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夏休み終わりのスイカ割り

1000004506毎週ぐらいの頻度で通っている某スーパーで、時折ジャンケン大会をやっているのだが、この日の大会では何と長男坊が優勝してしまった。

優勝賞品はシャインマスカットかスイカが選べるのだが、何と長男坊はスイカを選択。マスカットにしとけよ。5Lに巨大サイズ、自転車でどうやって持ち帰るんだ。

1000004507何とか持ち帰った巨大スイカ。絶対に食べきれない。

というわけで、長男坊保育所時代の同級生ファミリーを緊急招集して、スイカ割りを行うことに。まあ、それを口実にした飲み会がメインではあったが。

1000004512宴もたけなわの頃にようやくスイカ割り。すっかり暗くなっており、動画で撮影したのを振り返っても真っ暗で何もわからない。キャプチャ画像を修正してようやくこの程度。

それで、スイカ割り用にステンレス製の物干し竿を使ったのだが、子供らに何度も硬い地面を叩きつけられ、あえなくぶっ壊れてしまった。タダでは済まないものである。

スイカは3分割ほどで各家庭へ。それでもかなりの大量だが。デカいだけでなく、甘くてうまいスイカだった。子供らの夏休み最後の思い出となれば幸い。

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さどしま紀行(温泉編)

1000004387今回の佐渡ヶ島旅行、宿泊施設の手配は私に任されたため、個人的趣味で「温泉に浸かれる宿」を条件に選択した。

時系列は前後するが、旅程初日に泊まったのが「佐渡八幡温泉 八幡館」。八幡は「やはた」と読む。佐渡ヶ島全体の中で位置としては、真ん中のくびれた平野部での西の端のあたりということになる。佐渡、というより新潟県内で最初に政府登録国際観光旅館となり、かつて昭和天皇皇后両陛下も宿泊に使われた、佐渡を代表する旅館の一つだそうだ。

1000004388佐渡ヶ島の西の端の海近くということで、チェックインしたら部屋から海や沈む夕日が見られる。

旅館の立地は真野地区八幡という比較的開けた市街地ではあるが、旅館敷地の周りがだいぶ広めの松林になっていて、住宅街とかが直接には見えないというのが落ち着いた雰囲気をもたらしている。

1000004392それで、肝心の温泉の画像を撮りそこねる痛恨のミスをやらかしてしまい、こちらは大浴場入口に掲げられた看板の画像。

書かれているのは「佐渡八幡 自噴天然温泉 しっとり肌になじむ滑らかで豊富なお湯は、昭和51年より1時間に5屯が自噴する湯量で地下1000mより噴出する源泉かけ流しの天然温泉森林浴を兼ねた露天風呂で日頃の疲れをごゆっくり癒やして下さい」というメッセージ。

脱衣場はカゴだけで鍵のかかるロッカーはないので、貴重品は部屋かフロントに預ける必要がある。浴室は、内湯、露天風呂ともに温泉浴槽。床にびっしりと張り付いている析出物の皮膜がいかにも温泉らしさを醸し出している。

泉質はナトリウム塩化物泉とのこと。ほぼ無色透明、塩味、わずかに金気臭かモール臭っぽいニオイがする。化石海水なんだろうか。他には小さいながらサウナと水風呂もあった。露天風呂からは、敷地の周りの松林が見える。

★★★★★ 奮発した甲斐あって、文句なしの星5つ。なお食事等はグルメ編へ。
1000004408続いて旅程二日目の宿は、小木港の近くにある「旅館 かもめ荘」。佐渡ヶ島全体の位置では、南西(左下)の端っこの方に当たる。

各部屋にはもちろんエアコンが効いているのだが、ロビーや廊下等の一帯はエアコンがないのか、この真夏だとかなり厳しい。

1000004409さて温泉の方は、成分表等が掲げられていたのでその記録を紐解くと、ナトリウム・カルシウムー硫酸塩・塩化物温泉(低張性アルカリ性高温泉)となっていた。

