ランニング

渡し舟マラニック(後編)

170211_11前編からの続き。大阪市内とは思えないさびれた無人駅が現れた。南海電車汐見橋線の木津川駅だ。

170211_1230分に1本しかない南海電車が走ってきた。一応電化・複線である。ごくわずかだが乗客も乗っている。

170211_13終点の南海汐見橋駅。

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汐見橋駅の料金表。これを見ると汐見橋線は盲腸線のようだが、実はもともと南海高野線はここが起点で、南海本線と岸里玉出でクロスしていたのだ。地図を見ると一目瞭然。

170211_15大阪ドーム近く、千日前通りが木津川を渡る大正橋のたもとに、津波被害の慰霊碑があった。後で調べると大地震両川口津浪記石碑という文化財にもなっている史跡のようだ。この石碑のほかに、江戸時代にあった津波被害を記した案内板が掲げられているが、書き起こすのも大変なので、これについて詳しく案内しているブログ記事があったので、そちらへリンクさせていただくこととする。

(十三のいま昔を歩こう:「大阪にも大津波・安政大津波(浪)碑」へトラックバック)

170211_16アーチ形の水門が現れた。一般的な水門では、巨大なかまぼこ板をギロチンのように落として閉める形状になっているが、この水門では開いた状態はアーチ形の板が上に凸になっており、それを横倒しにすることで閉まるようになっている。さあ、果たして南海トラフ巨大地震の後にこいつらは無事動いてくれるのか。

他にも、今回のマラニックではいくつもの防潮堤を横目にしてきたが、それらも地震の後は建てつけがズレて閉められなくなるものが続出するんだろうなあと懸念される。また、海抜0mはおろかマイナス2mほどの一帯もあり、地震の後はとりあえず高いビルに逃げるしかないのだろう。

170211_17この日2回目の渡し舟。甚兵衛渡船場。距離も短くすぐ向こうに対岸が見えている。自転車で利用する地元民多し。


170211_18かつて大阪環状線方面から大阪港各工場へ向けて引かれていた貨物線の廃線跡があった。まだ線路が残っている。線路脇は家庭菜園になっていた。

170211_19さらに先の方まで来ると、線路も残っていないが、「無線切替」という看板が残っている。ずっと前方には大阪環状線の高架も見えてきた。

170211_20かつてガード下だった部分の、ガードがなくなって、両端のコンクリート壁だけが痕跡となっている。

170211_21廃線跡が環状線の線路に合流するところ。駅でいうと西九条付近。外回り線だけが高架となっており、そこをくぐって外回り線と内回り線の真ん中に入り込むようになっていたのだ。今見ればこの箇所が高架になっている意味が不明だが、かつては意味があったわけだ。

170211_22なぜかC57が展示されている会社があった。一般開放はしていないので、外のガラス窓からのぞき込むだけ。

170211_23安治川トンネル入り口。エレベーターで地下道に降りる。ここは以前にも通ったことがある。あとはゴールのT氏宅までひた走って今回のマラニックはほぼ終了。

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渡し舟マラニック(前編)

170211_01建国記念の日の休日、T氏主宰の渡し舟マラニックに参加した。すごく寒くなる、各地で大雪警戒との気象情報もあったが、大阪市ベイエリアは晴れ。防寒もしっかりしていれば走る分には支障ない。

170211_02まずは天保山に到着。レゴブロックのキリンがお出迎え。

170211_03あまりにデカいので分かりにくいが、近づいて見ると確かにレゴブロックでできている。

170211_04岸壁になぜか人魚がいる。コペンハーゲンと姉妹都市だから云々という説明書きがあった。

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かつてレンガ倉庫だったところを改装して、クラシックカーの展示販売をしている。

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港大橋を望む。この橋は歩行者は渡れない。

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千歳渡船場という渡し舟もあるのだが、走った方が早いので橋を渡ることに。橋に上がる途中から千歳橋を臨む。

