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シン・オリンピック考(1)

東京オリンピック2020が1年延期して今回強行開催されるに当たり、自分なりに五輪そのものについての考えをまとめてみた。

これまでもこのブログ内で、それぞれの年に開催された五輪についての所感などを記してきたが、それらでは、やれ金メダル数がどう、プレッシャーがどう、といった話題であったところ、今回のコロナ禍における数々の関係者等の動きを見て、そもそもオリンピックって何だったのだろう、誰のために、何のために開催されるのだろうという根本から問い直すべきではないかと思い至った。

今から1年少々前、当時の安倍政権の下、東京オリンピックの「1年」延期が決められた。それまではやる気満々で、だからこそ緊急事態宣言発令といった措置には後ろ向きだったのが、延期を決めた途端に急激な方向転換がなされた。それにしても、なぜ1年の延期だったか。1年でコロナ禍が終息する見通しがあったのか。おそらくは、1年だけであれば首相(党総裁)の任期は残っており、自らの功績の集大成として開閉会式等に華々しく出席できると踏んでのことだったのだろう。そこには科学的考察に基づいた判断など微塵も無い。だが皮肉なことに、2020年8月、自らの持病悪化を表向きの理由に、安倍首相は突如として辞任。最後の花道を飾る機会を失った。

急遽後任となった菅首相も、その後に新型コロナ感染状況がいくら悪化しようが、2021年開催に向けた強行姿勢はいっさい変わらず今に至る。どうやら、オリンピックを開催さえしてしまえば、何だかんだ言っても国民はワーッと盛り上がって、同年秋には行われるであろう総選挙でも有利になるという算段のようだ。これも、その判断に科学的考察は無く、政治的思惑のみで物事が決まっている。開催地首長の小池都知事も、一時期、中止の世論が高まっていることを受け、(一転して中止(開催返上)を申し出る)一発逆転を狙っているのではという憶測も流れたが、その機会も無いまま、都議選直前に過労で休養と雲隠れ、同情票を獲得して都民ファの惨敗を防ぐという動きを見せただけ。そこでも五輪開催是非にかかる客観的判断はなく、すべてを政局として自らの政治的野望の実現に向けて利用しているだけであった。

ここで、この記事執筆時点での私の意見を述べると、「東京五輪は中止すべき(延期でもなく)」である。理由としては以下のとおり。

・日本国内での新型コロナ感染状況は、もっと酷い状況のところもある諸外国に比べれば「さざ波」程度であるのは確かだが、その「さざ波」ですら重症患者の対応で医療崩壊の危機を迎えた。これはひとえに国内医療体制の不備(民間・中小規模の医療機関が多く、採算悪化や風評被害の恐れ、人手不足などを理由にコロナ患者を受け入れないところが多い。日本医師会などを中心とした勢力の「わがまま」等が遠因だが、これらに係る議論はひとまずここでは割愛)ではあるが、これが一朝一夕に解消される見込みはなく、にもかかわらず、海外から、選手・スタッフなど多数の入国者を入れることで、より感染力の強い変異株を国内に持ち込んでしまう、あるいは別々の変異株がミックスされてしまうおそれがある。
・新型コロナ感染状況が酷い状況の国では、オリンピック出場者選考に向けた国内予選の開催すらままならない。また、選手等の入国者にはワクチン接種、検疫・隔離等を強化すればいいという考えもあるが、だとすれば選手のパフォーマンスに影響が出ることが懸念される。更に、競技開催中にコロナ感染が判明して出場停止といった事態も想定され、要するに、全体的に見て、およそ選手間の前提条件が平等でない。そのような不平等な条件下での世界大会の実施で、果たしてそこで勝ったとしても、胸を張って世界一と言えるのかが疑問である。
・開催強行を熱望する勢力というのが、IOC関係者、テレビ新聞等のマスコミ、広告代理店、人材や設備等のロジ関係企業、スポンサー企業などである。これらは、もし大会が開催されないならば、経済的に大打撃を受ける、あるいはいつものオイシイ思いが出来なくなる、だからこそ是が非でも開催しなければならない、という論理である。しかし、コロナ対策ということで飲食、観光、運輸などの業界は既に経済的大打撃を被っている。それらはひとえにコロナ対策のために泣く泣く受け入れているのである。コロナ対策上問題があるからやるなと言っているのに、五輪だけは特別だ、というダブルスタンダードは、科学的考察に反しており、単に政治力でルールを歪めているだけの邪悪な存在に他ならない。これまでオリンピックが滞りなく開催され、皆がハッピーだった時には取り沙汰されることはなかったが、コロナ禍でその馬脚が露わとなっただけなのだ。「五輪中止となれば我々は死んでしまう」…いやむしろこの際そうした邪悪な方々には一度お亡くなりになっていただき、世の中をリセットすべきではないのだろうか。
・そもそも東京五輪を開催すべき大義名分は何だったのか。東日本大震災からの復興アピール、そしてもはや国内産業での自前の経済発展は望めないので、インバウンドによる需要拡大、そのおもてなし精神の発露としての海外へのPR、といったあたりだろうか。しかし、報じられた記事を拾い読みした限りでは、東京五輪誘致のきっかけは、当時都知事だった石原氏と石原ファミリーに係る政治的取引(石原都知事が五輪誘致をOKする見返りとして、息子の伸晃氏をよろしく頼むといった趣旨)とあって愕然とした。震災復興も、インバウンドも後付けの理由でしかない。そして、その後付けのインバウンドですら、このコロナ禍で雲散霧消してしまった。五輪を開催すれば経済効果があるから、中止すればこれまで掛かった費用が無駄になるから、だから開催すべし、というのが開催強行派の理由であろうが、既に経済的メリットは見込めないし(前述の一部の関係者を除く)、後者の不安に関しては「サンクコストバイアス」という言葉を授けた上での「損切り」を主張したい。1年延期すれば多少状況は改善されるかもしれないが、人あてや施設を再度押さえることのコスト増要因があり、やはり全体としての経済的メリットは望み薄である。第二次世界大戦時の大日本帝国と同様、なるべく早く白旗掲げて戦線を縮小しないと、出血が続くことになる。ガメればガメるほど、損害の方が増えるであろう。「延期」の案も採らないのはこうしたところが理由である。

ここまで書いてきて、オリンピックに限らず、およそのスポーツイベント、それも特に世界的な大規模なものについての課題、問題点に思い至った。それは、出場する選手(アスリート)、報道するマスコミ、スポンサー企業等の関係性と、その構造である。だいぶ長文となったので、項を改めてこれらを考察したい。

シン・オリンピック考(2)へ続く)

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