ランニング

2018年・正月

180101_12018年の正月はいつもと様子がだいぶ違った。というのも、年末休みに入ったとたん、相方が高熱。夜間休日の病院に行くとインフルエンザに罹っているとのこと。年末にやっている大掃除もいくつかとりやめ、寝る時も相方だけ部屋を隔離。それにしても、それまで一緒に部屋で寝ていた私と息子二人が発症しなかったのはなぜだろう。

年末年始のテレビは以前からまして関心がなくなってきたところ、年明け朝早々から長男が2チャンネル(NHK教育)のボタンを押すものだから、流れてくるのは新春狂言という、渋い幕開けとなった。

鏡餅は先月に次男坊の一升餅で作ったものをそのまま流用。橙と裏白は通販で買い足したもの。さすがに三宝はないのでお皿の上。

180101_2毎年恒例の高槻元旦マラソンも、前年と同様私一人で自転車にて枚方大橋まで出向く。比較的天気はよかった。

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コースは前年から2.5km周回の上限10kmまでというやり方に変わっている。これまた前年同様ゆっくり走りはじめて徐々にビルドアップするも、キロ4:10ペースで頭打ち。10kmを43分4秒ほどだった。ちなみに、この時の筋肉痛が2日後になってもまだ残っているという困った状況である。

180101_4おせち料理はこれも前回同様ふるさと納税(小牧市)返礼品でもらった千賀のおせち。中身的にビールよりも日本酒ということで昼間から飲む。

例年なら元日は私の実家に親戚集合、2日は相方の実家に親戚集合で夕食をともにするのだが、相方インフルエンザのためいずれもキャンセル。受験生の甥っ子がいるのと、相方の親戚も介護関係のため、発症者はもちろんのこと、たとえ発症してなくても一緒に過ごしていた人とは接触しないのだとか。

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本山寺でお弁当

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この日はとてもいい天気。特に予定がなかったので長男に何をしたいか聞くと、ポンポン山に行ってお弁当を食べたいというので、急遽相方に弁当を作ってもらい、私の漕ぐ自転車の前かごに乗せて目指すことにした。手前の住宅街でもかなりの上り坂に遭い苦戦。神峰山寺の手前では、ほぼ完成した新名神高速道路がちらっと見えた。この区間は来週開通らしい。

171203_2神峰山寺から本山寺までの上り坂も自転車で進む。もはや乗って漕ぐことは不可能で、降りて押して歩く。それでも約14kgの長男と自転車そのもの(三段変速ママチャリ、もちろん電動アシストは付いていない)の重みで、腕も疲れて脚にも来て、たまらず止まって休憩。気づけば長男はかごの中で寝ている。

171203_3本山寺手前1km弱の参拝者用駐車場があるところに自転車を置き、そこから2人して歩き始める。と思ったら、長男がすぐに歩きたくないと駄々をこねる。仕方がないので肩車で進むが、既にそれまでの自転車で脚を使い切っており、とてもつらい。途中にあるお地蔵さんのいる小さなお堂でまた休憩。

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残り二丁となったあたりから何とか長男を歩かせ、ようやく本山寺に到着。この調子でポンポン山頂上まで行くのはとても無理だと思い、ここで折り返しとし、弁当を広げた。紅葉はもうシーズンが終わっている感じだった。ハイカーの姿もごくまばら。

171203_5私と長男の2人分作ってもらった弁当をありがたくいただく。快晴で風も穏やかだが、それでも寒い。食べ終わったらすぐに下って帰路に就いた。それもかなりの部分は肩車。帰りの自転車はさすがに楽々だった。まあ行きの上りではスピードを出さずに心拍の負荷をかけられたので、それなりにいいトレーニングにはなっただろう。