この後、ミスドの飲茶で昼ごはん。

170211_08千島公園の中に体操の具志堅幸司選手をたたえる碑文があった。

170211_09千島公園にある昭和山という山。かつて地下鉄工事をした際に掘った土を積み上げて作られた人工の山だそうだ。

170211_10ようやく本日最初の渡し舟、落合上渡船場に到着。
長くなってきたので続きは後編で。

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高槻シティハーフ2017

1740122_1昨年に引き続き、今年も高槻シティハーフマラソンに参加。ただし、申し込もうと思い立った時点で既にハーフマラソンは定員超過だったので、10kmにエントリーした。会場近くの実家に子供2人を預かってもらって、5kmエントリーの相方と共に会場へ。

この日は曇り時々雨、風はさほどでもないが時折小雨がぱらついて寒い。10kmのスタートは、ハーフ以降チャレンジ欄、5kmの各スタートを見送ってからとなるので、競技場で待たされる時間が一番長い。スタートブロックは40分以内で走る人、50分以内で走る人、といった項目で分けられており、ここは無理せず50分以内を選択。寒いこともあり、ゆっくり走りながらウォーミングアップで徐々にペースを上げることにした。

1740122_2それでもキロ4分を切るペースまでは上げられず、42分46秒でゴール。ラストもかなり上げたつもりが、それでも2人ぐらいに抜かされた。気分としては、登場当初こそ無敵を誇った零戦が、次第にグラマンやらシコルスキーやらのライバル機台頭で次第にロートル機となっていくようなものか。

1740122_3今回ちょっと改善かなと思われる点は、荷物を入れておく用の大きなビニール袋と、ゼッケン番号が書かれたシールが配給されたこと。これまでも荷物預かりはなく、体育館の中などにむき出しで荷物を置くしかなかったのだが、この袋があれば多少の心理的なバリアにはなるだろう。もちろん、それでも貴重品はウエストポーチに入れて走るのではあるが。

ゴール後は晴れていたが、その後すぐにまた雨が降ってきて寒くなる。早々と会場を後にして、実家の風呂で体を温めた。かつては、当たり前のようにレース後は打ち上げ宴会だったものだが、その機会もめっきり少なくなくなった。

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2017年・正月

170101_12017年は家族も1人増えて一家4人で迎えた。例年、おせち料理は近所のスーパーで買っていたのだが、今回はふるさと納税で愛知県小牧市の返礼品として、料亭「千賀」監修のおせち三段セットを昨年末にいただいた。何万円かの寄付が必要だが、実質負担は2000円となるので、これは非常にお得だ。他にもいくつかの自治体がおせち返礼をやっているようなので、今後は毎年渡り歩くのが習慣となるかもしれない。

170101_2元日恒例の高槻元旦マラソンには、私一人で赴いた。相方は風邪気味、長男は先日の東京ツアーでのダウンからようやく回復したばかり、次男はまだ産まれたばかりということで、それがベストな選択だろう。

今回は、川沿いの砂利道の荒れ具合が酷いということでコースが変更になっていた。いつもとは逆方向にスタートし、河川敷内の舗装路をしばらくさかのぼった後折返し、いったん川へ近い方に進路を振った上で、従前のコースに合流してスタート地点へ戻ってくる(ここでは折返しでなく周回コースとなる)という1周2.5kmのレイアウトだった。スタートを待っていると、上空をモーターパラグライダーが飛んで行った。

ランの方は遅くなる一方なので、最初はアップ代わりにゆっくり行って、1周ごとにペースを上げるビルドアップをやってみた。ラスト4周目はキロ4分切りを目指したがそこまで上がりきらず。全行程10kmでは43分13秒ほどだった。

元日は自分の実家で、2日は相方の実家で、それぞれ親族が集まっての夕食会は、今年も無事開催できた。長男の調子が戻ったのは幸いである。

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第19回全国視覚障害者駅伝大会

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今年もOSAKA EKIDEN in 長居 兼 全国視覚障害者駅伝大会昨年に引き続き伴走者として参加した。例によって東京のチームY、今回は2区3.4kmでY氏の伴走の出番1回のみ。天気は、前日の雨が上がるかと思いきや、曇りが続いたままで、やや気温が高め、蒸し暑いような感じだった。

