ランニング

frun近江富士合宿(2)

171009_1frun合宿2日目。この日は、いよいよ近江富士こと三上山に走って登る。泊まった宿の敷地内にも既に山頂へ続く遊歩道があった。

171009_2天狗岩と名付けられた岩。まあ見た目どおりだわな。

ちなみにこの山は「富士」と呼ばれているが、富士山のような火山ではない。参考にしたサイトの記載によれば、元は海の底にあった堆積岩が隆起し、熱変性を受けて硬くなった岩の塊であり、硬いがゆえに周りの地面が浸食されて無くなったがここだけが残った、ということのようだ。地理的には残丘とでも言うのだろう。

171009_3というわけで、山頂に近づくにつれ、足もとは岩だらけとなり、急な登りが続く。「割岩」という巨大な岩が2つに割れている個所もあったが、上の方から見たらよくわからなかった。この先も岩をよじ登るような険しい登山ルートだ。

171009_4山頂に到着。標高は432mと大して高くはない。また山頂付近そのものは見晴らしがない。

171009_5
山頂からやや降りたところにある展望台の方が見晴らしがある。琵琶湖岸、野洲付近の平野が一望できる。

この日のランイベントはこの登山のみで終了。下山後、野洲駅で昼ごろに解散。新快速で缶ビールは飲んだが、打ち上げの飲み会もなし。ずいぶん大人しくなったものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

frun近江富士合宿(1)

171008_01かつて10月初旬はfrunのおこしやすマラソンが開催されていたが、昨年で終了した。というわけでそのメモリアルとして、合宿のイベントが企画された。というか、草創期のfrunではそうした合宿をしていたらしい。今回の舞台は滋賀県野洲市の近江富士(三上山)麓にある近江富士花緑公園。その前座のマラニックは、草津がスタート。天井川となっている旧草津川(現在は流路付け替えで水は流れておらず、おしゃれなカフェなどが立ち並ぶ)の脇で、東海道と中山道が分かれるところから、中山道沿いに野洲方面へ向かって走る。

171008_02
草津宿本陣。中の見学もできるが有料なのでパス。

171008_03
やや進んで大宝神社。土俵があって相撲の行司も近日にあるらしい。お宮参りの家族連れの姿複数。

171008_04
大宝神社の境内に、松尾芭蕉の句碑がある。このあたりは綣(へそ)という地名で、「へそむらの まだ麦青し 春のくれ」という句が残されている。

171008_05
十王寺というお寺。通称「焔魔堂」。人が死んだら地獄で閻魔大王の裁きを受ける、というのが仏教での通俗的な設定だが、実は10人(そこは「人」じゃなくて「王」か)の裁きを受けるのだそうだ。閻魔大王はそのうちのひとりに過ぎない。

171008_06
これがその十王の一覧。初七日、四十九日の法要は聞き覚えがあるが、実は1週間ごとに裁きがあるのだそうだ。追善法要は、その裁きの場において、この人は生前こんなにいい人だったのですよと弁護する活動なんだってさ。

171008_07
今宿一里塚。かつては街道沿いに一里ごとに目印となる塚が置かれていたそうだが、この付近の中山道で残っているのは唯一ここだけらしい。

171008_08
土橋。旧栗太郡と旧野洲郡の境を流れる吉川に架かる橋。今でこそ数メートルの長さしかないが、かつては川幅(というか河川敷)が広かったので数十メートルの長さがある橋だったとのこと。

171008_09土橋を越えると守山宿のゾーンに入る。程なく東門院というお寺がある。東門というのは、比叡山から見て東にある門、だそうだ。東門院守山寺、という名前で、守山という地名もこの寺が発祥らしい。山を守る、ってのは、つまり比叡山を護るということか。

守山宿の中心部にある中山道街道文化交流館に立ち寄ると、ちょっとした展示物があったり、トイレ休憩も可能。管理人のオッチャンが走ってきた我々に対して興味津津だった。また、すぐ近くには宇野宗佑元首相の実家の町家を改修した、うの家というレストラン併設の施設もあった。ガイド役の若者が、近くの勝部神社で行われる「勝部の火まつり」も紹介してくれたが、これは冬に行われる奇祭。いずれも写真を撮り損ねたのでリンクにて手抜き御免候。

171008_10
野洲川を越えて野洲市に入る。向こうの方に近江富士が見えてきた。手前には東海道線の鉄橋。しかしよく考えると、草津から先のJR東海道線は中山道沿いに走っているので、東海道線と呼ぶのはちょっと変なんだな。真の東海道沿いの線路は、今では草津線及び関西本線となっている。