なお、後で思ったところでは、長男は単にお弁当を作ってほしかっただけで、ポンポン山といったのは出まかせではないか、という疑いが我が家の中で持ち上がっている。

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大阪マラソン2017応援

171126_1相方が大阪マラソンを走るということで2年ぶりの応援で大阪の街へ向かう。2年前は長男をベビーカーに乗せていたと思うが、今回は長男を普通に連れて、2年前はまだ生まれていなかった次男は家で義母と一緒にお留守番である。

まずは応援隊の集合場所である南海難波駅付近へ向かう。子連れだとここまで来るのにも一苦労。ベビーカーのときは自分のペースで歩けたが、子供に歩かせると機動力は落ちるし、肩車すると重くてしんどい。

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もう少しランナーを見つけやすいところに移動。大国町の付近まで歩く。約23km地点。

171126_3受付の時にもらっていた、ハリセン型のプラカードと、スティック状の風船で応援しながら待ち構える。

171126_4相方はミニオンの仮装。この日はほかにもミニオン姿のランナーを結構多く見かけた。

ちなみに、以前はなかったと思うのだが、大会のサイトで、応援したい人のナンバーを登録しておくと、今そのランナーがどこにいるかが地図上に示され、かつ、応援ポイントを設定すると、そこに目当てのランナーが到達する予想時刻を表示してくれるという優れたシステムが提供されていた。タイム計測はおそらく5kmごと程度でしかしていないはずだし、まさか全ランナーにGPSを渡しているはずもなく、どうしてランナーの現在地がわかるのだろうか。実際は、若干の誤差(地図上ではもうランナーが来た状態よりも1、2分程度実際は遅れて登場する)があったようなので、ペースから推測してコマを動かしているのだろう。

このシステムのおかげで、地下鉄で追っかけながらこの先も何か所かで応援する際に、相手方をちゃんと追い抜いて先回りできたかどうか、あとどれぐらいで現れるかが、かなり正確に捕捉できた。

結局相方は5時間代後半でゴール。ところが合流するのを待っている間に、長男が寝てしまった。ゴール会場のインテックス大阪から帰る際は、混雑回避のためニュートラムの駅ではなく地下鉄中央線コスモスクエア駅まで歩くよう誘導されていたのだが、約14kgの重い荷物と化した長男を背負いながら、その長い道のりをまるで避難民のように歩くのは、なかなかに苦行であった。

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frun近江富士合宿(2)

171009_1frun合宿2日目。この日は、いよいよ近江富士こと三上山に走って登る。泊まった宿の敷地内にも既に山頂へ続く遊歩道があった。

171009_2天狗岩と名付けられた岩。まあ見た目どおりだわな。

ちなみにこの山は「富士」と呼ばれているが、富士山のような火山ではない。参考にしたサイトの記載によれば、元は海の底にあった堆積岩が隆起し、熱変性を受けて硬くなった岩の塊であり、硬いがゆえに周りの地面が浸食されて無くなったがここだけが残った、ということのようだ。地理的には残丘とでも言うのだろう。

171009_3というわけで、山頂に近づくにつれ、足もとは岩だらけとなり、急な登りが続く。「割岩」という巨大な岩が2つに割れている個所もあったが、上の方から見たらよくわからなかった。この先も岩をよじ登るような険しい登山ルートだ。

171009_4山頂に到着。標高は432mと大して高くはない。また山頂付近そのものは見晴らしがない。

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山頂からやや降りたところにある展望台の方が見晴らしがある。琵琶湖岸、野洲付近の平野が一望できる。

この日のランイベントはこの登山のみで終了。下山後、野洲駅で昼ごろに解散。新快速で缶ビールは飲んだが、打ち上げの飲み会もなし。ずいぶん大人しくなったものだ。

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frun近江富士合宿(1)

171008_01かつて10月初旬はfrunのおこしやすマラソンが開催されていたが、昨年で終了した。というわけでそのメモリアルとして、合宿のイベントが企画された。というか、草創期のfrunではそうした合宿をしていたらしい。今回の舞台は滋賀県野洲市の近江富士(三上山)麓にある近江富士花緑公園。その前座のマラニックは、草津がスタート。天井川となっている旧草津川(現在は流路付け替えで水は流れておらず、おしゃれなカフェなどが立ち並ぶ)の脇で、東海道と中山道が分かれるところから、中山道沿いに野洲方面へ向かって走る。

