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知多半島ツアー

210722_06夏の家族旅行第一弾続編(前項はこちら)。リニア・鉄道館を後にして、この日の泊地へ向かって知多半島道路・南知多道路をひた走る。

愛知県知多郡美浜町の「紅葉屋」が今回予約した宿。この手の料理旅館は、ここら一帯に数多くあるが、この宿がお値段お徳だったらしい。おそらくは建物自体にはあまり設備投資の費用を掛けず、その分料理に注力しているのであろう。

210722_07ひとっ風呂浴びた後は晩ご飯。さすがは料理旅館だけあって、海の幸を中心にこれでもかという量と質の品々が出てきた。

なお、この日の利用客はうちら家族と、他は地元のスポーツチームの合宿利用のみ。せっかくの書き入れ時にこれは厳しいだろう。やはりこうやって家族利用(普段から一緒に生活している者同士なら、家にいようが旅行だろうがどのみち一蓮托生なので感染リスクは同等)によって、コロナ禍でも経済を回してやる必要があると感じた。

210723_01翌朝。宿の近くに「野間大坊」こと大御堂寺があるそうなので散歩で立ち寄る。平安末期から鎌倉時代にかけての源平合戦の前哨戦、平家打倒を掲げて挙兵(平治の乱)するも敗れた源義朝公終焉の地だそうだ。その子・源頼朝は助命されて後に平家を破り、鎌倉幕府を築くことになる。

境内に義朝の首を洗ったとされる「血の池」があり、国に一大事がある時は池の水が赤く染まるそうだが、このときは普通の小さな池だった。

210723_02翌日。明確な目的地はなかったが、ひとまず知多半島の先っぽの方まで行ってみようと車で海岸沿いを進む。途中で海水浴場がいくつかあって、駐車場に招き入れようとする猛烈なアピールには応じずにいると、魚市場のようなところを見つけたので立ち寄る。

どこから沸いてきたのかというぐらい駐車場はほぼ埋まっている。南知多豊浜漁港に併設の魚ひろばというところだった。

210723_03中に入ってみると、これまたたいそうな賑わい。伊勢湾・三河湾で採れた新鮮な魚介類が所狭しと並ぶ。金目鯛の干物をお土産に購入。

210723_04次に向かったのは、知多半島の山あいにある「南知多グリーンバレイ」。フィールドアスレチックなどがあるテーマパークである。

210723_05この日のお目当てはウォーターアスレチック、要するにプールである。単にプールがあるだけでなく、フロートでできたアスレチックやすべり台、浮き輪に乗っての急流滑りなど、いかにも子どもが喜びそうなアイテムがたくさんあった。

それはそれで大変結構なのだが、だいぶ混雑しており若干密状態だったのは気掛かりだ。子どもらが多くオープンエアとはいえ、誰か感染者が紛れ込んでいたらヤバかったところだ。

210723_06散々プールで遊び倒した後はBBQコーナーで昼食。ここも感染リスクの高いエリアではあるが、拍子抜けするほど閑散としていた。

プールの他にも、ウッドデッキでできた立体迷路や、屋内のボールプールのアスレチックなどが山盛りある。メインであるフィールドアスレチックには一切立ち入らないまま時間があっという間に過ぎていった。

210723_07屋外のアトラクションではバンジージャンプやスカイコースター(高いところからワイヤで吊り下げられて、軸長の超長い振り子で滑空するもの)もあった。長男が興味津々で、身長・年齢制限的にもギリOKそうな感じだったが、付き添う大人が皆無のため実現せず。また後年訪れたら付き合わされるのだろうか。

こうして夕方近くまで滞在したので、途中の渋滞もあって帰宅はだいぶ夜遅くとなった。

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リニア・鉄道館

210722_01今夏の家族旅行第一弾で、一路愛知県方面に向かう。名神高速道路で渋滞にはまってだいぶ時間はロスしたが、新名神に分岐してからは順調に流れて伊勢湾道に入り、名港中央ICで降りるとすぐそこにはJR東海の誇る「リニア・鉄道館」がある。