171008_11橋を渡ってすぐのところに、十輪院というお寺がある。無人のようだ。柵がしてあるが空いているので敷地内へ入ると、ここにも芭蕉の句碑がある。「野洲川や 身は安からぬ さらしうす」という俳句。野洲晒(さらし)という織物を川に晒す様子を詠んだそうだ。残念なことに案内板が折れて倒れていた。

171008_12
野洲の市街地に入ってきた。すると「背比べ地蔵」が鎮座していた。右側の小さい地蔵の方がそれ。その昔は産まれた子供が育つ際に病気などで命を落とすこともかなりあったが、この背比べ地蔵と同じぐらいの背丈まで育てばほぼ大丈夫だろう、という目安とされた大きさの地蔵なのだそうだ。かつては人口ピラミッドがその名のとおりピラミッドの形をしており、しかもその裾野がなだらかだったのだなあ、と思い知らされるエピソードである。

171008_13
いよいよ近江富士に近づいてきて、市街地を離れて山あいに突入。福林寺跡の磨崖仏が忽然と現れる。なお、仏像の周りが噛みついたような溝で囲われているのは、かつてこれを盗掘しようとして掘られた途中で止まった状態のものだそうだ。

171008_14
小さな石仏も並んでいる。

171008_15これらの石仏は何でここにあるのかはよくわかっていないそうだ。ただ、こうして囲うように並んでいる部分は、墓標のように見えなくもない。

171008_16また別の山肌にある妙光寺山磨崖仏も訪れた。これは巨大な岩の高いところに掘られたかなり大きなものである。

171008_17
磨崖仏を離れて、一路本日のマラニックの終着点、近江富士花緑公園へ。途中には、希望が丘文化公園のゲートもあって、10年ほど前まではここを会場にして視覚障害者駅伝をやっていたなあと懐かしむ。同駅伝の会場はその後各地を転々として、現在は長居公園となっている。

さて近江富士花緑公園のふるさと館に宿泊することとし、夕食はBBQ。その後も部屋で夜を明かしての宴会かなあ、と覚悟したが、何と皆々次々に布団で眠りに落ちていく。私を含め最後まで残った4人も、22時半にはお開きに。frunも高齢化が進んでいるわけだなと実感した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

関東遠征(ラン・総括編)

170802_1
最近は東京方面出張といっても、ほとんど日帰りで、遊びを入れる余裕がないのだが、珍しくこの日は1泊2日の予定を取ることができた。鉄道編・グルメ編を別記事に譲ると、いきなり皇居からのスタート。初日の仕事を終え、泊地の神田に荷物を置いた後、久々に皇居を走ることができた。近年は超混んでいるといううわさを聞いていたが、この日は小雨で、時間帯も早めだったので、そんなに混んではいなかった。

気が付くことといえば、コース上にいくつも看板が立っていて、マナー向上を訴えていたり、反時計回りの一方通行を指示していた。昔はこんなのはなかったと思う。

170802_2タブレットを持って走り、ラン用アプリでコース等を記録させた結果がこれ。走行距離やマップ上のどこを走ったかがわかるようになっている。便利になったものだ。1周しかできなかったので、取り付け部分も含めて約7kmほどのランニング。

170802_3走った後はホテルの風呂に入って、frun関東の仲間と飲み会。自分が東京在住だった10年ほど前は、皇居練習会打ち上げは神田駅ガード下の「升亀」という店が定番だったのだが、その後閉店となってしまい、現在はこの「車屋」という居酒屋が定番となっているそうだ。もちろん自分は初めての訪問。こうして声をかけると飲みに付き合ってくれるラン仲間の全国ネットワークは、つくづく有り難いと感じる。

170803_1さて翌日。記事の日付とずれるがここにまとめる。この日最初の用務先は、東京駅八重洲口の近くのオフィスビル。某企業を訪問。

170803_2午後からの訪問には若干間が空いたので、新橋駅周辺で時間調整。新橋駅前にあるニュー新橋ビル、今まで中に入ったことがなかったので、入ってみた。昼過ぎだったが飲食店はまだ客も多い。「カレーは飲み物。」というどこかで聞いたことがあるフレーズが店名となっているカレー店に行列ができていた。

