今年の夏の家族旅行は、一路、佐渡ヶ島へ。8月初めに2日分の休みを取って、その前夜の22時に大阪を出発、名神、北陸道をひた走り、直江津港7時10分発のフェリーを目指す。相方氏と2人交代体制の運転とはいえ、かなりきつかった。
だいぶ早めに着いてしまい、コンビニで買った朝食を食べつつ待つ。それでも一番乗りではなく、前に数台の先客が並んでいた。
カーフェリーの所要時間は、2時間40分と結構長い。座敷にごろ寝の二等船室で、ドライバーは休憩。子供らはあちこちに動き回る。カモメかウミネコが、ずっと船につき従って飛んでいた。海は穏やかで、ほとんど揺れず快適。
さて、佐渡ヶ島南端の小木港に到着。生涯初の佐渡ヶ島上陸である。早速、すぐ近くにあるたらい船の乗船体験へ。
乗船口の柱に、ユーチューバー「けえ」氏のサインが掲げられている。そう、そもそも何故佐渡ヶ島へ、という理由が彼の動画にある。佐渡ヶ島出身のけえ氏は、佐渡ヶ島のことをネタにした動画を多数配信しており、決めゼリフの「さーどーがーしーまー」という叫びは、子供らの間で相当流行ったらしい。御多聞に漏れずうちのジュニア達も、この動画を見て、佐渡ヶ島に行ってみたい、と相成った次第。
たらい舟は、一本のオールで器用に漕いで進む。長男坊もやってみたが、同じ場所で左に回ってしまうのみ。左右均等に漕がないといけないのだ。自分もやってみたが、やっぱり進まず。これはだいぶ難しい。
衣装を着たお姉ちゃんらはいとも簡単にスイスイ進んでいく。やはり経験を積まないとダメだな。
この後昼食で、佐渡でも有名な回転寿司店に寄るが、グルメ編は例によって別項にまとめた。
次に立ち寄ったのは佐渡金山。折しも、佐渡の金山が世界文化遺産に登録決定となったタイミングでの訪問であったが、登録が決まったから今回の旅行先としたわけではなく、たまたま時期が一致しただけである。
坑道跡は宗太夫坑と道遊坑の2つがあるが、両方入れる共通券を購入していざ突入。中はびっくりするぐらい涼しい。
まず先に入った宗太夫坑の方は、主に江戸時代までに掘られた坑道であり、ところどころに画像のような人形が展示され、ちょっと動いたり音声も流したりしながら、往時の採掘の様子を再現していた。
当時は手掘りであり、鉱脈に沿って縦横無尽に掘り進み、下へ掘っていった方は海面よりも低いところまで進んだため地下水が湧き出し、それを組み上げる作業も必要だったそうだ。金欲しさとはいえ、壮絶な苦労が偲ばれる。
一旦出口から出て、また同じ入口に戻って今度はもう一つの道遊坑へ。こちらは主に明治期以降に近代的手法をもって掘られた坑道で、トロッコの線路跡があったりエレベーターで上下移動していたりと、江戸時代までのそれとは打って変わっている。
金の産出量も、江戸時代よりも明治期以降、むしろ昭和時代あたりがピークだったそうだ。ちなみにこの金山は平成元年に操業停止になったということで、意外とつい最近まで現役だったことに驚いた。
鉱石を運ぶトロッコを牽引する電池式機関車が坑道に残されている。線路幅はおそらくナローゲージよりもさらに狭く、車両の大きさも普段見慣れた鉄道からすればミニチュアのような感じだ。
再び坑道の外へ出る。あまりの気温差にメガネも曇る。
しばらく歩いて振り返ると、そこには佐渡金山の象徴的光景が広がる。「道遊の割戸」と呼ばれるこの奇妙な風景は、金鉱脈に沿った部分を地下のみならず地上に露出した山体の一部も掘り尽くしたため、山にスパっと切込みが入った異様な形になっている。人間の物欲の凄まじさを思い知らされた。金が取れなくなった今も、観光資源として客から金(カネ)を取り込んでいる。
さて金山からちょっとだけ車で移動したところにある、北沢浮遊選鉱場跡を訪れた。ここは、掘り出した金鉱石を何やかやして金を取り出すための巨大な工場のようなところ、ということのようだ。テレビか何かでちらっと見た覚えがあるが、ぜひ実物を見てみたかった。
建造物の残骸に、うっそうと植物が這い回った光景は、まさに天空の城ラピュタ感満載である。
選鉱場のすぐ近くに、相川郷土博物館という地味な建物があったので、ついでに立ち寄った。大人300円で有料かよ、と思ったが、ちょっとネットで調べた限りではここにかなり重要な展示がなされているようだ。これは確かめねば。
郷土博物館というだけあって、この金山一帯の風土や人々の暮らしの様子、民俗資料などが展示されている。
その一角に、「朝鮮半島出身者を含む鉱山労働者の暮らし」という展示コーナーがあり、特に明治期以降の金山採掘において、朝鮮半島から(強制連行も含み)連れてこられた労働者が、過酷な労働条件で働いていた、という内容を示していた。
このコーナーこそが、先般佐渡金山が世界文化遺産登録を認めてもらえた際の大きな鍵なのだ。というのも、従前から佐渡金山の登録をイコモスに申請していたものの、某隣国K国からの横槍が入り、その佐渡金山の労働力として朝鮮半島から強制的に連れて行かれた経緯があるから認めるな、ということで一旦保留になってしまったのだ。その打開策の一つとして、そういった経緯もあったということを示す展示も入れるということで妥協されようやく登録に至ったのだそうだ。そのためにこの博物館もこの年の6月にリニューアルオープンしたばかりで、前述の展示コーナーを加えるということが重要なミッションだったのだ。一見地味だったが、そうした国際的駆け引きの現場を目撃できて、非常に感慨深かった。
この日はその後八幡にあるホテルに泊まることとなるが、温泉編としてまた別項に記した。
(総括編・2へ続く)
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