161120_2レースの方は、比較的上位でもらったタスキを、1チームに抜かれ1つ順位を落としてのリレー。タイムは14分01秒で区間3位だった。後で確かめたところ、我らがチームYの順位変遷は、1区3位、2区4位、3区2位(区間賞)、4区1位(区間賞)と、終わってみれば視覚障害の部で久々の優勝となった。レジェンド復活、である。ほとんど3区4区だけで勝ったようなものだったが、大きなブレーキは誰もいない、ということが駅伝必勝のセオリーだと改めて感じた次第。

というわけでキロ4分も切れないような走りながらも、優勝賞品の御相伴にあずかった。今回はリュックサックをもらえた。そしていつものように閉会式前から缶ビールをかっくらい、その後新大阪駅付近の居酒屋で新幹線の時間まで飲んで帰るのであった。

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富山マラソン2016

161030_1富山マラソン2016に初参加した。申し込みは4月頃にまでさかのぼり、先着順でのクリック合戦を切りぬけて得た出場チケット。当初は、相方と2人で走る予定だったのだが、都合により私一人のみでの出場となった。富山駅前に前泊し、当日朝に在来線で高岡まで移動(鉄道関係は別項にて)。スタートは高岡駅から少し歩いたところにある公園。

天気は薄曇りから晴れへ、暑すぎず寒すぎず絶好のマラソン日和。何せ風が弱いのがありがたい。約1万4000人が9時に一斉にスタートした。

スタート直後の様子を動画でも記録。ゲストの有森裕子氏が壇上からフォーと叫ぶとランナーが一斉に応える。

161030_2高岡市内では、高岡大仏や山車での応援などいろいろ見どころがあったが、混雑していてさすがにカメラを向ける余裕はない。

しばらく行くと、大集団に追いついた。サブ4のペースランナーとそれにつき従うランナーの集団だ。さらに前へ進もうか迷ったが、ゆったりペースでよかろうと思い直して追随することにした。ただし人数が多すぎて給水・給食がやりにくいので、集団のほんの少し前に出て等速で進む。これだと空いていて走りやすい。15kmあたりの庄川を渡るところで自撮り。走りながらはとても難しい。

161030_3コースは射水市内に入る。最大の見どころである、新湊大橋がずいぶん遠くから見えてくる。50mの高さに持っていくためにループしながらの上り坂、延々とランナーの姿が連なっている。

161030_4ある程度高いところまで来ると、左手には帆船・海王丸の美しい姿が見えてくる。その背後に広がる、穏やかな日本海。

161030_520km地点を過ぎ、新湊大橋の頂上付近まで来た。斜長橋のケーブルが、上空から視界の四方に向かって放射状に伸びていく姿は圧巻である。

橋の頂上付近での見た目を動画でも記録。ぐるっと見回したので、湾内も、海王丸も、立山連峰も全部見える。

161030_6橋を越えたあたりで中間点。2時間を少し超えているが、このペースで大丈夫なのか?。そして予想通り、後半に入ってくるとあれだけ余裕だったはずのキロ5分30秒がきつくなってきた。無理もない、最近は月間走行距離ほぼ0km、直近のフル完走は3年も前の大阪マラソンで、2年前のフルマラソンでは16kmでリタイヤ。要は練習していないのだから40kmも持つわけがない。

ただ、ガス欠だけはしないようしっかりと給食を摂った。エイドにますのすしがあったので、テーブルに群がるランナーのうちの一人となって一切れゲットしたが、その混雑の際にサブ4ペースランナーにあっという間に抜かれて、集団の後方に下がってしまった。このまま置いていかれる、と気持ちが切れかけたが、グッとこらえて食らいついた。徐々に徐々に、集団に紛れ込み、ついに再び集団の少し前のポジションを回復した。お気楽ファンランのつもりだったが、こんなにガチランになるとは想定外だった。

レース終盤になり、富山市の街中に入る。すると、前方でやたら声援を受けているランナーがいる。ゲストランナーの石原義純氏ではないか。若干の上り坂で抜き去ったと思ったら、平坦地で抜き返された。それを繰り返すこと数度、結局デッドヒートのままゴールに飛び込んだ。