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草津宿本陣。中の見学もできるが有料なのでパス。

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やや進んで大宝神社。土俵があって相撲の行司も近日にあるらしい。お宮参りの家族連れの姿複数。

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大宝神社の境内に、松尾芭蕉の句碑がある。このあたりは綣(へそ)という地名で、「へそむらの まだ麦青し 春のくれ」という句が残されている。

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十王寺というお寺。通称「焔魔堂」。人が死んだら地獄で閻魔大王の裁きを受ける、というのが仏教での通俗的な設定だが、実は10人(そこは「人」じゃなくて「王」か)の裁きを受けるのだそうだ。閻魔大王はそのうちのひとりに過ぎない。

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これがその十王の一覧。初七日、四十九日の法要は聞き覚えがあるが、実は1週間ごとに裁きがあるのだそうだ。追善法要は、その裁きの場において、この人は生前こんなにいい人だったのですよと弁護する活動なんだってさ。

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今宿一里塚。かつては街道沿いに一里ごとに目印となる塚が置かれていたそうだが、この付近の中山道で残っているのは唯一ここだけらしい。

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土橋。旧栗太郡と旧野洲郡の境を流れる吉川に架かる橋。今でこそ数メートルの長さしかないが、かつては川幅(というか河川敷)が広かったので数十メートルの長さがある橋だったとのこと。

171008_09土橋を越えると守山宿のゾーンに入る。程なく東門院というお寺がある。東門というのは、比叡山から見て東にある門、だそうだ。東門院守山寺、という名前で、守山という地名もこの寺が発祥らしい。山を守る、ってのは、つまり比叡山を護るということか。

守山宿の中心部にある中山道街道文化交流館に立ち寄ると、ちょっとした展示物があったり、トイレ休憩も可能。管理人のオッチャンが走ってきた我々に対して興味津津だった。また、すぐ近くには宇野宗佑元首相の実家の町家を改修した、うの家というレストラン併設の施設もあった。ガイド役の若者が、近くの勝部神社で行われる「勝部の火まつり」も紹介してくれたが、これは冬に行われる奇祭。いずれも写真を撮り損ねたのでリンクにて手抜き御免候。

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野洲川を越えて野洲市に入る。向こうの方に近江富士が見えてきた。手前には東海道線の鉄橋。しかしよく考えると、草津から先のJR東海道線は中山道沿いに走っているので、東海道線と呼ぶのはちょっと変なんだな。真の東海道沿いの線路は、今では草津線及び関西本線となっている。

171008_11橋を渡ってすぐのところに、十輪院というお寺がある。無人のようだ。柵がしてあるが空いているので敷地内へ入ると、ここにも芭蕉の句碑がある。「野洲川や 身は安からぬ さらしうす」という俳句。野洲晒(さらし)という織物を川に晒す様子を詠んだそうだ。残念なことに案内板が折れて倒れていた。

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野洲の市街地に入ってきた。すると「背比べ地蔵」が鎮座していた。右側の小さい地蔵の方がそれ。その昔は産まれた子供が育つ際に病気などで命を落とすこともかなりあったが、この背比べ地蔵と同じぐらいの背丈まで育てばほぼ大丈夫だろう、という目安とされた大きさの地蔵なのだそうだ。かつては人口ピラミッドがその名のとおりピラミッドの形をしており、しかもその裾野がなだらかだったのだなあ、と思い知らされるエピソードである。

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いよいよ近江富士に近づいてきて、市街地を離れて山あいに突入。福林寺跡の磨崖仏が忽然と現れる。なお、仏像の周りが噛みついたような溝で囲われているのは、かつてこれを盗掘しようとして掘られた途中で止まった状態のものだそうだ。