無色透明塩味(と若干の苦味)無臭、若干のツルヌル感あり。四要素の明確な表示はわからなかったものの、気温の低いときのみ加温することあり(ちなみに源泉温度は44℃)と書かれていた。旅館の温泉紹介ページにも源泉かけ流しと記載があるので、それで間違いないだろう。

屋内露天の両浴槽とも温泉のようだ。画像は露天風呂の方。小さいながらサウナもある。日帰り入浴もやっているようである。

★★★★☆ 脱衣場が暑くて、風呂上がってからが夏は厳しい。そのことをもって減点1。

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さどしま紀行(グルメ編)

1000004373時系列は若干前後するが、今回の佐渡ヶ島旅行の食べたもの関係をこの項目にまとめることとする。

まずは旅程初日の昼食に立ち寄った「佐渡 廻転寿司 弁慶 佐渡本店」。回転寿司とは思えないクオリティの高さで大人気、という情報を得ていたところ、11時半過ぎ頃に着いたにも関わらず、既に40分待ちとなっていた。

1000004374周りにもいくつか飲食店やら店やらが集積している敷地で、何とか待ち時間を潰してようやく座敷席を案内された。

回転寿司と言いながら、座敷席ではベルトコンベアは流れておらず、タブレットから注文する方式。

タブレットから欲しいメニューを探す方法が直感どおりでなくやや難儀したが、出てきたネタは確かに前評判どおり素晴らしいものだった。特に、佐渡前、佐渡で獲れたという品々はありがたい。運転があるのでアルコールは我慢。

1000004389続いて初日の泊地、佐渡八幡温泉 八幡館でいただいた夕食。利用グループごとに仕切られた個室でいただく。

一枚目に前菜などが置かれた様子を撮ったところ。画像右端に写っているのが、佐渡の郷土メニュー「いごねり」である。

いごねりは、いご草という海藻を原材料にしたゼリー状の食品であり、九州の「おきゅうと」に似てるなと思ったら、サイトの説明にも北前船などの流通により九州から伝わってきた食文化なのだと記されていた。

1000004390その後もお造りやカニなど次々と料理が食べきれないぐらい出てきて、残すものかと格闘。

自分の分は何とかなっても、子供らが確実に残すので、そこまではさすがに処理しきれず。

1000004391最初はビールをいただいたが、その次は佐渡の地酒。「真野鶴」という銘柄の中でも超辛口という「魔の鶴」を冷酒でいただく。「悪魔の辛口」というキャッチフレーズ。

キレの良い辛口が佐渡の魚介に合うこと合うこと。

1000004393八幡館の大浴場を出たところには、佐渡海洋深層水のサーバが置かれており、水飲み放題。佐渡の深海から汲み取った海水だそうだが、塩味はない。

どうやら用途によっては透過膜を使って塩分を抜いたものとなっているようだ。

翌朝の朝食はバイキング形式。和洋好きなように選べるが、ここはやはり和食メインで佐渡米のご飯を何度もおかわり。画像は撮りそこね。

1000004410時系列をすっ飛ばして二日目の泊地、かもめ荘での夕食。これも洋食室という食堂で宿泊グループごとに仕切られたところでいただく。

ここでも当然のごとくいごねり登場。ここでは細長い麺状に切られていた。ほかにサザエのお造りなどもコリコリとして美味。

1000004411翌朝の朝食。旅館のスタンダード的な朝食。ここでも佐渡米のご飯を何度もおかわり。

なお、家用のお土産で佐渡米も購入したので、旅行のあともしばらくはいただけるはず。

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さどしま紀行(総括編・3)

1000004412総括編・2からの続き)
旅程三日目、最終日。この日は早めの時間のフェリーで本土に戻るため、あまり遠くへは行けない。というわけで、小木港から車ならすぐ近くのところにある、宿根木の集落を訪ねて行った。

ここは昔の漁村の雰囲気がそのまま残っている地域だそうだ。井戸があって、ポンプを動かすと水が出てまだ現役バリバリだ。水が冷たくて気持ち良い。

1000004413宿根木公會堂、と書かれた、町内の集会所のような建物か。

他にもいくつかの民家は中を見学できるようになっていたが、時間節約のためと有料だったのでパス。

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集落の中に。「宿根木の歴史」と書かれた看板。中世鎌倉時代あたりから集落ができ始め、その後どんどん家が増えて拡大、江戸末期ぐらいが最盛期だったようだ。