    スプリット  ラップ
Start  0:02:01
5km  0:31:21  29:20
10km 0:57:50  26:29
15km 1:25:51  28:01
20km 1:55:01  29:10
(中間点  2:01:21)
25km 2:22:32  27:31
30km 2:50:06  27:34
35km 3:17:24  27:18
40km 3:45:16  27:52
Finish 3:58:04  12:48
(ネットタイム 3:56:03)
---------------------
種目別順位  1766/8835
総合順位   1968/11552

終わってみれば、ネガティブラップ(前半より後半が速い)達成。そりゃ後半キツいはずだわ。ペースランナーさん、仕事は果たしているものの、これだと後半で振り落されたランナーも結構いたのでは。

161030_7ゴール後配られた号外を見ていたら、高岡大仏を背景に走る大勢のランナーの中に自分も写っていた。リニューアルデビューしたばかりのfrunユニフォームを着た甲斐があったというものだ。

161030_8レースの後は、ズタボロになった体を引きずりながら風呂へ。会場からわずか300mほどのところに銭湯「竹の湯」があるという有難さ。また、そんな情報を、手元のタブレットで調べれば、事前リサーチなしでもすぐに得られる便利な時代になったものだ。ちなみに富山市内や高山市内は人口に比すると銭湯が多い土地柄だそうだ。

ともあれ、十分な満足感と、傷むつま先、筋肉痛の脚を引きずりながら富山を後にするのであった。

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20th anniversary

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この日、私が所属するfrun(ランニング・フォーラム"エフラン")がめでたく20周年を迎えた。私は1999年からの参加なので17年目のお付き合いということになるが、もはや十分古参の部類である。

メンバーは全国各地に散らばっており、北海道、東京、そして発祥の地のこの京都でそれぞれ昼の部のランニングとその後の宴会が開催された。私は幹事の端くれとして、宴会のパソコン関係を担当した。

161010_2京都の祝宴会場では、ノートPCとモバイルルータを持ち込み、プロジェクタで投影して、昔の懐かしい写真やビデオを映し出すとともに、東京会場(二次会)との間でSkypeのビデオ通話を使っての中継を試みた。

会場がホテルの地下ということもあり、電波状態が心配されたものの、何とかアンテナ1本程度でつながるレベル。もう一つ心配だった音声は、受ける方はほぼ大丈夫だったが、送り出す音声がいまいちで向こうではあまりよく聞こえなかったかもしれない。まあそれでも最初の乾杯を同時に執り行うぐらいの雰囲気は伝えられたかと思う。

ちなみに今回この任務にあたって、この20年間でのパソコン、インターネット関係の環境激変を思い起された。募集した昔の写真は、設立当初の頃のものは銀塩プリント写真をスキャナで取り込んだ画像だったが、それから数年程度で一斉にデジカメ撮影のデジタル画像へと変遷する。

携帯電話も、20年前はぼちぼち普及し始めた程度で、電波の届かないところも多かったが、今やスマホが席巻し、回線はLTE、無線通信で動画が見られて当たり前、という状況となった。今回のネット中継も、20年前の環境では到底不可能だった。

オンラインのfrun自身も、最初はニフティサーブのパソコン通信でテキストベースのみだったのが、やがてインターネット掲示版へ移行し、元々のプラットフォームだったニフティのフォーラムはもはや消滅した。そして今や本体の掲示版よりもFacebookのページの方が賑わっているというような状況だ。そのSNSですら、最初はmixiが流行ったが今ではすたれ、TwitterやFacebookですらもピークは過ぎて斜陽気味、現在はLINEとインスタグラムが隆盛といった状況だ。5年先、10年先はまたガラっと変わっているかもしれない。そういえばこのブログも始めてから10年ちょっとになるが、流行っていた頃は猫も杓子もブログを書いていたのに、今はこうした長文はあまり受けないらしい。

とまあ機器や媒体の栄枯盛衰はいろいろあるけれど、人と人とのつながりであることには変わりない。このつながりが長く続いているのは、そこに理由があるのだろう。小中高大いずれよりも既に長く同窓生であるこのつながりを、これからも大事にしていきたい。今後とも、よろしくお願いします。