170803_3こちらは「みぼうじんカレー」という、これまたインパクトのあるある店名。同じく行列ができていた。

170803_4「交通ギャラリー」という鉄オタ御用達の店も発見。テレビで見たことがあるような気がする。

このほか、1階にはチケットショップ、2階にはマッサージ店、そのほか昔ながらのゲームセンターがあるかと思えば、ごく普通のクリニックもあり、主にサラリーマンをターゲットにしているであろう雑多な店々が混然と存在する、カオスな世界であった。

170803_5新橋駅前の広場では「ふくしまの酒」をPRするイベントが準備中だった。開始は夕方からだったので残念ながら参加はできず。

170803_6駅近くにある「烏森神社」を参拝。新橋駅の「烏森口」はこの神社から名を取ったのであろうが、今まで一度も訪れたことがなかったので、ちょうどいい機会となった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

奈良柳生マラニック

170723_1
この日はラン仲間4人でマラニック。JR奈良駅に一旦集合した後、駅構内のコインロッカーに荷物を預け、関西本線笠置駅まで移動。加茂駅から先はキハ120系、ディーゼルのワンマンカー。ちょうど乗り換えたあたりからにわか雨が降り出した。

170723_2雨雲レーダー画面とにらめっこして、しばらくすれば小止みになると見切り、笠置駅で少し待機した後走り出した。今回のコースは、柳生街道という道を基本的に沿っていく。そしてこれがまた東海自然歩道にも位置づけられているのには驚いた。

170723_3
野を越え山越えのトレイルコースがひたすら続く。京都府笠置町は程なく終わり、県境を越えて奈良市内に入る。奈良市と言えども田舎の農村やトレイルの風景が繰り返される。

お昼時になって、柳生茶屋という店に到着。以前閉店したという情報があったので心配だったが、着いてみると開いていた。

170723_4
ここでお昼ご飯。ざるそばと、朴葉寿司(ほおばすし=柿の葉寿司の柿の葉の代わりに朴葉を使ったもの)のセットをいただいた。店の人の話を聞くと、店のオーナーが無くなられたので2015年に一旦閉店となったが、その後地元有志の力で2016年秋に復活したのだそうだ。今は土日だけ開いているとのこと。我々が笠置駅から走ってきたと聞いて驚かれた。

170723_5
既に「柳生の里」というエリアに入ってきている。剣豪・柳生十兵衛ゆかりの地である。木立の中に真っ二つに分かれた巨石があり、一刀石と呼ばれている。何でも、柳生新陰流の始祖、石舟斎宗厳が、天狗だと思い一刀のもとに切り捨てたら、天狗はかき消えて2つに割れた巨石が残ったのだとか。ルパン三世の石川五衛門かよ。いやあ、これ、単に節理で割れただけでしょ、と地学履修者は思うのであった。

170723_6マラニックはまだ続く。全くと言っていいほど走れていない最近の我が身にはだいぶこたえてきた。天気も曇りから時折日が射す空模様となり、暑い。ナンとか寺とかを経由していくのだが、土地勘がないのでどこをどう走っているのかよくわからない。そうこうするうちに、春日山の裏手までようやくたどり着く。鶯の滝があるので立ち寄った。滝壺まで間近に近寄ることができた。しばしのヒーリング。

170723_7
若草山山頂に到着。ゴールも見えてきた。若草山といってもここはその三重目、一番高いところだそうで、奈良市内観光で一般的に言われる若草山は一重目の一番低いところなのだとか。奈良市街を一望でき、そしてその手前では鹿がのんびりと草を食んでいた。

この後はひたすら山を下り、市街地を駆け抜けてJR奈良駅へ。30km弱のマラニックは無事完走できた。銭湯で汗を流した後、本当の目的であるビアホールへ。さらに2名加わり6名での飲み会。走った後のビールのうまいこと。調子よく飲みすぎて、帰りの大和路快速で乗り過ごした。

(不善亭日乗「ビアホールLSD」にトラックバック)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ポンポン山&ジャズスト2017

170504_1
今年もポンポン山マラニック&高槻ジャズストリート鑑賞を開催した。例年は5月3日の実施だが、今年は4日にスライド。理由としては、銭湯の休業曜日を避けたことと、例年伴走者の確保に苦労しており、(伴走者が取られやすい)武庫川ユリカモメとは異なる日にしたことが挙げられる。

こうして今回は昨年のような伴走者勧誘工作もしなくていいやと油断していると、当日朝の集合場所の高槻駅で伴走が足らないことに気がついて愕然。元々伴走は1名余裕があったのだが、先月の伏見名水マラニックの際に1名ブラインドランナーから口頭での参加申し込み、その場でいいよと答えていたのをすっかり忘れて、開催直前にもメールでまた別のブラインドランナーから参加申し込み。これにもいいよと答えてしまったのがチョンボだった。ブラインドランナー4名、伴走可能な晴眼者ランナー3名。さあ、どうする。

