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熊本派遣余録(観光編)

160510_3熊本派遣余録、最後は唯一立ち寄った観光(?)スポットを紹介して締めたいと思う。

派遣3日目の午前は、遅番のため、昼食後に益城町の避難所へ着けばよかった。だが、ホテルのチェックアウトが10時なので、そこから途中で昼食を取るにしても時間が余り過ぎる。そこで、経路上にある、ちょっとした立ち寄りスポットはないかを探してみたところ、「鼻ぐり井手公園」がヒットした。着いてみると、平日で雨ということもあるが、誰もいない。ううむ、超地味なところに来てしまったか。

公園内にあった解説文が、ここの概要を説明してくれたので、丸まま引用して紹介する。

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馬場楠井手の鼻ぐり
 菊陽町指定文化財 昭和54年2月23日指定

 肥後の武将、加藤清正は多くの土木事業を行いましたが、慶長13年(1608)に完成した馬場楠井手もその一つです。
 馬場楠井手はここから約1800m上流の白川に築かれた馬場楠堰から取水する灌漑用水路で、白川左岸台地を潤していますが、他の灌漑用水井手とは違いこの井手には、「鼻ぐり」と呼ばれる全国に類がない独特な工法が用いられています。
 阿蘇に源を発する白川にはヨナ(火山灰土砂)が多く含まれており、各灌漑用井手にはヨナが堆積し、維持管理が大変でした。
 さらに、この区間(曲手~辛川)は、厚くて固いがん何が、400mも続く所で、もし、井手を掘削した場合、地上から井手の底までの深さは約20mになり、井手の底に堆積するヨナを人力で排出するのは困難と予想されました。
 そこで、加藤清正は水の力と岩盤を利用してヨナの堆積を防ぐ「鼻ぐり」と呼ばれる、独特の構造物を考案しました。
 その構造は、岩盤を掘削するときに壁(約2~5mおきに厚さ約1m、高さ約4~10m)を残し、その下に半円型の径約2mの水流穴をくり抜いたものです。そして、ここを流れるヨナを含んだ水は、壁の影響で流れが変化し、うずを巻いて水流穴からヨナとともに流されていきます。
 この「鼻ぐり」は当初約80ヶ所設けられ、江戸時代末期に水理を知らない役人によって約50ヶ所は破壊されたと伝えられています。また、自然災害などで壊れてしまったものもあり、現在では24ヶ所を残すのみですが、昔と変わらずその役目を果たしています。
 なお、「鼻ぐり」の名前の由来については、牛の鼻ぐり(鼻輪)に似ているからこの名が付いたと思われ、この区間のみ通称「鼻ぐり井手」と呼ばれています。
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なるほど、そういうことだったのか。わかってから実物を見るが、やはり地味。補足情報として、震災による特段の被害等は受けていないようだ。

動画も少しだけ撮影しておいた。

ちなみに、派遣任務が終了して避難所から熊本駅までタクシーで戻る際に、運転手との雑談でこの「鼻ぐり」の話が出てきて、感激された。というのも、その運転手はかねてからこの鼻ぐりの素晴らしさを伝えていたのにあまり知られておらず、震災直前に放送されたNHKの番組「ブラタモリ」で紹介され、ようやく世に認知されたことを大変誇りに思っていたのだそうだ。同番組の熊本城の回は見たが、その次の回の放送だったのか。見逃しており残念。

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熊本派遣余録(グルメ編)

熊本震災支援業務については、重い、堅い記事ばかりが続いたので、元気な熊本も記録に残しておきたいと思う。

馬肉料理 むつ五郎
160509_2熊本といえば馬刺し、ということで5月9日の晩ご飯に「馬肉料理 むつ五郎」を訪問。熊本城近くの繁華街は、そこそこ賑わっていた。ただし地下に降りる階段の屋根ガラスが割れていて、エレベータしか使えなかった。