1000004415集落の中にあった神社。「白山神社」と書かれた石碑が立っている。

1000004416海沿いに出てきた。海の沖のすぐのところにゴツゴツとした岩があちこち突き出ている。こうしたところで漁をする際に、たらい船が便利だった、ということらしい。

「宿根木のはんぎり」(はんぎり、とはたらい船のこと)としてここでも観光客向けにたらい船に乗せる営業がなされていた。

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集落の上の方にある現在の車道まで上がると、宿根木集落全体を見渡せる展望台があった。

かつては漁業で栄えたこの集落も、今は往時の歴史を伝える観光名所としてひっそりと生き続ける。
1000004418さて本土へ帰るフェリーに乗るべく、振り出しの小木港へ戻る。行きしに到着した時間帯で折り返すとこの10時半出港というタイミングになるようだ。

お土産などを買い足して、乗るべき船「こがね丸」の勇姿を収める。行きの直江津港では通路が手前にあって船の全貌が見渡せなかったが、こちら小木港ではしっかりと見渡せる。帰りの海路も穏やかで有り難い。

そして折り返し6時間以上、交代交代で運転して夜に帰宅。お疲れ様でした。

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さどしま紀行(総括編・2)

1000004394総括編・1からの続き)
佐渡ヶ島二日目。八幡館を出たあとは、昨晩も飲んだ佐渡の地酒「真野鶴」の蔵元である「尾畑酒造」を訪問。観光客向けに見学できるようになっていて、ドライバーでなければ試飲もさせてもらえる。

「魔の鶴」は品切れだったが、辛口のお酒を自宅のお土産用に1本購入。

1000004395続いて向かったのはトキの森公園。佐渡ヶ島全体で言えば、真ん中の平野部のやや東寄りに位置する。

大阪よりマシとはいえ、日なたは暑い。

1000004396トキのキャラクター、「サドッキー」も登場したが、さすがに木陰となる場所での待機。

本人(本鳥?)が喋ることはないが、我々含め訪れた観光客との記念撮影に応じていた。

1000004397本州も含めかつては多数生息していたトキも、やがて数を減らしていき最後に残ったこの佐渡ヶ島でも、日本古来のものは絶滅してしまった。

その後、中国にもごくわずかながら生き残りがいて、遺伝子的にも日本にいたものとほぼ同じということで、中国から連れてきたトキを地道に繁殖、ようやく300羽までに至った、というのが現状だそうだ。

1000004398展示館のほかに観測小屋もあって、ガラス越しではあるがタイミングが良ければ目の前にいるトキを眺めることができる。

泥の中をくちばしで探っていって、ドジョウを見つけたら食べる、という光景が見られた。

1000004399移動中に、相方氏が、この辺に田んぼアートがあるはず、という情報をキャッチしたので訪問。

のぼりがいくつか立っているだけで、展望台らしき建物も見当たらないが、近くに看板が立てられていた。

1000004400
土手の上から眺めるようになっているらしい。眺望ポイントの印に立つと、おお、確かに絵ができている。

観測者との高低差がさほどないため、平面上ではかなり大きく歪んで描かれているため、間近、あるいは田んぼと同じ高さで見ても何か分からない。土手の上の指定されたポイントに立って初めて、ちゃんと描かれているのが分かる次第。左の方のトキはすぐわかるが、右の方のアリみたいのは何かと思ったら、サドマイマイカブリと看板に書かれていた。
1000004401次いで向かったのは、佐渡西三川ゴールドパーク。佐渡ヶ島全体としては、南側の山塊のやや西寄りあたりに位置する。佐渡のもう一つの金採掘地跡、こちらは砂金がかつては豊富に採れた場所だ。今は、砂金採りの体験ができる観光施設になっている。