着いたらもうお昼前だったので、先に昼食を済ませてしまおうと金城ふ頭駅のコンビニで弁当などを買い込んで、車を止めて食べられる場所を探してさまよったところ、港で働く人達用の福祉センターがあって、食堂はお休みなのだがテーブルやイスがありエアコンの利いた涼しい部屋でいただくことができた。その後金城ふ頭駐車場に車を置き、ちょっと歩いてからようやく館内に入ってみると、リニア・鉄道館でも持ち込んだ昼食を食べられるコーナーがあったことに気づくも後の祭。

210722_02さすがはJR東海だけあって、歴代の東海道新幹線車両がズラリで胸アツ。この後ろの方には在来線車両も多数並んでいた。子供らの客もそこそこいるが、何せ広い館内なので密にはなっていない。

210722_03施設名に「リニア」を入れるだけあって、リニアモーターカーをイチオシのフロアもあった。リニア新幹線に乗車体験ができる映像コーナーは、並べば入れるので体験。20名分ほどの新幹線的な座席があり、前方に基本前面展望を映すスクリーン、左右両脇には小窓が並び、車窓を映し出すモニターがある。

浮上前はタイヤで接地し走行しているので、ゴロゴロ振動があるが、浮上走行に移るとフッと振動が消え静寂に。まるで航空機の離陸と同じである。車窓はほとんどがトンネル内で、規則正しく並ぶ照明ランプがひたすら流れるのみ。対向列車のすれ違いも一瞬だ。

とまあ結構な体験はさせてもらったが、最速で2027年に品川ー名古屋開業予定のリニア中央新幹線は予定どおり行くのだろうか。静岡県での水源問題や、そもそもコロナ禍での旅客需要減少など、前途多難。

210722_04このほかリニアモーターカーの科学的原理を説明するコーナーもあり興味深かった。

実は自分も初めて知ったのだが、リニアで浮上するのは、車両床下ではなく、車両側面にある超伝導磁石と、ガイドレール両脇のコイルで電磁誘導により発生する磁力を用いているということだった。列車が左右どちらかに偏ると、近寄った側の磁石は反発する並びになるので、常に列車を真ん中に留めようとする力が働く。また、両脇のコイルは電気を通しているのではなく単なる導線なので、たとえ停電してもこの力は働くのだ。

一方で、ガイドレール両脇には、これとは別に推進力を与える用の電磁石も並んでおり、これは電気を通して、かつそのN極S極の入れ替えをコントロールすることで、車両側の磁石を前へ前へと引っ張ることとなる。まさに、従前の電車なら円周を回転するモーターをリニア(直線)へと置き換える所以である。

ちなみに、磁気浮上式高速列車を「リニアモーターカー」と呼ぶのは日本だけで、和製英語なので海外では通用しない。英語ではMaglev(マグレブ)と言う。

210722_05鉄道系博物館恒例の運転シミュレータもあったので並ぶ。新幹線用の運転シミュレータは事前予約が必要でこの日はとうに売り切れだったが、在来線の運転シミュレータは並べばできる仕組み。別途100円の料金が要る。

画面等見た感じでは、おそらく京都鉄道博物館にあったものと同じなのではないかと思われた。駅名や路線等は架空のもので、東海地域の適当な名前になっているが、ブレーキを掛けた際の減速具合、特に中低速域でのヌルヌル滑る感じ(電車でGOアーケードとの比較)は、まさに京都でも体験したものと同じだった。要するにオーバーラン気味。ランカーブを会得するにはやり込まないとつかめないが、やり込むほどのものでもないからねえ。

夕方頃に退館しようとしてもなかなか終わりにしてくれないジュニア達。博物館ショップでもお土産に買うものを決めるのに逡巡して次の行程に遅れが生じることとなった。ほかの旅行記は別項にて。

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シン・オリンピック考(2)