カウンターと座敷の店内は、平日だがそれなりの盛況。馬刺しは、まるでマグロのトロを食べているように脂が乗って柔らかかった。

160509_3馬肉の握りは、まるでマグロの赤身のようにさっぱりとしてうまかった。この他にも馬肉料理をいろいろいただいたが割愛。

なお、シメに「馬汁」を頼んだのだが、「うまじる」と注文したのに対して「ばじる、ですね」と返された。まあ、豚汁も2通り読み方はあるが。

馬肉を食べまくった割には意外とリーゾナブルだった。

菊陽亭
160510_25月10日は遅番だったため、昼食を終えてから任務地に着くのでよい。ということで、経路途中にある「菊陽亭」という定食屋に立ち寄り。食事内容自体はありきたりなのだが、日替わり定食500円、ドリンクバー150円という驚異的安さ、ボリューム、出てくる速さが印象に残ったのでアーカイブ。

ちなみにどうでもいい話だが、駐車場から道路に出るところの切り込みがわかりにくく、切り込みのない段差をガタンと落ちながら車で出た。

火の国 文龍 菊陽バイパス店
160511_45月11日の帰りに、晩に寄ったのが、「火の国 文龍 菊陽バイパス店」というラーメン店。バイパス沿いにあるが、駐車場は予めバイパスの側道に入っておかないとアプローチできないので要注意。というか最初は入れずに行きすぎた。

160511_5店内はテーブル席とカウンターでほぼ満席の大盛況。自販機で食券を買うスタイルである。セオリーどおり、左上にあるメニュー「とんこつ黒こってり」(690円)を注文。濃厚とんこつに背脂チャッチャ、トッピングには海苔、チャーシュー、キクラゲなど。赤い辛味噌を溶かしこんでいって味の変化も楽しむ。

ご自由にお取りくださいの紅ショウガ、たくあん、そして高菜がありがたい。他に餃子と缶ビールも頼んでいたが画像は省略。

160511_6店内には、店舗も被害を受けたが通常営業を再開できてお客様に感謝、とのメッセージが書かれていた。

中国料理 頂香
160512_15月12日の帰りの晩ご飯、熊本なら大平燕(タイピーエン)は外せないだろう、ということで中華料理店を目指す。派遣チームのメンバーに熊本出身者がいて、その記憶を頼って行ってみたが見つからず、偶然たどり着いたのがこの「頂香」というお店。後で調べたところではディンシャン(dhinsyan)と読むらしい。ファミリー向けコース料理の中に大平燕が入っていたので、皆で取り分けながらいただいた。

カウベル
160513_3熊本といえば阿蘇の赤牛も外せないだろう、ということで、5月13日の晩は「カウベル」というレストランに立ち寄った。後で調べたところでは、この店はくまもとあか牛「阿蘇王」生産者直営のレストランだそうだ。あまり詳しくは知らないが「あか牛」と名乗るにはかなり厳格な要件が必要らしい。

160513_4あか牛の三種盛り、ホルモン等を焼肉でいただく。

それにしても気になったのは、金曜夜の書き入れ時にもかかわらず、満席にはほど遠い状態で、しかも注文してから料理が出てくるまでやたら時間がかかったこと。人手が足りていないのだろうか。

ヒライ
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番外グルメ編のさらに番外。支援業務はかなり早朝に出ないといけないので、ホテルの朝食には間に合わない。そこで行く途中のコンビニに寄って弁当を買う。ずっと大手チェーンのコンビニだったのだが、最終日5月14日だけは「ヒライ」という弁当屋に寄った。このヒライグループは熊本近辺ではメジャーなレストラン・弁当店の企業なのだそうだ。弁当の中身も、画一的な大手コンビニより一枚上手の感じだった。こんなことなら毎日ここの弁当を買っとくべきだったと気づくも、後の祭り。