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小さな石仏も並んでいる。

171008_15これらの石仏は何でここにあるのかはよくわかっていないそうだ。ただ、こうして囲うように並んでいる部分は、墓標のように見えなくもない。

171008_16また別の山肌にある妙光寺山磨崖仏も訪れた。これは巨大な岩の高いところに掘られたかなり大きなものである。

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磨崖仏を離れて、一路本日のマラニックの終着点、近江富士花緑公園へ。途中には、希望が丘文化公園のゲートもあって、10年ほど前まではここを会場にして視覚障害者駅伝をやっていたなあと懐かしむ。同駅伝の会場はその後各地を転々として、現在は長居公園となっている。

さて近江富士花緑公園のふるさと館に宿泊することとし、夕食はBBQ。その後も部屋で夜を明かしての宴会かなあ、と覚悟したが、何と皆々次々に布団で眠りに落ちていく。私を含め最後まで残った4人も、22時半にはお開きに。frunも高齢化が進んでいるわけだなと実感した。

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関東遠征(ラン・総括編)

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最近は東京方面出張といっても、ほとんど日帰りで、遊びを入れる余裕がないのだが、珍しくこの日は1泊2日の予定を取ることができた。鉄道編・グルメ編を別記事に譲ると、いきなり皇居からのスタート。初日の仕事を終え、泊地の神田に荷物を置いた後、久々に皇居を走ることができた。近年は超混んでいるといううわさを聞いていたが、この日は小雨で、時間帯も早めだったので、そんなに混んではいなかった。

気が付くことといえば、コース上にいくつも看板が立っていて、マナー向上を訴えていたり、反時計回りの一方通行を指示していた。昔はこんなのはなかったと思う。

170802_2タブレットを持って走り、ラン用アプリでコース等を記録させた結果がこれ。走行距離やマップ上のどこを走ったかがわかるようになっている。便利になったものだ。1周しかできなかったので、取り付け部分も含めて約7kmほどのランニング。

170802_3走った後はホテルの風呂に入って、frun関東の仲間と飲み会。自分が東京在住だった10年ほど前は、皇居練習会打ち上げは神田駅ガード下の「升亀」という店が定番だったのだが、その後閉店となってしまい、現在はこの「車屋」という居酒屋が定番となっているそうだ。もちろん自分は初めての訪問。こうして声をかけると飲みに付き合ってくれるラン仲間の全国ネットワークは、つくづく有り難いと感じる。

170803_1さて翌日。記事の日付とずれるがここにまとめる。この日最初の用務先は、東京駅八重洲口の近くのオフィスビル。某企業を訪問。

170803_2午後からの訪問には若干間が空いたので、新橋駅周辺で時間調整。新橋駅前にあるニュー新橋ビル、今まで中に入ったことがなかったので、入ってみた。昼過ぎだったが飲食店はまだ客も多い。「カレーは飲み物。」というどこかで聞いたことがあるフレーズが店名となっているカレー店に行列ができていた。

170803_3こちらは「みぼうじんカレー」という、これまたインパクトのあるある店名。同じく行列ができていた。

170803_4「交通ギャラリー」という鉄オタ御用達の店も発見。テレビで見たことがあるような気がする。

このほか、1階にはチケットショップ、2階にはマッサージ店、そのほか昔ながらのゲームセンターがあるかと思えば、ごく普通のクリニックもあり、主にサラリーマンをターゲットにしているであろう雑多な店々が混然と存在する、カオスな世界であった。

170803_5新橋駅前の広場では「ふくしまの酒」をPRするイベントが準備中だった。開始は夕方からだったので残念ながら参加はできず。

170803_6駅近くにある「烏森神社」を参拝。新橋駅の「烏森口」はこの神社から名を取ったのであろうが、今まで一度も訪れたことがなかったので、ちょうどいい機会となった。