昨日に訪れた佐渡金山は鉱脈の岩を掘っていったものだが、ここは鉱脈中の金が濃縮された後に風化して崩れ、細かい砂となって川に流れて溜まったもの、ということだそうだ。

砂金採りの体験コーナーでは、細長い大きな水槽が何列も並んでおり、底には川砂が敷き詰められている。水槽の水がやたら冷たい。緑色の大きな皿を使って砂金を探し出す。

やり方は係の人に教えてもらうが、そう簡単には採れない。まずは川砂をすくったあと、皿をガサガサ揺らす。金は重いからこのとき底の方に沈むので、上の方の砂は大胆に洗い流していく。これを繰り返すと最後に砂金が何粒かは残るそうなのだが、何もないじゃん。

1000004402子供らは運良く何粒か自力で採れたようだが、こちらは全然ダメだったので係の人が採った砂金を、小さなカプセルに入れてもらった。

水とともに砂金が入っている。耳元で強く振ると、カリカリと容器に当たる音が出るのが砂金の証だそうだ。普通の砂だと水の抵抗でそうはいかないが、それだけ金が重いということ。

今でも金が採れるなら採掘を続けてもよさそうなものだが、たったこれだけの微々たる量では採算に合わないのだろう。さてでは今の観光地としての運営は採算が採れているかどうか。文化遺産指定でもっとたくさんの客が来るかにかかっているだろう。

1000004403二日目最後の立ち寄り箇所は、この日の泊地である小木方面に向かいつつ何かないかと当てずっぽうで、佐渡太鼓体験交流館"たたこう館"を選択。

自分はよく知らんかったが、国際的に活動する太鼓芸能集団 「鼓童」はここ佐渡が拠点となっており、この施設もその一環で作られたものだそうだ。

1000004404中は体育館のような広いフロアがあり、超巨大な太鼓が2つと、それ以外にも様々な太鼓が並んでいた。時間の決まった体験コースもあるそうだが、時間自由の見学であれば、料金500円で居並ぶ太鼓を叩き放題。

他には客もおらず、貸し切り状態で太鼓を叩いて回った。これは中々に穴場の観光スポットであった。

この日は小木地域にある「かもめ荘」に宿泊。ここも温泉がある宿ということで、別項の温泉編にて記載。本編もまだ続く。
総括編・3続く)

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さどしま紀行(総括編・1)

1000004369今年の夏の家族旅行は、一路、佐渡ヶ島へ。8月初めに2日分の休みを取って、その前夜の22時に大阪を出発、名神、北陸道をひた走り、直江津港7時10分発のフェリーを目指す。相方氏と2人交代体制の運転とはいえ、かなりきつかった。

だいぶ早めに着いてしまい、コンビニで買った朝食を食べつつ待つ。それでも一番乗りではなく、前に数台の先客が並んでいた。

カーフェリーの所要時間は、2時間40分と結構長い。座敷にごろ寝の二等船室で、ドライバーは休憩。子供らはあちこちに動き回る。カモメかウミネコが、ずっと船につき従って飛んでいた。海は穏やかで、ほとんど揺れず快適。

1000004370さて、佐渡ヶ島南端の小木港に到着。生涯初の佐渡ヶ島上陸である。早速、すぐ近くにあるたらい船の乗船体験へ。

乗船口の柱に、ユーチューバー「けえ」氏のサインが掲げられている。そう、そもそも何故佐渡ヶ島へ、という理由が彼の動画にある。佐渡ヶ島出身のけえ氏は、佐渡ヶ島のことをネタにした動画を多数配信しており、決めゼリフの「さーどーがーしーまー」という叫びは、子供らの間で相当流行ったらしい。御多聞に漏れずうちのジュニア達も、この動画を見て、佐渡ヶ島に行ってみたい、と相成った次第。

1000004372たらい舟は、一本のオールで器用に漕いで進む。長男坊もやってみたが、同じ場所で左に回ってしまうのみ。左右均等に漕がないといけないのだ。自分もやってみたが、やっぱり進まず。これはだいぶ難しい。

衣装を着たお姉ちゃんらはいとも簡単にスイスイ進んでいく。やはり経験を積まないとダメだな。

この後昼食で、佐渡でも有名な回転寿司店に寄るが、グルメ編は例によって別項にまとめた。

1000004375次に立ち寄ったのは佐渡金山。折しも、佐渡の金山が世界文化遺産に登録決定となったタイミングでの訪問であったが、登録が決まったから今回の旅行先としたわけではなく、たまたま時期が一致しただけである。

