清鶴酒造
この日は、高槻市富田にある「清鶴酒造」を訪れた。富田にはここともう一つ「國乃長」の銘柄で知られる寿酒造の2つの酒蔵があり、寿酒造については例年蔵開きなどのイベントを開催しているので過去何度か訪れたことがある(参考記事)が、清鶴酒造では蔵開きといったイベントはなく、今回が初の訪問となった。
かつては富田にはもっと多くの酒蔵があり、酒どころとして知られていた。その辺の歴史的解説は、路傍に掲げてあった高槻市教委の解説看板が述べているので、そこから引用。
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富田の酒造り
富田は、江戸時代前期に、商工業基盤や後背地の良質な米作、台地の地下水脈を巧みに利用して、寺内町から酒造の町へと変貌した。
最盛期の明暦頃(1655~58)には、24軒の酒造家が軒を連ね、8200石(米高)を超える酒造高を誇っていた。しかし、度重なる酒造制限令や、伊丹・灘等の発展で生産量は減少し、幕末では6~8軒となった。
現在は、2軒の酒造家が伝統の製法技術等を受け継いで、"地酒の味"を守り伝えている。
昭和63年3月 高槻市教育委員会
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この記事に画像は載っていないが、建物入ってすぐのところに瓶詰めの機械が置いてあった。話によると、元々そこにあったのではなく、前年6月の大阪北部地震で建物が被害を受け建て替えをするために一時的に待避させているのだそうだ。このほかに井戸もあったのだが、一緒に連れていた次男坊のご機嫌取りで撮る暇なし。
更に奥へ進むと、原料の酒米をしばらく水に漬けておく機械があった。ここからは画像あり。たまたま見学時にも実際に米が装填されている状態だったので、作業の一部を見ることができた。
次は2階に上がる。途中で見えた巨大な桶は米を蒸すところだったか、これも次男の相手のため説明をじっくりとは聞けなかったので失念。
2階の作業場。蒸し上がった米を広げて冷まし、そこに麹菌を振りかけ、菌がしっかり根付くまで左にある扉の中にある保温室でしばらく保管する、ということだったかと思う。
中2階に当たろうか、醸造用タンクの上段部分。画像には写っていないが奥の方のタンクは実際に醸造中で、ふたを開けるとほんのり甘い日本酒のいい香りが漂ってきた。なお、一番奥のタンクでは大吟醸を醸造中で、これはとても繊細なため杜氏以外は蓋を開けることすら許されないのだそうだ。
先の醸造用タンクを1階側から見るとこんな感じ。画像では伝えづらいのだが、2階の作業場の床に一部小さい四角い穴が開くようになっていて、その真下にこれらのタンクが位置している。
発酵が終わった醪(もろみ)を搾るための枡。まずは自重のみで嵩が減るそうだ。
このときもちょうどこれから搾る予定の醪が入った袋が詰められていた。このように機械があるとはいっても、大規模醸造メーカーに比べればロットが小さいので、大量生産はできない。その一方で昔ながらのこだわりの製法を忠実に守り続けている。これこそが地酒の良さであり醍醐味である。
見学の最後はお楽しみの試飲コーナー。お馴染みの「ひやおろし」はもちろん、あらばしりや濁り酒まで数種類のお酒をテイスティング。先ほど搾ったばかりの生原酒も試飲させてもらったが、雑味や荒々しさが先に立っていまいち。実際は瓶詰めして商品となるまでにしばらく寝かせて品質を安定させているそうだ。また、当主の解説によれば、日本酒は個性もいろいろで人によって相性は様々なので、自分に合った酒、自分が旨いと思える酒を見つけることが大事なのだとか。そのガイドをしてくれる行きつけの酒店があるとなおよいとのこと。
即席のお土産販売コーナーで試飲の際に気に入った日本酒と酒粕ケーキを購入。6代目当主の息子さん(小学生)もしっかりお手伝いをしていて、将来の7代目も安泰の模様であった。なお、この見学コースは有料であるが、サービスお土産についてくる濁り酒や酒粕の代金相当でトントンとなる値段だった。今回は相方の職場関係を中心に10名ほどで見学して程よい人数。2月の土日のみ要事前予約で受付、となっていたが、現時点ではホームページに見学案内ページが存在しないので、詳細は清鶴酒造へお問い合わせを。
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