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ほくりく紀行(後編)

前編からの続き)
190715_01翌朝。朝食前に、宿の近くを散歩。名勝「窓岩」を改めて眺める。岩の真ん中に穴(窓)が開いている。年間のごくわずかの期間に、ちょうどこの穴のところを通る夕日、あるいは月を観ることができるそうだ。

190715_02さらにもう少し歩いたところに、「せっぷんトンネル」なるスポットもあった。かつて映画のロケでここで撮られたキスシーンがあったのでそう呼ばれるようになったとのこと。トンネルの中に、見る角度によってはハート型に見えるイルミネーションが施されているが、それが写るように明暗調整すると、トンネル手前の地面が白飛びしてしまう。

で、なぜこのようなトンネルがあるのかというと、ずっと昔は、この海岸を行き来するには、波打ち際の岩場を通るしかなく、遭難事故が絶えなかったそうで、そこを通らなくていいように手彫りでトンネルを作ったのがこれなのだそうだ。今でこそ片側1車線の道路が整備されているが、昔は移動するのも命懸けだった。

190715_03宿を後にしてしばらく車で進むと、「輪島塩」という看板が目に付いたので立ち寄る。その名のとおり、昔ながらの製法で塩を作っている。見学や体験もできる。

海水から塩を作る場合、海水をいきなり煮詰めるとたくさんの薪が必要になってしまうので、まずは砂に撒いて天日干しをして、濃い塩分を含む砂をさらに海水で溶かして、十分に塩分濃度を高めてから煮詰めるのだそうだ。

砂に海水を撒く体験もさせてもらったが、スプリンクラーのように広く薄く飛ばすのは非常に難しく、また装備も重くて重労働だった。なお、かつてなぜそこまでして塩を作ったかというと、能登の地では地形上の制約から米作りが困難なことが多く、米で納める年貢の代わりに塩で納めたのだとか。ここで作られた、結晶の大きなお塩をお土産で購入。

それにしても、今の技術ならば、塩分濃度を上げるためなら、砂に撒くのではなく半透膜を使うのだろうけど、それだと味気ないのだろうか(塩だけに)。

190715_04さらにしばらく車で行くと、千枚田というスポットがあったので見物。「白米千枚田」は要するに棚田のこと。平坦な土地の少ない能登で何とか米作のためにと造作された見事な棚田だ。

さっきの塩といい、米作りが大変な能登の土地柄を感じた。

190715_05今度は世界一長いベンチがあるとのことで、サンセットヒルイン増穂の道の駅に立ち寄った。ここも夕日の名所なのだそうだ。端から端までは確かめなかったが、記されているところによれは全長460m。

190715_06旅行二日目のメインの目的地、石川県羽咋市にある「コスモアイル羽咋」に到着。元天文部としては期待するところ大。屋外にはロケットのレプリカが立ちはだかっていた。

190715_07展示物を見て驚くのは、「本物」も中にはあること。画像のヴォストーク宇宙船カプセル(旧ソ連)も、実際に宇宙から帰還したホンモノ。どうやって手に入れたんだ?。

で、展示を見ていくうちに、ネタが微妙に古いということが気になる。冷戦期に米ソがこぞって宇宙開発競争してた時期のものばかりで、スペースシャトルすら出てこない。ボタンを押すと流れる映像も、何かそこはかとなく漂う少し古い感。極めつけは、UFOとか超常現象とかの、科学からすれば結構「トンデモ」扱いされているテーマも正面切って展示されていた。いったい何なんだここは。

一つ一つの展示ももっとよく見たかったのだが、前日同様、息子らのご機嫌取りと後を追うことにばかり労力が裂かれてしまう。ミニシアターで上映される映像も見たかったのだが、始まった途端真っ暗な会場でグズリだした次男坊を連れて泣く泣く退散(なお、シアターは別料金だったがこの場合は払い戻してくれた)。子連れで博物館に行っても大人はほとんど楽しめない。

190715_08最後の観光立ち寄り(と言っても車窓見学だが)スポットは千里浜なぎさドライブウェイ。自動車で堂々と波打ち際の砂浜を走れる道だ。ここは昔々若かりし学生の頃にドライブツアーで遊びに来て通った記憶がある。時を経て妻子連れで通ることになるとは、感慨深い。

(本記事は、だいぶ後になってからの投稿のため、相当記憶が薄れており、そんなことがあった、という記録程度の内容となっているのでご了承願います)

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