なお、このような飲食の熊本支援というのは、苦しい生活を余儀なくされている避難者の手前どうなのか、不謹慎とのそしりを受けないか、という迷いも若干あった。しかし、現に震災被害から復帰している店舗が多数あり、被災のために、普段なら来ていたであろう観光客・地元客が減っていることを補うという考えであれば、まっとうに営業している店でまっとうな金(もちろんポケットマネー)を払うのもまた支援だと割り切ることにした。

また、熊本観光は遠慮すべきではという考えもあるかもしれないが、必ずしも支援やボランティアの作業に行くことだけが正義なのではなく、風評被害とも言える分を補うことも決して悪いことではないと私は考えている。

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熊本震災支援業務を振り返る(4)

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災害避難とアウトドアとの親和性について。

今現在はもう撤収されてしまったが、支援に向かった当時は、避難所の隣の陸上競技場内にテント村が設営されていた。これは行政の公式なものではなく、アルピニストの野口氏らがいわば勝手連的に立ち上げたものだ。このテント村設置は、野口氏の呼びかけと、その支援を申し出た岡山県・総社市長との連携により、恐るべきスピードで出来上がった。余談にはなるが、野口氏、総社市長の片岡氏、またこれとは別に迅速で鮮やかな震災支援を行った福岡市長の高島氏などは、先の記事で触れた、宇宙飛行士の高い危機対処能力と同等のスキルを持っているなと感じた。まあ、エベレストに登るのも、宇宙へ行くのと似たようなものだから、当然と言えば当然なのかもしれない。

さて、今回の熊本震災に限らず、東日本大震災をはじめその他の災害でも問題となった、避難者の車中泊だが、テント泊にすることでQOLは劇的に向上する。やはり、足を存分に伸ばせ、(シートよりは)広い平面に横になれるのは睡眠の快適さが格段に違う。避難所に全ての避難者を収容しきれないのが現実である以上、もっとテント泊を積極的に取り入れてもいいのではなかろうか。

さらに言えば、一家に一張りはテントを常備、万が一震災等で家が潰れた、あるいは潰れないまでも怖くて家では寝られない、という場合に、家の前の駐車場でテント泊ができることを普及させれば、避難所の混雑緩和にも役立つだろう。

160513_2ここで若干問題となるのは、災害用の備えというものは往々にして普段使われず、いざというとき使えないことがしばしばあるということである。テントも普段から使えるようにしておかなければならない。その答えは簡単だ。アウトドアを趣味にすればよいのである。

思うに、アウトドアでは、外部電源もなく、都市ガスもなく、水道もない状態で寝起きと飲食をする。これはまさに災害時の状態と非常に似ている。その意味では、自動車も、外部電源等に頼らず独立して稼働する道具であるため、災害時に「救命ボート」として使われたのもこれと同様だろう。最近ではオートキャンプ場も普及しているので、車+テントという宿泊方法に習熟すれば、いざというときもとても役立つであろう。

避難訓練はつまらないことが多いが、アウトドアで泊まりに行くのも訓練と位置付ければ、こんなに楽しい訓練はない。早くうちもテント買わねば。

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熊本震災支援業務を振り返る(3)

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今回は避難所運営で感じたことを記述。

支援業務のもう一つの柱は避難所運営の補助であった。避難所には「受付」のようなブースが設けられ、水やお茶のサーバーがあり紙コップに入れて飲んでもらったり、ティッシュやオムツなどの衛生用品を渡したり、また食事の配給を行ったりした。これ、何かに似ているなあと思ったら、24時間リレーマラソンでテントサイトに設けるエイドと一緒だと気が付いた。未経験者には何のことかわからないかもしれないが、24時間リレーマラソンでは参加チームのうち誰か1人がタスキを持って周回路を走っており、待機中の他のランナーは自陣のテントサイトで休憩、食事、睡眠を取るのである。そこで飲み物や食べ物を提供するのがエイドステーションである。避難所の場合は、被災者がランナーで、避難所受付はエイドのスタッフということになる。また、トイレやシャワーが仮設だったり、寝るときは雑魚寝というのも実に似ているなと思った。