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京都鴨川おこしやすマラソン2016・FINAL

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FRUN主催のおこしやすマラソンは、残念ながら15回目となる今年で最後の開催となった。主な理由は高齢化と後継者不足。

朝イチでスタッフが集合後、毎回のようにレンタサイクルに自転車を借りに行くのもこれで最後である。さらに言えばいつも一緒に借りに行っていたK君の姿がもういない。

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今年もたくさんの人がエントリー。スイカマン体操もこれで見納めかと思うと感慨深い。

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ハーフマラソンからスタート。次いで10km、5km、3kmとスタートしていく。先だって済ませたコース設置の後は、巡回パトロールが任務となる。

161002_4ハーフでは、我が双子の弟がトップでゴール。第1回の開催時は彼の細君が優勝しており、最初と最後を夫婦で締めくくる。

10月とは思えない暑さで、ハーフでも途中でリタイヤする人が続出した。一人コース脇で倒れているという知らせがあり肝を冷やしたが、少し休んでいたということのようだった。棄権してゴール地点まで走って戻るのを念のため並走して警護。今回も含め15回にわたり事故が起きなくてよかった。

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最後の開催土壇場でコース変更になりかねなかったのが、この御薗橋の架け替えである。一時期河川敷が通れなくなる状態だったが、大会時にはまた通れるようになっていた。今はまだ下流側に新橋の橋脚があるだけ。完成は2020年ごろの予定だとか。

大会も無事終了し、会場での青空宴会のためのビールを買いに出町商店街へ。この買い出しが、当時は若手だった私とK君の任務だった。それが、最終回となっても未だに"相対的には若い"私(後厄も終わった)がやらねばならんということが、高齢化・後継者不足を如実に象徴している。ともあれ、15年間お疲れさまでした。

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天王山・歴史街道ラン

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この日の午前は子供の世話を義母に任せ、相方も別の用事で出かけるので、久々に自由放免となり、走りに出かけた。毎回ポンポン山では芸がないので、今回は天王山を目指すことにした。高槻市街地では、八丁松原を通り抜ける。今ではちょとっと松が生えていてレプリカの門が立っている程度だが、かつては西国街道から高槻城へとつながるメインストリートだったそうだ。

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今回このルートを選んだのは、現在建設中の新名神(第二名神)が横切るところをじっくり観察したかったということもある。毎日のように建設中の現場下を電車で駆け抜けているが、一瞬しか見られない。この日見たところでは、JRの上には既に橋げたがかかっており、他は橋脚が立っているのみ、という状態だ。

160925_03橋脚の真下から見上げたらこのような景色。西国街道自体は橋の下をくぐるだけなので影響ないが、その脇は工事用の土地に変わっている。橋脚は高層マンション程度の高さがある。山側を走っている既存の名神高速のさらに上を越えないといけないので、これだけの高さが要るのだ。

そういえばこの新名神の工事では、国道176号線交差部分で橋げたが落下した事故があり、またこの名神を飛び越える部分でも橋げた設置作業が予定時間をオーバーしたために通行止め時間が長引き大渋滞を引き起こしたといったトラブルが散見されている。是非とも安全第一で進めてもらいたいものだ。

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西国街道をひた走ると、島本駅が現れた。これも結構最近になってからできた駅である。トイレが改札の外にあるので、トイレ休憩をさせてもらった。ジャーニーランにはありがたい駅である。

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島本駅のすぐ横に、桜井駅跡がある。楠木正成にゆかりのあるスポットだ。

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さらに進むと、サントリーの山崎蒸留所が見えてくる。これもいつも車窓から見える風景だが、改めて走ってみると大迫力である。

160925_07ようやく山崎駅までたどり着くと、駅の北側から天王山登り口が始まっている。かなりの急坂。

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ルートの途中に宝積寺がある。大黒天推しの幟や看板が目立つ。ちょっと迷いかけたが、本堂に向かって右の方へ進むと登山道が続いている。そこからはトレイルコースとなる。

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登山道途中に、笠立松というスポットがある。かつて豊臣秀吉が山崎の合戦の際に旗印を立てた松だそうだが、当時の松は現存しておらず、その後何度か植え直したものだそうだ。展望台があり、下界がパノラマで見える。掲載の画像は2枚撮ったのを合成したもの。横幅が大きすぎて画面からはみ出しているかも。

