熊本派遣余録(観光編)
熊本派遣余録、最後は唯一立ち寄った観光(?)スポットを紹介して締めたいと思う。
派遣3日目の午前は、遅番のため、昼食後に益城町の避難所へ着けばよかった。だが、ホテルのチェックアウトが10時なので、そこから途中で昼食を取るにしても時間が余り過ぎる。そこで、経路上にある、ちょっとした立ち寄りスポットはないかを探してみたところ、「鼻ぐり井手公園」がヒットした。着いてみると、平日で雨ということもあるが、誰もいない。ううむ、超地味なところに来てしまったか。
公園内にあった解説文が、ここの概要を説明してくれたので、丸まま引用して紹介する。
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馬場楠井手の鼻ぐり
菊陽町指定文化財 昭和54年2月23日指定
肥後の武将、加藤清正は多くの土木事業を行いましたが、慶長13年(1608)に完成した馬場楠井手もその一つです。
馬場楠井手はここから約1800m上流の白川に築かれた馬場楠堰から取水する灌漑用水路で、白川左岸台地を潤していますが、他の灌漑用水井手とは違いこの井手には、「鼻ぐり」と呼ばれる全国に類がない独特な工法が用いられています。
阿蘇に源を発する白川にはヨナ(火山灰土砂)が多く含まれており、各灌漑用井手にはヨナが堆積し、維持管理が大変でした。
さらに、この区間(曲手~辛川)は、厚くて固いがん何が、400mも続く所で、もし、井手を掘削した場合、地上から井手の底までの深さは約20mになり、井手の底に堆積するヨナを人力で排出するのは困難と予想されました。
そこで、加藤清正は水の力と岩盤を利用してヨナの堆積を防ぐ「鼻ぐり」と呼ばれる、独特の構造物を考案しました。
その構造は、岩盤を掘削するときに壁(約2~5mおきに厚さ約1m、高さ約4~10m)を残し、その下に半円型の径約2mの水流穴をくり抜いたものです。そして、ここを流れるヨナを含んだ水は、壁の影響で流れが変化し、うずを巻いて水流穴からヨナとともに流されていきます。
この「鼻ぐり」は当初約80ヶ所設けられ、江戸時代末期に水理を知らない役人によって約50ヶ所は破壊されたと伝えられています。また、自然災害などで壊れてしまったものもあり、現在では24ヶ所を残すのみですが、昔と変わらずその役目を果たしています。
なお、「鼻ぐり」の名前の由来については、牛の鼻ぐり(鼻輪)に似ているからこの名が付いたと思われ、この区間のみ通称「鼻ぐり井手」と呼ばれています。
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なるほど、そういうことだったのか。わかってから実物を見るが、やはり地味。補足情報として、震災による特段の被害等は受けていないようだ。
動画も少しだけ撮影しておいた。
ちなみに、派遣任務が終了して避難所から熊本駅までタクシーで戻る際に、運転手との雑談でこの「鼻ぐり」の話が出てきて、感激された。というのも、その運転手はかねてからこの鼻ぐりの素晴らしさを伝えていたのにあまり知られておらず、震災直前に放送されたNHKの番組「ブラタモリ」で紹介され、ようやく世に認知されたことを大変誇りに思っていたのだそうだ。同番組の熊本城の回は見たが、その次の回の放送だったのか。見逃しており残念。
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コメント
ブックマークを上の方に移動したので、時には見るように。。。(^^)
鼻グリですか、なかなか興味深い構造ですね。
逆に詰まりやすいのかも?と言う気もするのですが実際には役立ってるんだものなぁ。。。
通潤橋も熊本だし、なにか水理の伝統みたいなのがあるのかもしれない。
投稿: ひらの | 2016/07/03 21:39
400年経った今でも、堆積物を掻き出す必要がないそうです。加藤清正公の先見の明、畏るべし。
投稿: くりりん | 2016/07/06 05:42