプリと機能」を選択するとインストールされたアプリの一覧が表示される。今回であればThunderbirdのところで表示される「アンインストール」のボタンをクリックするとアンインストールとなる。以前のWindows7ともやり方がだいぶ変わっている。

それで、移行元PCと同じバージョン68をインストールし直したのだが、これでもダメだった。というのも、68の時点で、古いプロファイルは弾く仕様に変わっているからのようだ。というわけでまたアンインストールして、今度はバージョン60あたりを再度インストール。プロファイルの移植方法はMozilla本家のサイトにも記載されているが、それとはちょっと違うものの私がやってうまく行った方法は、まっさらでインストールされたThunderbirdのプロファイルがあるフォルダと並ぶような形でいったん移行したいプロファイルを丸ごとコピー。そして、持ち込んだプロファイルフォルダ名を、まっさらでできたプロファイルフォルダ名に変える(最初にできていたフォルダの方はちょっとだけ別の名前にしておく)、というものだ。要するに、インストールしたてのThunderbird自身が作ったプロファイルと見せかけて、以前のプロファイルをThunderbirdに読み込ませてやるというものである。

すると、最初の起動のときだけ少し時間がかかったが、見事に以前の受信メールやフォルダごとに分類された分も含めて、バージョン60のThunderbirdが立ち上がった。それで、ネットに繋がっていると自動で最新バージョンを探しに行くようで、再起動を促すメッセージが出てきた。再起動すると、今度はバージョン68に更新されたThunderbirdが立ち上がった。これで更新前のPCと同じ状態になった。すると、さらに自動更新が走ったようで、またもや再起動を促すメッセージ。三たび再起動すると、バージョン78、現時点で最新のThunderbirdが立ち上がり、従前のメール等もちゃんと入っていることが確認できた。こうしてようやくメール環境の移行は完了した。

ところで、ここまで苦労したプロバイダのメール環境だが、近年その重要性が低下している。というのも、かつてメーリングリストで交流していたものはFacebook等のSNSへ主戦場が移り、友人等とのやりとりもそのSNSのメッセンジャーやLINEなどを使うので、メールが使われることが滅多に無くなった。また、各種のWebサービスのIDとしてプロバイダのメールアドレスも使用しているものの、設定した際のIDとパスワード情報を、自分自身のこのメールにも送ってアーカイブしているが、併せて別途のWebメールにも送っており、出先のタブレットで調べる際もWebメールを見に行った方が便利(というかプロバイダメールは、いったんダウンロードしたらサーバから消す設定のため、自宅のPCを開けないと確認できない)となっている状況を見るに、プロバイダメールの存在意義って何なのだろう、と思うことが多くなってきた。何かに似ていると思ったら、家の固定電話だった。

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PC危篤

210117_1最近、我が家のデスクトップPCを起動すると、英語で、ハードディスクに不具合が検出されたので、早急にデータのバックアップを取ってハードディスクを入れ替えよ、という趣旨の警告メッセージが出るようになった。このPC、就役は2010年と実に10年超え、しかもWindows7のままで引っ張っているロートル機である。HDDは購入後2年ほど経った際に一度故障して交換している。

なぜWindows10への無償アップグレードの機会があったのにしなかったのか、という批判はされて当然ではあるが、それをしなかった一番の大きな要因は、このPCは地デジの視聴・録画ができるSmartVisionというアプリが入っているが、Windows10にアップグレードするとそれが使えなくなることが分かっていたからだ。我が家のテレビでは相方の意向によりだいぶ前からB-CASカードが引き抜かれ、DVDかYouTubeしか見られないモニターと化している。何かこれは録っておきたいというテレビ番組があっても、保存できるのはこのPCだけになっていたため、ズルズルと引っ張ってしまった。また、スペック的にも10にはだいぶ無理があり、無理してアプデするよりも、朽ち果てるまで使って朽ちたら新しいのに買い換えようという方針で臨んでいた。そしていよいよそのときが来たというわけだ。

なお、意図して録画予約していたわけではないが、お任せ録画という設定で「ブラタモリ」というキーワードを設定していたため、電源入れっぱなしあるいはスリープモードになっていた際に、同番組の放映があると勝手に録画されていて、それが結構な数溜まっていた。もったいないからコピー10が効くのでDVDにせっせと移していくが、それなりに手間がかかりその時間もなかなかなくて、コロナ禍で在宅勤務となった際にようやく進捗して一掃できそうという矢先で今回の不具合発生となったのである。