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上の画像からさらに左の方を見ると、天王山トンネルを出てきた名神高速と大山崎ジャンクションが見える。

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登山道の途中途中に、解説と絵巻が描かれた銘板が設置されている。山崎の合戦について述べている。

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頂上近くに自玉手祭来酒解神社(たまでよりまつりきたるさかとけじんじゃ)がある。余りに長いし読めないので酒解神社(さかとけじんじゃ)と呼ぶのが一般的か。画像に撮った本殿より、その横にある神輿庫の方が貴重らしく、重要文化財に指定されている。

160925_13神社から程なくして天王山山頂に到着。案内柱の右横にすごく地味だが三角点あり。

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山頂付近に見晴らしはない。山崎駅からここまでだと距離は知れている。ということでお手軽ハイカーがたくさん訪れている。逆に言うと、トレランのコースとしてはこれだけだと少なすぎるので、もっと山奥の柳谷観音だとか、さらに言えばポンポン山方面までつなげないと物足りないだろう。

160925_15帰りは山崎駅から電車に乗る。すごく時間をかけて走った距離を、ものの十数分で戻った。ワンウェイのジャーニーランあるあるだが、電車って偉大だなといつも思う。

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2016視覚障害者陸上記録会

160904_1昨年に引き続き、視覚障害者陸上記録会のお手伝いで大阪・ヤンマースタジアム長居へ向かう。電車に乗っていると、外側線から深緑色塗装の電気機関車と客車が追い抜いてきて、一瞬トワイライトエクスプレスかと思ったが、新大阪駅停車時によく見たら「サロンカーなにわ」と書いてあった。大阪駅には普通電車が先に出たのだが、途中淀川河川敷の土手でたくさんの撮り鉄のカメラ砲列が並んでいるのにはワロタ。こいつを狙っていたのか。

大阪駅に先着して待つことしばし、3番線にサロンカーがやってきた。後で画像をよく見ると機関車のヘッドマークには「サロンカーおわら」と書いてあった。

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という余興はさておき、この日の天気は台風が接近しており心配していたのだが、思ったより動きが遅いようで、大阪は快晴。雨も風も心配なく、むしろ暑くて大変だった。今回の任務は3年前にもやった実況中継。伴走も単独走でも走る出番はなし。

ちなみにわが息子は参加3回目にしてようやく、すべて自分の足で50mを完走。途中こけちゃいましたが。

160904_3午後からはゲストに森脇健児氏と、みわゆーすけ、代走みつくに、ドキドキ☆純情ガールズらの松竹芸人陸上部が登場。トークのほか、伴走、50m音響走などを体験。

160904_4森脇氏は陸上競技経験は36年にもなる長いつきあいながら、伴走やアイマスク走などはどうやら初めてだったようで、50m音響走(目隠しをしてゴールの音源に向かってガイドなしで単独走)では明らかにビビってスピードを出せず方向転換も幾度もあって、30秒以上かかってようやくゴールという感じだった。

2000mハンデ走(走力に応じた時間差スタート。TBS系の某特番でもおなじみ)ではネットタイム7分30秒となかなかの走りを見せた。来月の某特番の某ミニマラソンでも活躍を期待したい。

なお今回の実況中継では、タブレットを使って勝手にジングル音を入れまくった。メインは、よく陸上競技大会で耳にするこのメロディーなのだが、これに関して調べて見るといろいろ面白いことが分かった。

このメロディー、世間一般ではファミリーマートの入店音と認識されている。ところが、実際はナショナル(現・パナソニック)製の家庭用インターホンとして広く出回っているものだったのだ。しかも、稲田さんという作曲者まで特定されているのだとか。さらに余計な話だがエレベーター到着時のピンポンという音階もこの人の「作曲」らしい。

(関連記事:デイリーポータルZ「『ファミマ入店音』の正式なタイトルは『大盛況』に決まりました」)

実は今回の実況で、インターホン以外にも鉄道関係のメロディーを多少仕込んだのだが、どこまで気づいた人がいることやら。

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