« 平成30年大阪府北部地震(1) | トップページ | 父還る »

平成30年大阪府北部地震(2)

平成30年大阪府北部地震の記事続き。地震当日からだいぶ経ってからの投稿のため、その後の報道等も含めての検証を中心とする。

まず今回の地震の震源について。当初はてっきり有馬・高槻構造線(阪神・淡路大震災を引き起こした活断層の延長線上にある断層帯)が動いたものかと思ったのだが、震源地はそれよりも若干南にずれていた。また、震源地よりも若干離れた茨木市内でも被害が大きかった。

180718_asahi地震から1ヶ月後の7月18日付朝日新聞の記事によると、震源では2つの異なる断層が別方向に動いたとみられるとの解析結果が載っていた。

その記事に載っていた図によると、震源から北寄りに向かって逆断層が、震源から西寄りに向かって横ずれ断層が動いたということである。この、西に向かって走った揺れが、茨木市内での被害につながったのではないかと思われる。

また、地震の翌日、6月19日付の毎日新聞の記事(有料)によると、地盤の軟弱さが揺れを増幅させたのではないかとの解説が述べられていた。以下その記事に載っていた震度分布の図だが、震源から近いところだけでなく、やや離れた場所でも震度6弱とされている地域があることがわかる。
180619_mainichi

地盤について調べていくと、住所ごとに地盤の揺れやすさを示す朝日新聞の記事があることがわかった。これは東日本大震災を受けて作られたページのようだが今でも健在で、住所を入れると丁目レベルの細かい単位で、元々どのような地勢の土地だったのかと揺れやすさの指数を示してくれる。

これによって自分の住んでいる地域を調べてみると、意外にも「砂礫質台地」と表示され、それほど軟弱ではないことが分かった。そういえば自宅を建てる際、地盤のボーリング調査をしたが杭打ちは不要という調査結果だった。一方で、ブロック塀が倒れて女児が亡くなった地点の地盤を調べると、後背湿地で非常に軟弱と表示された。

Old_osakabayこれでふと思い当って、さらに大阪湾(というか大阪の海岸線)の変遷を調べてみると、大阪市住吉区が載せている資料(PDFファイル)の中に左のような図を発見した。これは縄文海進と言われる海水面上昇が起こっていた頃の海岸線(そのうち約5500年前のもの)で、現在の大阪平野は大部分が海の中に没しており、わずかに上町台地のみが半島状に付き出していた。一方で高槻付近を見ると、現在の淀川沿岸一帯はこれも海中あるいは河口のあたりとなっており、ただしそのすぐ北側に「富田台地」と書かれた陸地があった。先の地質を示すサイトで「砂礫質台地」と表示されたのは、たぶんこれだろう。

そういえば、以前に地元自治会の集まりがあった際、年配の方々が雑談しているのを漏れ聞くところでは、地質関係の学者さんが「地震に関してはこの町内は大丈夫だ」と言っていた、ということを思い出した。その意味するところは、たぶんこのことを指していたのではないかと考えられる。

Takatsuki_oldmap
次に、大阪近辺の古地図(明治時代後半)をたまたま目にする機会があったので、高槻付近を改めて確認すると、まだ高槻市に合併する前の当時の村々が点在しているのだが、その中でもひときわ大きい集落となっている富田村は、先の大阪湾変遷で見た「富田台地」のちょうど南の縁の部分にあたるのだということが分かる。台地の縁は伏流水からの水を得ることが容易であり、だからこそ今でも酒蔵がある。

その一方、富田村から南東方向は、田畑と思われる平地が広がっているが、集落は見当たらない。おそらくは、ひとたび淀川や芥川、如是川が氾濫すれば水浸しになる低湿地だったので、田畑はできても家は建てられなかったのではないかと考えられる。しかし、現在はどこもかしこも住宅街となっている。この辺の話については、自然災害・地域防災対策支援センターというNPO法人のサイトに載っていた「大地震や大雨から守る 安全な地盤」-高槻市域で宅地・住宅に適した地盤の見分け方-という資料(PDFファイル)にも詳しく述べられている。

180620_mainichiところで、地震の2日後、6月20日に掲載された毎日新聞の記事(有料)によれば、今回の地震波は「極短周期」というタイプで、多くの家屋が倒壊した阪神大震災や熊本地震に比べると、家(1・2階建て程度の木造家屋)よりもブロック塀や家具の方が共振しやすい性質を有しているとのことであった。確かに今回震度6弱という強さにもかかわらず家が倒壊したという被害は聞かれなかったが、他方で屋根瓦がやられた家が多かったのはこのことが原因であると思われる。

ということで、いろいろ調べて見ると、今回の地震が震源地間近だったにもかかわらず、我が家では皿一つ割れなかったのは、これらのような背景があることが分かった。そもそも4年前に自宅を建てた際、最重要コンセプトは、来るべき南海トラフ巨大地震に耐えること、無傷は無理にしても、家にいて死ぬことはないこと、が最低条件であった(参考:本ブログ記事「新都造営の経過(その2)」にトラックバック)が、それに向けての格好の抜き打ち検査の機会にはなったといえる。秘策「制震テープ」は十分に機能していたようだ。

逆に言うと、今回の地震ぐらいでやられているようだと、「本番」の際は目も当てられない事態となることだろう。上に示したように、かつて海の底だった軟弱な地盤に、今や何百万人も住んでいるということをよく認識する必要があると思われる。

|

« 平成30年大阪府北部地震(1) | トップページ | 父還る »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 平成30年大阪府北部地震(2):

« 平成30年大阪府北部地震(1) | トップページ | 父還る »