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奈良柳生マラニック

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この日はラン仲間4人でマラニック。JR奈良駅に一旦集合した後、駅構内のコインロッカーに荷物を預け、関西本線笠置駅まで移動。加茂駅から先はキハ120系、ディーゼルのワンマンカー。ちょうど乗り換えたあたりからにわか雨が降り出した。

170723_2雨雲レーダー画面とにらめっこして、しばらくすれば小止みになると見切り、笠置駅で少し待機した後走り出した。今回のコースは、柳生街道という道を基本的に沿っていく。そしてこれがまた東海自然歩道にも位置づけられているのには驚いた。

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野を越え山越えのトレイルコースがひたすら続く。京都府笠置町は程なく終わり、県境を越えて奈良市内に入る。奈良市と言えども田舎の農村やトレイルの風景が繰り返される。

お昼時になって、柳生茶屋という店に到着。以前閉店したという情報があったので心配だったが、着いてみると開いていた。

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ここでお昼ご飯。ざるそばと、朴葉寿司(ほおばすし=柿の葉寿司の柿の葉の代わりに朴葉を使ったもの)のセットをいただいた。店の人の話を聞くと、店のオーナーが無くなられたので2015年に一旦閉店となったが、その後地元有志の力で2016年秋に復活したのだそうだ。今は土日だけ開いているとのこと。我々が笠置駅から走ってきたと聞いて驚かれた。

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既に「柳生の里」というエリアに入ってきている。剣豪・柳生十兵衛ゆかりの地である。木立の中に真っ二つに分かれた巨石があり、一刀石と呼ばれている。何でも、柳生新陰流の始祖、石舟斎宗厳が、天狗だと思い一刀のもとに切り捨てたら、天狗はかき消えて2つに割れた巨石が残ったのだとか。ルパン三世の石川五衛門かよ。いやあ、これ、単に節理で割れただけでしょ、と地学履修者は思うのであった。

170723_6マラニックはまだ続く。全くと言っていいほど走れていない最近の我が身にはだいぶこたえてきた。天気も曇りから時折日が射す空模様となり、暑い。ナンとか寺とかを経由していくのだが、土地勘がないのでどこをどう走っているのかよくわからない。そうこうするうちに、春日山の裏手までようやくたどり着く。鶯の滝があるので立ち寄った。滝壺まで間近に近寄ることができた。しばしのヒーリング。

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若草山山頂に到着。ゴールも見えてきた。若草山といってもここはその三重目、一番高いところだそうで、奈良市内観光で一般的に言われる若草山は一重目の一番低いところなのだとか。奈良市街を一望でき、そしてその手前では鹿がのんびりと草を食んでいた。

この後はひたすら山を下り、市街地を駆け抜けてJR奈良駅へ。30km弱のマラニックは無事完走できた。銭湯で汗を流した後、本当の目的であるビアホールへ。さらに2名加わり6名での飲み会。走った後のビールのうまいこと。調子よく飲みすぎて、帰りの大和路快速で乗り過ごした。

(不善亭日乗「ビアホールLSD」にトラックバック)

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ポンポン山&ジャズスト2017

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今年もポンポン山マラニック&高槻ジャズストリート鑑賞を開催した。例年は5月3日の実施だが、今年は4日にスライド。理由としては、銭湯の休業曜日を避けたことと、例年伴走者の確保に苦労しており、(伴走者が取られやすい)武庫川ユリカモメとは異なる日にしたことが挙げられる。

こうして今回は昨年のような伴走者勧誘工作もしなくていいやと油断していると、当日朝の集合場所の高槻駅で伴走が足らないことに気がついて愕然。元々伴走は1名余裕があったのだが、先月の伏見名水マラニックの際に1名ブラインドランナーから口頭での参加申し込み、その場でいいよと答えていたのをすっかり忘れて、開催直前にもメールでまた別のブラインドランナーから参加申し込み。これにもいいよと答えてしまったのがチョンボだった。ブラインドランナー4名、伴走可能な晴眼者ランナー3名。さあ、どうする。