シン・オリンピック考(1)から続く) 前回の記事投稿からこれまでの間に、東京五輪の競技会場がほぼ全面的に「無観客」で行われることに決まったという、前代未聞の事態へ推移した。もうムチャクチャである。だったら最初からやめとけよというほかないが、それでもやらないわけには行かない方々がいるのであろう。

さて、この項では、オリンピックを筆頭とした世界的なスポーツイベント、その関係機関と、出場するアスリートの関係性について考察してみたい。

あるスポーツでダントツに強いアスリートがいたとする。当然のごとく全国大会でも優勝、日本一となれば、次は世界だ。ドラゴンボールの悟空ではないが、「世界にはもっと強えヤツがいるに違いない、そいつらと闘いたい、オラ、すっげえワクワクすっぞ」という思いは、どの競技でも同じであろう。

ところが、世界大会ともなると、おいそれと開催できるものではない。開催地をどこにする、施設は、ルールは、審判は、予選は、と事前に用意すべきことが山ほどある。そして何よりも多額の費用がかかる。とてもじゃないが、一アスリートの力だけでできる代物ではない。

そこで、競技団体やスポンサー企業、マスコミの出番となるのである。世界一レベルでのスポーツの模様は、それ自体が至高のエンターテイメント素材でもある。要するに、競技場に観客が喜んで金を払って見に行き、世界中の視聴者がテレビの前で固唾をのんで見守る。CMでも流せば何億という人々が目にするであろう。世界大会の実施に必要な多額の費用を負担する代わりに、それらを商売のネタにさせていただきますよ、という算段だ。

ただ、これが行きすぎることの弊害が出てきてはしないか、と近年感じるようになってきた。端的に言うと、あるスポーツの純粋なナンバーワン決定戦というよりも、「感動ポルノ」の押し売りの格好の素材として費消されるだけの存在になっていやしないか、ということである。具体例を上げれば、高校野球の全国大会や正月の箱根駅伝である。

もちろんこれらの大会に出場するアスリート達に罪はない。そこでひたむきに闘う姿は視聴者に感動を呼び起こす。ハラハラドキドキの筋書きのないドラマだ。しかし、これが行きすぎると、感動を与えることが自己目的化してしまい、報道側の過剰な演出や、アスリート側も「あの大会に出て自分もテレビに映りたい」ということが目標となってしまったら、果たしてそれは本当にいいことなのだろうか。

大部分の競技が無観客となる見込みの今回の東京オリンピックに出場予定のアスリート達に問うとすれば、競技会場での観客からのワーキャーの歓声が無かったとしても、世界中のよりすぐりのライバル達と闘えることはワクワクしますか、さらに言えば、もしこれのテレビ中継すら無かった場合はどうでしょうか、である。

実は、現在のオリンピックは、ギリシャの古代オリンピックになぞらえたものというよりも、古代ローマの剣闘士の決闘に近しいものになっているのではないだろうか。ローマの剣闘士のイベントは、皇帝が民衆に娯楽として施したものであり、出場する剣闘士の多くが奴隷階級だったそうである。運良く勝ち残り生き残って名声を得たら、奴隷から解放され一般市民となる道もあるのだが、あの歓声が忘れられず再び剣闘士になる者も相当数いたそうである。

今回の東京オリンピックのコロナ禍での開催の是非が問われた際に、特に開催反対の意見の人の一部が、アスリート達に対して非難したという話を聞いたが、これはお門違い、筋違いもいいところである。アスリート達は鵜飼の鵜だ。鵜飼のショーの開催是非を鵜に問い詰めても意味がない。問い詰めるべき相手は鵜匠である。

さはさりながら、一アスリートがスポンサー企業無しでその競技一本で食っていくのは現在のところほぼ不可能だ。ただ、インターネットの普及とそれを活用したプラットフォームの利用で、企業だけに頼らない、アスリートがファンから直接収入を得る道ができるのではないかと考える。

