渡し舟マラニック(後編)
前編からの続き。大阪市内とは思えないさびれた無人駅が現れた。南海電車汐見橋線の木津川駅だ。
30分に1本しかない南海電車が走ってきた。一応電化・複線である。ごくわずかだが乗客も乗っている。
終点の南海汐見橋駅。
汐見橋駅の料金表。これを見ると汐見橋線は盲腸線のようだが、実はもともと南海高野線はここが起点で、南海本線と岸里玉出でクロスしていたのだ。地図を見ると一目瞭然。
大阪ドーム近く、千日前通りが木津川を渡る大正橋のたもとに、津波被害の慰霊碑があった。後で調べると大地震両川口津浪記石碑という文化財にもなっている史跡のようだ。この石碑のほかに、江戸時代にあった津波被害を記した案内板が掲げられているが、書き起こすのも大変なので、これについて詳しく案内しているブログ記事があったので、そちらへリンクさせていただくこととする。
(十三のいま昔を歩こう:「大阪にも大津波・安政大津波(浪)碑」へトラックバック)
アーチ形の水門が現れた。一般的な水門では、巨大なかまぼこ板をギロチンのように落として閉める形状になっているが、この水門では開いた状態はアーチ形の板が上に凸になっており、それを横倒しにすることで閉まるようになっている。さあ、果たして南海トラフ巨大地震の後にこいつらは無事動いてくれるのか。
他にも、今回のマラニックではいくつもの防潮堤を横目にしてきたが、それらも地震の後は建てつけがズレて閉められなくなるものが続出するんだろうなあと懸念される。また、海抜0mはおろかマイナス2mほどの一帯もあり、地震の後はとりあえず高いビルに逃げるしかないのだろう。
この日2回目の渡し舟。甚兵衛渡船場。距離も短くすぐ向こうに対岸が見えている。自転車で利用する地元民多し。
かつて大阪環状線方面から大阪港各工場へ向けて引かれていた貨物線の廃線跡があった。まだ線路が残っている。線路脇は家庭菜園になっていた。
さらに先の方まで来ると、線路も残っていないが、「無線切替」という看板が残っている。ずっと前方には大阪環状線の高架も見えてきた。
かつてガード下だった部分の、ガードがなくなって、両端のコンクリート壁だけが痕跡となっている。
廃線跡が環状線の線路に合流するところ。駅でいうと西九条付近。外回り線だけが高架となっており、そこをくぐって外回り線と内回り線の真ん中に入り込むようになっていたのだ。今見ればこの箇所が高架になっている意味が不明だが、かつては意味があったわけだ。
なぜかC57が展示されている会社があった。一般開放はしていないので、外のガラス窓からのぞき込むだけ。
安治川トンネル入り口。エレベーターで地下道に降りる。ここは以前にも通ったことがある。あとはゴールのT氏宅までひた走って今回のマラニックはほぼ終了。
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