170504_2
救いだったのは、ブラインド4人のうち1人は弱視で、前を走る人の後ろにぴったり付いて行くなら何とか単独でも走れるので、ひとまず舗装路はそれで走ってもらうことにする。トレイル区間については、その場で考えよう。

往路コースの定番、芥川河川敷のこいのぼりは、非常にいい天気で、青空に映えていた。

なお、今回の小さな改善点として、従来頂上で取る軽食はスタート時に買っていたのだが、コース途中にあるスーパー「ピーコック松が丘店」に寄って買うことにした。こうすれば持って走る距離を少しだが減らすことになる。

170504_3
7名全員本山寺までは到達。さてここからのトレイルコースをどうするか。これまで、トレイル区間では「電車ごっこ方式」のタンデム伴走(2013年の記事参照)をしてきたが、今回は1組を3人で編成し、3人縦一列で並んで走ってみることにした。先頭が私、2番目に全盲のブラインドランナー、最後尾に弱視のブラインドランナー。試してみると、スピードを出さなければ何とかなりそうだ。慎重に足を運んで、無事全員ポンポン山山頂までたどり着くことができた。

170504_4
山頂付近は連休中ということもあり多くの登山客でにぎわっていた。それほど寒くはなかったが、時折強めの風が吹いて砂埃が舞い上がるのには閉口。

復路も3人一組伴走で無事トレイル区間を走破。これを「三重連伴走」と名付けることにした。あくまで非常手段なので、今後はこうならないよう気をつけねば。なお、時間の都合により、神峯山寺口から市バスで高槻駅までワープ。こんなこともあろうかと障害者手帳も持って走ってもらったので、介助者は半額の110円でよい。運転手に申し出たら交通系ICでの支払いもできた。

170504_5銭湯で汗を流した後は、若干のメンバー入れ替わりをしつつ、後半戦の高槻ジャスストリート観賞へ。まずは阪急高槻市駅高架下会場近くで、買い込んだ弁当を食べながら聴く。

170504_6
次は高槻現代劇場大ホールに移って鑑賞。待ち行列が長かったが無事入り込めた。当初予定の演者が急に出演できなくなって、なぜかセイン・カミュ氏が出てきてお詫びのあいさつという一幕もあったが、別の演者がピンチヒッターで登場。さすが大ホールを務める演者にはハズレがない。ピアノとベースのたった2つだけの楽器なのに満員の観客を魅了。合間のMCも大いに笑わせてくれた。その次の演者も女性ボーカルとピアノだけだったが、これまた圧倒的な演奏を聞かせてくれた。津軽弁で歌うジャズなんてのも初めて聞いた。

会場を後にして、小腹が空いたのでラーメンで締めてからの解散となった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

伏見名水マラニック2017

170429_01今年も、恒例となった伏見名水マラニックに参加した。伏見稲荷大社お旅所に7名ほどのランナーが集結。舞台でお神楽が奉納され始めたから、ではなく、その後ろで近鉄特急しまかぜが走り抜けたからあわててカメラ(タブレット)を向けるも、タイミングが遅れて最後尾がかろうじて写ったのみ。

170429_02
伏見名水スタンプラリーの最初のポイント、藤森神社まで走る。ここでもう1名合流。

170429_03次のチェックポイント、清和荘にある清和の井。

170429_04
3つめのチェックポイント、城南宮。この日は曲水の宴が開かれていた。というか、4/29に開催すれば常に重なることになる。本殿は改修工事中だった。

170429_05
そしてこの後、昨年から開拓された新名所、鳥羽水環境保全センターにも立ち寄る。昨年の経験を生かし、事前にコンビニで昼食を買ってから赴く。前回は南の方に遠回りしてしまったので、北側からのアプローチを試みるも、どうも後から航跡をたどってみたところでは、ちょっと遠回りだったようだ。

どうやら国道1号線沿いに京都南インターをくぐるのは間違いで、城南宮北側の道をそのまま西進して鴨川を渡り、渡り終わったら千本通り沿いに北上、左側にある一方通行の細い道を西進して公園の南縁を通り、堤防に当たったら階段を上って歩行者専用の細い橋で西高瀬川を渡り、渡った先に下水処理場の歩行者用入り口がある、これが正解のルートのようだ。次回以降の参考のために書き残しておくことにする。