具体的には、オンラインサロンのようなもの、あるいは動画配信の投げ銭のようなものである。また、クラウドファンディングもある。今のところこれらのサービスには怪しいものも結構見受けられるが、プラットフォーマーが公正でクリーンな運営をすれば、あるいはオリンピック強化選手に認定されることなどを要件に、それへの寄付を税制優遇の対象とすることなどによって、普及する可能性はある。

また、世界大会の中継も、「テレビ」一本に握らせるのではなく、分散化してネット中継にすれば、例えばオリンピックが米NBCの意向でクソ暑い7月末から8月にかけてという開催時期縛りに遭っている現状を打破する可能性がある。そもそも、オリンピックで全ての競技を限られた期間限られた場所で一斉にやろうということに無理があるのであって、ある4年間の間に開催される世界大会のいずれかを「オリンピック指定」としたうえで、それぞれの競技ごとにベストの時期、ベストの場所で開催して、4年間の期間満了時に総括的な閉会式(兼次期の4年間の開会式?)のようなイベントをやりゃあいいんじゃないかと思う。

言いたい放題放言したが、今回のコロナ禍が、スポーツにまつわるあれこれを大前提から見直す機会になれば、それはそれで意味のあることになろう。少なくとも私は、従前のようにオリンピックを何も考えずただひたすらにワーキャー言って観戦する、ということは無さそうだ。

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シン・オリンピック考(1)

東京オリンピック2020が1年延期して今回強行開催されるに当たり、自分なりに五輪そのものについての考えをまとめてみた。

これまでもこのブログ内で、それぞれの年に開催された五輪についての所感などを記してきたが、それらでは、やれ金メダル数がどう、プレッシャーがどう、といった話題であったところ、今回のコロナ禍における数々の関係者等の動きを見て、そもそもオリンピックって何だったのだろう、誰のために、何のために開催されるのだろうという根本から問い直すべきではないかと思い至った。

今から1年少々前、当時の安倍政権の下、東京オリンピックの「1年」延期が決められた。それまではやる気満々で、だからこそ緊急事態宣言発令といった措置には後ろ向きだったのが、延期を決めた途端に急激な方向転換がなされた。それにしても、なぜ1年の延期だったか。1年でコロナ禍が終息する見通しがあったのか。おそらくは、1年だけであれば首相(党総裁)の任期は残っており、自らの功績の集大成として開閉会式等に華々しく出席できると踏んでのことだったのだろう。そこには科学的考察に基づいた判断など微塵も無い。だが皮肉なことに、2020年8月、自らの持病悪化を表向きの理由に、安倍首相は突如として辞任。最後の花道を飾る機会を失った。

急遽後任となった菅首相も、その後に新型コロナ感染状況がいくら悪化しようが、2021年開催に向けた強行姿勢はいっさい変わらず今に至る。どうやら、オリンピックを開催さえしてしまえば、何だかんだ言っても国民はワーッと盛り上がって、同年秋には行われるであろう総選挙でも有利になるという算段のようだ。これも、その判断に科学的考察は無く、政治的思惑のみで物事が決まっている。開催地首長の小池都知事も、一時期、中止の世論が高まっていることを受け、(一転して中止(開催返上)を申し出る)一発逆転を狙っているのではという憶測も流れたが、その機会も無いまま、都議選直前に過労で休養と雲隠れ、同情票を獲得して都民ファの惨敗を防ぐという動きを見せただけ。そこでも五輪開催是非にかかる客観的判断はなく、すべてを政局として自らの政治的野望の実現に向けて利用しているだけであった。