210117_2一応Cドライブのディスクチェックをかけてみたが、それでも回復しなかった。もはやこれまでということで、いくつかの画像やらメールやらのデータファイルを外付けのHDDに退避。元から画像ファイルはつなぎっぱなしの外付けHDDとミラーリングで保存していたので大したダメージはない。

さて、次のPCをどうしようかと考えたとき、そもそもこのような母艦的なデスクトップPCが要るのだろうかということに疑問が出てきた。以前ならいざ知らず、日々家事育児に追い立てられる今となっては、デスクトップPCの前に座ってじっくりと向き合う時間など無くなってしまった。それ故ここ2年ほどはブログ記事の更新も滞った。デスクトップではなく、枕元においたタブレットで、早朝にジュニア達が寝静まっているときに布団の中で書くというスタイルになってようやく追いついた(今回の記事もまさにそれ)。毎日のSNS閲覧・投稿もタブレットで足り、プロバイダの電子メールで連絡を取ることもめっきり少なくなった。というかプロバイダのメールはタブレットのWebメールでも読み書き可能だ。スナップショット的に撮る画像や動画も、タブレットのSDカードに溜まるだけだ。

というわけで、正直言って新たにデスクトップPCを買うことはもうないだろう。こんなこともあろうかと、実家で親父がかつて使っていたデスクトップPC(Windows10にアップグレード済み)が、親父亡き後もう使っていないということで我が家で引き取っている。そのPCも新しいものではなくスペック的にも厳しいが、無いよりはマシだ。もし新たに購入するならノートPCだろう。実は我が家では主に家計簿入力やWeb会議システム利用用途のノートPCがもう1台あり、ただしWindows8.1だ。今後買うとしても、それのサポート切れが迫ってきてからで十分なんだろうなあと思っている。この10年の間で、パソコンやインターネット利用をめぐる環境がずいぶん変わったなと感じさせられた。

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異例ずくめの年末年始

新型コロナウイルスに振り回された1年が明け、2021年(令和3年)を迎えることにはなったが、コロナは当面明けそうにない。

ずっと毎年恒例だったイベント等も大幅に変わってしまった。まずは年末、例年は高校の同窓会を大阪・梅田で開催しており、その幹事役が今回私に回って来ていたのだが、最終的にはZoomを使ったオンライン飲み会のみとなった。本当は、リアル会場でもごく少人数で「静かなマスク会食」をしつつオンラインを併用する「ハイブリッド方式」でやれないかをギリギリまで検討していたのだが、あまりの感染者増の状況で断念せざるを得なかった。

ハイブリッド方式がうまく行けば、例えば同窓生が全国各地に散らばっていても、いくつかの拠点にサテライト会場を設けてオンラインで繋ぎ、さらには個別にオンライン参加もできて、参加可能性の高まる「ニューノーマルな同窓会」の嚆矢として、感染拡大を抑止しつつの飲食店への需要供給の両立ができると考えていたのだが残念だ。ただ、オンライン開催により、これまでは帰国・帰省でもしない限り参加のしようが無かった海外在留組も参加出来たのは意義があったと言えよう。

そして正月、これも元日恒例の淀川河川敷での高槻元旦マラソンも中止。ちなみにお節料理は今回は京都市へのふるさと納税返礼品であった。それで、元日夕方から私の親の実家にきょうだい家族が集まって会食していたのも中止。各家をZoomで繋いでのオンライン会食となった。ただし母単独でZoom操作するITスキルはないので、私だけは実家に中継要員として訪問したのではあるが。

正月二日夕方は、例年なら相方の実家に相方姉妹一家が集合しての会食だったところ、これも中止でオンライン中継。ここではZoomではなくLINEグループビデオ通話を利用。甥っ子姪っ子がアバター機能などをやたら駆使していたのが印象的だった。

こうした異例ずくめは今回限りであってほしいものだが、果たして。しかし、私の読みでは、最低でも次の冬シーズンも状況は大きく変わらないと予想している。

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