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平成30年大阪府北部地震(1)

平成30年6月18日午前7時58分、大阪府北部を震源とするM6.1の地震が発生した。
その時は家族全員がまだ家にいて、息子二人はダイニングテーブル脇の椅子に座っており、自分は掃除機をかけているところだった。最初にグラッと来て、普段なら初期微動継続時間を計るのだが、そんな暇もなく瞬時に大きな揺れが襲う。「地震だ、デカい!」と叫ぶと、ダイニングテーブル脇で座っていた次男坊がギャーッと悲鳴を上げたので、相方がそばに飛んで行って抱きあげた。自分は何をしていたのかよく覚えていないが、ようやくブザーが鳴った携帯の緊急地震速報に「遅いっ!」とツッコミつつ、揺れが収まる頃になって食器棚の開放防止ロックをかけていた。ちなみに食器棚は転倒も中の食器の飛び出しもなかった。突っ張り棒をしていたおかげだろう。幸いにして部屋の中で落下物はなく、パントリーのワインボトルが倒れていた(割れていはいない)のと、外の自転車が倒れていた程度。

急いで携帯のワンセグでテレビを見る。余談だが我が家ではちょっと前からテレビを撤去してしまったので、普段はテレビのない生活で、朝にラジオのネット放送を聴いている。報じられている震源地は、大阪府北部…って、直下ではないか。震源地の高槻市やその周辺で震度6弱。でも我が家の近所では、家が倒れたとかはなさそうだ。

180618_1こんな状況ではあるが、とりあえず相方が次男を保育所に預けに行く。預け終わって家に戻った相方が言うには、保育所に行く途中の幾つかの家では瓦が落ちていたり、石灯籠が倒れているところもあったとのこと。

なお、いったんは子供を預かってくれた保育所だったが、結局この日は臨時休所となり、再び子供を引き取ることとなった。親の仕事の都合ですぐには迎えに来られない、長男坊の同クラスの子供もついでに我が家で過ごしてもらうこととなった。

180618_2やがて上空には複数のヘリが飛び交う音が聞こえてきた。それらの空撮映像が臨時モードに切り替わったテレビで生中継されている。地元民がよくわかっていない周囲の光景が、テレビではいち早く報道されており、それを見て状況を知る、という何だか滑稽な状況だ。新幹線が止まっている映像、水道管が破裂して水が吹きあがっている映像などが流れてきた。これは結構ひどい被害になっているのか。そして、小学校のブロック塀が倒れて児童が心肺停止と速報が流れる。ああ、ついに、犠牲者が出てしまった。

鉄道は完全にマヒした。近所の阪急京都線でも、快速急行が途中で止まったままで動かない。踏切をまたいだ状態で停車しているので、通行にも支障が出ている。掲載画像は地震からだいぶ時間が経った後の様子。ドアを開け、乗客が線路に降りはじめている。それでもまだたくさんの乗客が車内に残ったまま。通勤時間帯だったので車内も込み合っており、中には長時間立ちつくして気分が悪くなったのか、線路脇にぐったりと座り込んでいる人もいた。結局この日は深夜になるまで鉄道が動き出すことはなかった。

JR、阪急とも動きそうな気配は微塵もなく、とても通勤できる状況ではなかった。むしろ通勤のために電車に乗っていなかったのは幸運で、たまたまこの日は子供を保育所に送る当番の曜日だったから遅くまで家にいたのであり、そうでなければ地震発生時は既に電車に乗っている時間帯だった。午後になってから、地震当時既に梅田近辺に出勤しており、歩いてこちら方面に向かい帰宅中だった義母を回収すべく、車に乗って出かけたのだが、ごく近所でさえかなり渋滞気味であり、これはとても無理だろうとすぐに引き返した。その後、相方が自転車で迎えに行って、合流後義母に自転車に乗ってもらい、当人は走って一緒に帰るという形で救援した。

なお、地震直後も、我が家のライフラインについては、電気・ガス・水道・ネットとも一切途切れることなく健在なのは強運だった。茨木市内の親戚宅も含むかなりの軒数が数日間ガスが不通だったり、同じ高槻市内のマンションにある実家では給水タンクが損傷を受け数日間断水した。ちなみに地震当日の夕方頃に、高槻市内で広範囲にわたって断水するとの情報が一時流れたのだが、他の自治体からの応援給水を確保して辛くも免れたそうだ。こうした情報が、相方も参加している、保育所のママ友LINEグループで飛び交っていたようだ。

情報関連で言えば、地震直後は当然輻輳するだろうから携帯電話は掛けなかったのだが、実家に安否確認のつもりで送ったキャリアメール(ドコモ)も送信できない状態だった。一方、ネット上のSNSは、Twitter、Facebook、LINEとも問題なく送信・閲覧できるようだった。振り返ってみればLINEグループが安否確認には一番便利だったという状況。昼過ぎになってから、小学校時代の恩師から電話がかかってきた。それまでずっと電話をかけてもつながらない状態だったそうだ。というか、だからこそ輻輳が起きてしまうわけなのだが。

長くなってきたので、一旦ここで切って、今回の地震の検証等は別記事で改めることとする。

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