ここで、この記事執筆時点での私の意見を述べると、「東京五輪は中止すべき(延期でもなく)」である。理由としては以下のとおり。

・日本国内での新型コロナ感染状況は、もっと酷い状況のところもある諸外国に比べれば「さざ波」程度であるのは確かだが、その「さざ波」ですら重症患者の対応で医療崩壊の危機を迎えた。これはひとえに国内医療体制の不備(民間・中小規模の医療機関が多く、採算悪化や風評被害の恐れ、人手不足などを理由にコロナ患者を受け入れないところが多い。日本医師会などを中心とした勢力の「わがまま」等が遠因だが、これらに係る議論はひとまずここでは割愛)ではあるが、これが一朝一夕に解消される見込みはなく、にもかかわらず、海外から、選手・スタッフなど多数の入国者を入れることで、より感染力の強い変異株を国内に持ち込んでしまう、あるいは別々の変異株がミックスされてしまうおそれがある。
・新型コロナ感染状況が酷い状況の国では、オリンピック出場者選考に向けた国内予選の開催すらままならない。また、選手等の入国者にはワクチン接種、検疫・隔離等を強化すればいいという考えもあるが、だとすれば選手のパフォーマンスに影響が出ることが懸念される。更に、競技開催中にコロナ感染が判明して出場停止といった事態も想定され、要するに、全体的に見て、およそ選手間の前提条件が平等でない。そのような不平等な条件下での世界大会の実施で、果たしてそこで勝ったとしても、胸を張って世界一と言えるのかが疑問である。
・開催強行を熱望する勢力というのが、IOC関係者、テレビ新聞等のマスコミ、広告代理店、人材や設備等のロジ関係企業、スポンサー企業などである。これらは、もし大会が開催されないならば、経済的に大打撃を受ける、あるいはいつものオイシイ思いが出来なくなる、だからこそ是が非でも開催しなければならない、という論理である。しかし、コロナ対策ということで飲食、観光、運輸などの業界は既に経済的大打撃を被っている。それらはひとえにコロナ対策のために泣く泣く受け入れているのである。コロナ対策上問題があるからやるなと言っているのに、五輪だけは特別だ、というダブルスタンダードは、科学的考察に反しており、単に政治力でルールを歪めているだけの邪悪な存在に他ならない。これまでオリンピックが滞りなく開催され、皆がハッピーだった時には取り沙汰されることはなかったが、コロナ禍でその馬脚が露わとなっただけなのだ。「五輪中止となれば我々は死んでしまう」…いやむしろこの際そうした邪悪な方々には一度お亡くなりになっていただき、世の中をリセットすべきではないのだろうか。
・そもそも東京五輪を開催すべき大義名分は何だったのか。東日本大震災からの復興アピール、そしてもはや国内産業での自前の経済発展は望めないので、インバウンドによる需要拡大、そのおもてなし精神の発露としての海外へのPR、といったあたりだろうか。しかし、報じられた記事を拾い読みした限りでは、東京五輪誘致のきっかけは、当時都知事だった石原氏と石原ファミリーに係る政治的取引(石原都知事が五輪誘致をOKする見返りとして、息子の伸晃氏をよろしく頼むといった趣旨)とあって愕然とした。震災復興も、インバウンドも後付けの理由でしかない。そして、その後付けのインバウンドですら、このコロナ禍で雲散霧消してしまった。五輪を開催すれば経済効果があるから、中止すればこれまで掛かった費用が無駄になるから、だから開催すべし、というのが開催強行派の理由であろうが、既に経済的メリットは見込めないし(前述の一部の関係者を除く)、後者の不安に関しては「サンクコストバイアス」という言葉を授けた上での「損切り」を主張したい。1年延期すれば多少状況は改善されるかもしれないが、人あてや施設を再度押さえることのコスト増要因があり、やはり全体としての経済的メリットは望み薄である。第二次世界大戦時の大日本帝国と同様、なるべく早く白旗掲げて戦線を縮小しないと、出血が続くことになる。ガメればガメるほど、損害の方が増えるであろう。「延期」の案も採らないのはこうしたところが理由である。

ここまで書いてきて、オリンピックに限らず、およそのスポーツイベント、それも特に世界的な大規模なものについての課題、問題点に思い至った。それは、出場する選手(アスリート)、報道するマスコミ、スポンサー企業等の関係性と、その構造である。だいぶ長文となったので、項を改めてこれらを考察したい。

シン・オリンピック考(2)へ続く)

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