170429_06
たくさんの藤棚が続いていて、盛況だった。昨年と比べて若干開花は遅めのようで、まだ満開ちょっと手前の藤も見られた。机とベンチのあるスペースで買ってきた昼食をいただく。ちなみに、会場内での飲酒は禁止との掲示がされていたので念のため。

170429_07この日の天気予報では、大気の状態が不安定で昼過ぎからところにより雷雨、雹が降るかも、といわれていたが、果たしてそのとおりになりつつあった。一転にわかに掻き曇り、北の方から黒い雨雲が迫ってきて、冷たい強い風が吹き始めた。積乱雲が迫っている兆候だ。それでも、雨は降っても短時間、その間をしのげれば何とかなると見切ってラン続行。スタンプラリーのキンシ正宗、大黒寺を過ぎたあたりでパラパラと降りだした。その先、大手筋商店街がアーケードなのでそこに逃げ込んだ。すると、雨はそれほどの豪雨になることもなくすぐに去って行ったようで、ランを再開してキザクラカッパカントリーへ向かった。

170429_08敷地内にある黄桜(しかし黄色ではなかった)をバックに、黄桜の地ビール「蔵のかほり」をいただいた。

170429_09
月桂冠大倉記念館。ここの水はまだ一度も飲んだことがない。

170429_10
運河に浮かぶ十石舟。青空が戻ってきた。

170429_11
長建寺。お寺の住職がえらく饒舌だった。

170429_12
スタンプとは関係ないが寺田屋の前も通ってみる。さすがに観光客多し。ただし、この建物が建てられた年代からすると、坂本竜馬が実際に襲撃された際の建物が残っていることはあり得ない。刀の傷跡は、鰯の頭も信心から。

170429_13
最後のチェックポイント、御香宮神社に到着。今回のお猪口は、ここ御香宮の水である「御香水」がデザインされていた。

170429_14
最後におまけ。京都駅前までラン完走後に立ち寄った銭湯「日の出湯」。あとでよく見ると、寺田屋と似た造りの建物。というかむしろこちらの方が風情があった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高槻クロスカントリー2017

170312
2年ぶりで、高槻クロスカントリーに参加。実家に子供を預けて、相方と2人で会場の高槻市萩谷運動公園まで車で向かう。自転車で行って走る前から脚を使い果たして大失敗した以前の教訓に基づくもの。

ところが、公園の駐車場入口で係の人に問いただされ、クロカン出場の車であれば、公園の駐車場は使えず、1~2kmほど離れたところにある関西大学敷地内の臨時駐車場を使えとのこと。純粋に公園利用の車なら、まだ満車ではなく停められる感じだった。さすがに嘘ついてまで停めるようなあくどさは持ち合わせていないので、素直に従う。臨時駐車場もかなりたくさんの車が停まっていた。確かにこれらがすべて公園駐車場に押し掛けたらあっという間に満車で、普段の利用客には大迷惑だろう。この措置は致し方あるまい。臨時駐車場から公園まで臨時のシャトルバスが出ていたが、往復200円と有料。1kmぐらいなら、ということで歩いて会場に向かう。

この日は晴れて暖かく絶好のクロカン日和。走力が落ちているのは織り込み済みなので、あまり前の方には出しゃばらず、ゆっくり目のペースで走り出す。高低差約60mの周回コースを3周、8kmで35分37秒。男子総合39位、男子40代の部で11位という結果だった。前半抑えたおかげで、ゴール手前で追いつかれそうになった女子先頭ランナーからはかろうじて逃げ切り成功。

公園には子供向け遊具なども充実しており、賑わっていた。子守役の実家両親共々子供たちを遊ばせに連れてきてもよかったなと思った次第。そうすれば、公園利用なので、公園の駐車場にも停められようというもの。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

駅伝大会2017

170311
今年もまた職場の駅伝大会で鴨川河川敷へ。昨年同様、前の部署の助っ人という立場。人気は相変わらずで全体では50チーム余りが参加。天気予報は晴れだったのだが、時折小雨がぱらつく、若干時雨のような天気で寒い。

今回も全6区中のうち、裏エース区間5区3.6kmを担当。回ってきたタスキは10番手よりも遅いぐらい。14分40秒台ぐらいとどうしようもない遅さだったが、この位置だとそれでも5人ぐらいは抜き去ってのタスキリレー。チーム全体の順位は15位だったそうだ。