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救いだったのは、ブラインド4人のうち1人は弱視で、前を走る人の後ろにぴったり付いて行くなら何とか単独でも走れるので、ひとまず舗装路はそれで走ってもらうことにする。トレイル区間については、その場で考えよう。

往路コースの定番、芥川河川敷のこいのぼりは、非常にいい天気で、青空に映えていた。

なお、今回の小さな改善点として、従来頂上で取る軽食はスタート時に買っていたのだが、コース途中にあるスーパー「ピーコック松が丘店」に寄って買うことにした。こうすれば持って走る距離を少しだが減らすことになる。

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7名全員本山寺までは到達。さてここからのトレイルコースをどうするか。これまで、トレイル区間では「電車ごっこ方式」のタンデム伴走(2013年の記事参照)をしてきたが、今回は1組を3人で編成し、3人縦一列で並んで走ってみることにした。先頭が私、2番目に全盲のブラインドランナー、最後尾に弱視のブラインドランナー。試してみると、スピードを出さなければ何とかなりそうだ。慎重に足を運んで、無事全員ポンポン山山頂までたどり着くことができた。

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山頂付近は連休中ということもあり多くの登山客でにぎわっていた。それほど寒くはなかったが、時折強めの風が吹いて砂埃が舞い上がるのには閉口。

復路も3人一組伴走で無事トレイル区間を走破。これを「三重連伴走」と名付けることにした。あくまで非常手段なので、今後はこうならないよう気をつけねば。なお、時間の都合により、神峯山寺口から市バスで高槻駅までワープ。こんなこともあろうかと障害者手帳も持って走ってもらったので、介助者は半額の110円でよい。運転手に申し出たら交通系ICでの支払いもできた。

170504_5銭湯で汗を流した後は、若干のメンバー入れ替わりをしつつ、後半戦の高槻ジャスストリート観賞へ。まずは阪急高槻市駅高架下会場近くで、買い込んだ弁当を食べながら聴く。

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次は高槻現代劇場大ホールに移って鑑賞。待ち行列が長かったが無事入り込めた。当初予定の演者が急に出演できなくなって、なぜかセイン・カミュ氏が出てきてお詫びのあいさつという一幕もあったが、別の演者がピンチヒッターで登場。さすが大ホールを務める演者にはハズレがない。ピアノとベースのたった2つだけの楽器なのに満員の観客を魅了。合間のMCも大いに笑わせてくれた。その次の演者も女性ボーカルとピアノだけだったが、これまた圧倒的な演奏を聞かせてくれた。津軽弁で歌うジャズなんてのも初めて聞いた。

会場を後にして、小腹が空いたのでラーメンで締めてからの解散となった。

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伏見名水マラニック2017

170429_01今年も、恒例となった伏見名水マラニックに参加した。伏見稲荷大社お旅所に7名ほどのランナーが集結。舞台でお神楽が奉納され始めたから、ではなく、その後ろで近鉄特急しまかぜが走り抜けたからあわててカメラ(タブレット)を向けるも、タイミングが遅れて最後尾がかろうじて写ったのみ。

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伏見名水スタンプラリーの最初のポイント、藤森神社まで走る。ここでもう1名合流。

170429_03次のチェックポイント、清和荘にある清和の井。

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3つめのチェックポイント、城南宮。この日は曲水の宴が開かれていた。というか、4/29に開催すれば常に重なることになる。本殿は改修工事中だった。

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そしてこの後、昨年から開拓された新名所、鳥羽水環境保全センターにも立ち寄る。昨年の経験を生かし、事前にコンビニで昼食を買ってから赴く。前回は南の方に遠回りしてしまったので、北側からのアプローチを試みるも、どうも後から航跡をたどってみたところでは、ちょっと遠回りだったようだ。