坑道跡は宗太夫坑と道遊坑の2つがあるが、両方入れる共通券を購入していざ突入。中はびっくりするぐらい涼しい。

1000004376まず先に入った宗太夫坑の方は、主に江戸時代までに掘られた坑道であり、ところどころに画像のような人形が展示され、ちょっと動いたり音声も流したりしながら、往時の採掘の様子を再現していた。

当時は手掘りであり、鉱脈に沿って縦横無尽に掘り進み、下へ掘っていった方は海面よりも低いところまで進んだため地下水が湧き出し、それを組み上げる作業も必要だったそうだ。金欲しさとはいえ、壮絶な苦労が偲ばれる。

1000004377一旦出口から出て、また同じ入口に戻って今度はもう一つの道遊坑へ。こちらは主に明治期以降に近代的手法をもって掘られた坑道で、トロッコの線路跡があったりエレベーターで上下移動していたりと、江戸時代までのそれとは打って変わっている。

金の産出量も、江戸時代よりも明治期以降、むしろ昭和時代あたりがピークだったそうだ。ちなみにこの金山は平成元年に操業停止になったということで、意外とつい最近まで現役だったことに驚いた。

1000004378鉱石を運ぶトロッコを牽引する電池式機関車が坑道に残されている。線路幅はおそらくナローゲージよりもさらに狭く、車両の大きさも普段見慣れた鉄道からすればミニチュアのような感じだ。

1000004379再び坑道の外へ出る。あまりの気温差にメガネも曇る。

しばらく歩いて振り返ると、そこには佐渡金山の象徴的光景が広がる。「道遊の割戸」と呼ばれるこの奇妙な風景は、金鉱脈に沿った部分を地下のみならず地上に露出した山体の一部も掘り尽くしたため、山にスパっと切込みが入った異様な形になっている。人間の物欲の凄まじさを思い知らされた。金が取れなくなった今も、観光資源として客から金(カネ)を取り込んでいる。

1000004380さて金山からちょっとだけ車で移動したところにある、北沢浮遊選鉱場跡を訪れた。ここは、掘り出した金鉱石を何やかやして金を取り出すための巨大な工場のようなところ、ということのようだ。テレビか何かでちらっと見た覚えがあるが、ぜひ実物を見てみたかった。

建造物の残骸に、うっそうと植物が這い回った光景は、まさに天空の城ラピュタ感満載である。

1000004381選鉱場のすぐ近くに、相川郷土博物館という地味な建物があったので、ついでに立ち寄った。大人300円で有料かよ、と思ったが、ちょっとネットで調べた限りではここにかなり重要な展示がなされているようだ。これは確かめねば。

郷土博物館というだけあって、この金山一帯の風土や人々の暮らしの様子、民俗資料などが展示されている。

1000004382その一角に、「朝鮮半島出身者を含む鉱山労働者の暮らし」という展示コーナーがあり、特に明治期以降の金山採掘において、朝鮮半島から(強制連行も含み)連れてこられた労働者が、過酷な労働条件で働いていた、という内容を示していた。

このコーナーこそが、先般佐渡金山が世界文化遺産登録を認めてもらえた際の大きな鍵なのだ。というのも、従前から佐渡金山の登録をイコモスに申請していたものの、某隣国K国からの横槍が入り、その佐渡金山の労働力として朝鮮半島から強制的に連れて行かれた経緯があるから認めるな、ということで一旦保留になってしまったのだ。その打開策の一つとして、そういった経緯もあったということを示す展示も入れるということで妥協されようやく登録に至ったのだそうだ。そのためにこの博物館もこの年の6月にリニューアルオープンしたばかりで、前述の展示コーナーを加えるということが重要なミッションだったのだ。一見地味だったが、そうした国際的駆け引きの現場を目撃できて、非常に感慨深かった。

この日はその後八幡にあるホテルに泊まることとなるが、温泉編としてまた別項に記した。
総括編・2へ続く)

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