なお今までは職場内の某ランニングチームが主催だったが、高齢化等で人手不足ということで、今回から実行委員会形式での開催に切り替わった。私が一応所属するfrunも高齢化著しく、だからこそおこしやすマラソンも終了となったわけだが、どこも同じような状況なのかしら。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

渡し舟マラニック(後編)

170211_11前編からの続き。大阪市内とは思えないさびれた無人駅が現れた。南海電車汐見橋線の木津川駅だ。

170211_1230分に1本しかない南海電車が走ってきた。一応電化・複線である。ごくわずかだが乗客も乗っている。

170211_13終点の南海汐見橋駅。

170211_14
汐見橋駅の料金表。これを見ると汐見橋線は盲腸線のようだが、実はもともと南海高野線はここが起点で、南海本線と岸里玉出でクロスしていたのだ。地図を見ると一目瞭然。

170211_15大阪ドーム近く、千日前通りが木津川を渡る大正橋のたもとに、津波被害の慰霊碑があった。後で調べると大地震両川口津浪記石碑という文化財にもなっている史跡のようだ。この石碑のほかに、江戸時代にあった津波被害を記した案内板が掲げられているが、書き起こすのも大変なので、これについて詳しく案内しているブログ記事があったので、そちらへリンクさせていただくこととする。

(十三のいま昔を歩こう:「大阪にも大津波・安政大津波(浪)碑」へトラックバック)

170211_16アーチ形の水門が現れた。一般的な水門では、巨大なかまぼこ板をギロチンのように落として閉める形状になっているが、この水門では開いた状態はアーチ形の板が上に凸になっており、それを横倒しにすることで閉まるようになっている。さあ、果たして南海トラフ巨大地震の後にこいつらは無事動いてくれるのか。

他にも、今回のマラニックではいくつもの防潮堤を横目にしてきたが、それらも地震の後は建てつけがズレて閉められなくなるものが続出するんだろうなあと懸念される。また、海抜0mはおろかマイナス2mほどの一帯もあり、地震の後はとりあえず高いビルに逃げるしかないのだろう。

170211_17この日2回目の渡し舟。甚兵衛渡船場。距離も短くすぐ向こうに対岸が見えている。自転車で利用する地元民多し。


170211_18かつて大阪環状線方面から大阪港各工場へ向けて引かれていた貨物線の廃線跡があった。まだ線路が残っている。線路脇は家庭菜園になっていた。

170211_19さらに先の方まで来ると、線路も残っていないが、「無線切替」という看板が残っている。ずっと前方には大阪環状線の高架も見えてきた。

170211_20かつてガード下だった部分の、ガードがなくなって、両端のコンクリート壁だけが痕跡となっている。

170211_21廃線跡が環状線の線路に合流するところ。駅でいうと西九条付近。外回り線だけが高架となっており、そこをくぐって外回り線と内回り線の真ん中に入り込むようになっていたのだ。今見ればこの箇所が高架になっている意味が不明だが、かつては意味があったわけだ。

170211_22なぜかC57が展示されている会社があった。一般開放はしていないので、外のガラス窓からのぞき込むだけ。

170211_23安治川トンネル入り口。エレベーターで地下道に降りる。ここは以前にも通ったことがある。あとはゴールのT氏宅までひた走って今回のマラニックはほぼ終了。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

渡し舟マラニック(前編)

170211_01建国記念の日の休日、T氏主宰の渡し舟マラニックに参加した。すごく寒くなる、各地で大雪警戒との気象情報もあったが、大阪市ベイエリアは晴れ。防寒もしっかりしていれば走る分には支障ない。

170211_02まずは天保山に到着。レゴブロックのキリンがお出迎え。

170211_03あまりにデカいので分かりにくいが、近づいて見ると確かにレゴブロックでできている。

170211_04岸壁になぜか人魚がいる。コペンハーゲンと姉妹都市だから云々という説明書きがあった。

170211_05
かつてレンガ倉庫だったところを改装して、クラシックカーの展示販売をしている。

170211_06
港大橋を望む。この橋は歩行者は渡れない。

170211_07
千歳渡船場という渡し舟もあるのだが、走った方が早いので橋を渡ることに。橋に上がる途中から千歳橋を臨む。

この後、ミスドの飲茶で昼ごはん。

170211_08千島公園の中に体操の具志堅幸司選手をたたえる碑文があった。

170211_09千島公園にある昭和山という山。かつて地下鉄工事をした際に掘った土を積み上げて作られた人工の山だそうだ。

170211_10ようやく本日最初の渡し舟、落合上渡船場に到着。
長くなってきたので続きは後編で。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