どうやら国道1号線沿いに京都南インターをくぐるのは間違いで、城南宮北側の道をそのまま西進して鴨川を渡り、渡り終わったら千本通り沿いに北上、左側にある一方通行の細い道を西進して公園の南縁を通り、堤防に当たったら階段を上って歩行者専用の細い橋で西高瀬川を渡り、渡った先に下水処理場の歩行者用入り口がある、これが正解のルートのようだ。次回以降の参考のために書き残しておくことにする。

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たくさんの藤棚が続いていて、盛況だった。昨年と比べて若干開花は遅めのようで、まだ満開ちょっと手前の藤も見られた。机とベンチのあるスペースで買ってきた昼食をいただく。ちなみに、会場内での飲酒は禁止との掲示がされていたので念のため。

170429_07この日の天気予報では、大気の状態が不安定で昼過ぎからところにより雷雨、雹が降るかも、といわれていたが、果たしてそのとおりになりつつあった。一転にわかに掻き曇り、北の方から黒い雨雲が迫ってきて、冷たい強い風が吹き始めた。積乱雲が迫っている兆候だ。それでも、雨は降っても短時間、その間をしのげれば何とかなると見切ってラン続行。スタンプラリーのキンシ正宗、大黒寺を過ぎたあたりでパラパラと降りだした。その先、大手筋商店街がアーケードなのでそこに逃げ込んだ。すると、雨はそれほどの豪雨になることもなくすぐに去って行ったようで、ランを再開してキザクラカッパカントリーへ向かった。

170429_08敷地内にある黄桜(しかし黄色ではなかった)をバックに、黄桜の地ビール「蔵のかほり」をいただいた。

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月桂冠大倉記念館。ここの水はまだ一度も飲んだことがない。

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運河に浮かぶ十石舟。青空が戻ってきた。

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長建寺。お寺の住職がえらく饒舌だった。

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スタンプとは関係ないが寺田屋の前も通ってみる。さすがに観光客多し。ただし、この建物が建てられた年代からすると、坂本竜馬が実際に襲撃された際の建物が残っていることはあり得ない。刀の傷跡は、鰯の頭も信心から。

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最後のチェックポイント、御香宮神社に到着。今回のお猪口は、ここ御香宮の水である「御香水」がデザインされていた。

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最後におまけ。京都駅前までラン完走後に立ち寄った銭湯「日の出湯」。あとでよく見ると、寺田屋と似た造りの建物。というかむしろこちらの方が風情があった。

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高槻クロスカントリー2017

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2年ぶりで、高槻クロスカントリーに参加。実家に子供を預けて、相方と2人で会場の高槻市萩谷運動公園まで車で向かう。自転車で行って走る前から脚を使い果たして大失敗した以前の教訓に基づくもの。

ところが、公園の駐車場入口で係の人に問いただされ、クロカン出場の車であれば、公園の駐車場は使えず、1~2kmほど離れたところにある関西大学敷地内の臨時駐車場を使えとのこと。純粋に公園利用の車なら、まだ満車ではなく停められる感じだった。さすがに嘘ついてまで停めるようなあくどさは持ち合わせていないので、素直に従う。臨時駐車場もかなりたくさんの車が停まっていた。確かにこれらがすべて公園駐車場に押し掛けたらあっという間に満車で、普段の利用客には大迷惑だろう。この措置は致し方あるまい。臨時駐車場から公園まで臨時のシャトルバスが出ていたが、往復200円と有料。1kmぐらいなら、ということで歩いて会場に向かう。

この日は晴れて暖かく絶好のクロカン日和。走力が落ちているのは織り込み済みなので、あまり前の方には出しゃばらず、ゆっくり目のペースで走り出す。高低差約60mの周回コースを3周、8kmで35分37秒。男子総合39位、男子40代の部で11位という結果だった。前半抑えたおかげで、ゴール手前で追いつかれそうになった女子先頭ランナーからはかろうじて逃げ切り成功。

公園には子供向け遊具なども充実しており、賑わっていた。子守役の実家両親共々子供たちを遊ばせに連れてきてもよかったなと思った次第。そうすれば、公園利用なので、公園の駐車場にも停められようというもの。

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