平成30年台風21号
平成30年(2018年)9月4日、台風21号(アジア名:チェービー)は、非常に強い勢力を保ったまま12時頃に徳島県南部に上陸した。この台風やそれによる被害についての詳細は各所に記録されているのでそちらに譲ることとして、身の回りの状況などを備忘録代わりに記載しておくこととする。本記事は、便宜上台風襲来時の日付としているが、だいぶ後になってから掲載したものである。
台風の接近はあらかじめ予測されていたので、その日は早々と保育所の臨時閉鎖が決まり、またJR西日本も昼頃から全ての列車運行を止めると事前に宣言していたため、仕事も休みを取った。ところが当日朝も嵐の前の静けさ。保育所に行けず元気が有り余っている子供らを公園に連れて行って遊ばせるぐらいの平穏さだった。
しかし、昼頃から様相が一変する。今まで経験したことがないような強風が吹き荒れた。昼前からは家にこもり、シャッターも全て締め切っていたので、外の様子は見えず、音でうかがい知るしかない。何かが飛ばされて転がっていく音、飛ばされた何かが落ちてきてぶつかる音。そして最接近の15時あたりでは、時折瞬停が起きた。いよいよ停電かもと思ったが、何とか我が家は停電を免れたようだ。
そして関西空港の連絡橋にタンカーが衝突したとのニュースが飛び込んできた。これにより関空は孤立、その後しばらくは鉄道も車もアプローチできない状態が続き、外国人観光客の激減につながることとなる。
そのほか、各地で主に強風による被害が発生した。以下はANNがまとめた投稿映像より。
消防庁の集計では、この台風による死者は13名。いずれも、強風による転落・転倒や、飛来物に当たったことが原因とみられるそうだ。これらは、外に出なければ防げた可能性も高い。さらに言えるのは、今回と似たような進路を取った昭和9年(1934年)の室戸台風で死者2000名余り、昭和36年(1961年)の第二室戸台風で死者200名弱に比べれば格段に少なかった。治水が進んで洪水被害がなかったこともあるが、建物が頑丈になり、外にさえ出なければ命はまず助かるようになったのだろう。そして、JR西日本が早々と運行休止を宣言したことが、多くの人の通勤通学を最初からあきらめさせることにつながり、犠牲者の減少に寄与したのではないかと考える。「超ファインプレー」と評しても過言ではない。
さて強風が収まった夕方過ぎ、近所の人らがわらわらと外に出て後片付けやらを始めた。こちらも家から出てみてビックリ、あちこちに飛ばされてきた屋根の破片やらが散らばっている。植木鉢を外に置いたままだったお宅では、全部飛ばされて落ちて割れていた。また、カーポートの屋根が丸ごと吹き飛ばされている家もあった。その後もSNSで友人らの「ベランダの屋根が飛ばされた」「未だに停電中」といった被害報告を目の当たりにすることとなった。
振り返るに我が家の被害はどうだったというと、通過直後には被害なしという認識だったのだが、後日よくよく見ると外壁に傷が付いているのに気がついた。おそらくは飛ばされてきた何かが当たったのだろう。車に当たらなくてなくてよかった。
気がかりだったのは屋根。簡単に見ることは出来ず、これも後日だいぶ経ってから、棒の先に携帯のカメラを貼り付けて撮影することでようやく確認できた。見たところ大きな被害はなさそうだったが、これもよく見ると真ん中あたりのスレート材の端っこが欠けているようであった。まあ、この程度ならかすり傷だろう。
6月の地震で屋根瓦がズレたり落ちたりしてブルーシートを掛けている家も市内に相当数あったが、これらの多くが台風で飛ばされてしまった。修理業者も手一杯でなかなか修復が進まず、その後も長期間ブルーシートが掛かった屋根が残り続けることとなった。
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