160508_2しかし似ているようで若干違うのは、リレーマラソンの場合はランナーとエイドスタッフが交代・兼務することがしばしばあるのに対して、避難所では基本的にそのような(被災者自身がスタッフもする)ことは一切ないということ。また、決定的に違うのは、リレーマラソンでは24時間後には確実にゴールがやってくるのに対し、避難所では、ゴールが見えないということであった。

160511_3また、ホテルのフロントのような雰囲気もありつつ、厳然として異なる点があった。それは、お客様は神様です、何でもご注文を承ります、ということはできない、という点であった。具体例でいうと、ティッシュをくださいとかトイレットペーパーをください、と頼まれても、1箱、1巻ずつしか渡さない。もっとまとめてくれよ、といわれることがたまにあるのだが、際限がなくなるので応じない。無くなった時点でまた取りに来てもらう。

また、パンの配給の際はパック入り牛乳を配り、そのストックは普段から備えられているのだが、全員に配る時以外は、個別にリクエストがあっても応じない。堅いこと言うなよ、融通利かせてやれよ、と思われるかもしれないが、一人でも応じてしまって、じゃあ俺も俺もと次々来られてしまうと、あっという間に在庫がなくなるのである。待遇を平等にしなければならない以上、止むをないルールであった。

160513_1被災者用に届けられた物資はバックヤードにストックされているのだが、中にはバラバラの内容物を一箱に詰め込んだものとかもあり、これは正直迷惑かなと思われるものもあった。ただ、一方で、大量にはいらないけどちょっとあると助かる、でもそれだけ頼むのもどうかな、と思われる品物類(例えば、乾電池や、洗濯ばさみなどのリクエストがあった)は、今これだけネットでの情報処理がやりやすくなっているのだから、もうちょっと工夫できるのではないかなとも思った。

私が避難所を去ってから1ヶ月経っても、まだなお避難され続けている方々を思うと、気の毒でならない。心よりお見舞い申し上げます。

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熊本震災支援業務を振り返る(2)

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今回はトイレ掃除で思ったことを述べたいと思う。

我々派遣部隊の任務はあらかじめ決まっているのではなく、とにかく益城町が困っていることなら何でも手伝ってこい、というミッションであった。というわけで、派遣初期の部隊の任務は、誰も手をつけられずに困っていた、避難所の仮設トイレ掃除が最大のウエイトを占めることとなった。

トイレ掃除は重労働でなおかつスピードも求められるハードな作業だった。何十基もあるトイレを相手に、朝イチで取りかかる。単に掃除だけでなく、汚物入れ用のゴミ袋交換、夜間点灯用のランタン回収、そして流し用や手洗い用の水の補給を同時並行に行わなければならない。なぜ朝イチかというと、夜中は暗くてよく見えずに便器周りを汚されてしまうことが多く、すぐに取りかからないと苦情が出ること、水の補給は軽トラックに積んだタンクから行うのだが、1回では到底足りないので途中追加補給のため避難所敷地外へ取りに行くのだが、日中になると渋滞して時間がかかるのと、敷地内で出歩く人が増え出すと危険なので動けなくなってしまうことなどがあるため、この時間帯以外選択の余地がなかったのだ。

160510_1特に大変だったのが水の補給である。軽トラの巨大タンクから、手運び用ポリ容器に移して各トイレまで運ぶのだが、タンクの蛇口から出る水が勢いがありすぎてびしょ濡れとなった。さらにはタンクの一つは蛇口が故障して単に栓を外すだけの状態だったので、噴き出す水をうまく容器に移すことが困難だった。

そこで、翌日はホースを買ってきてサイフォンの原理で水を吸い出すやり方に変えた。これでびしょ濡れになることはほとんどなくなり、QOLが一気に向上した。しかしまだ課題が残っていて、ホースが全部タンク内に沈んでしまうと、取り出すときにタンクの底深くに手を入れなければならず、そうするとゴム手袋の中に水が入り込んでしまう、また、サイフォン中に吸い込む側のホースが水面に浮いてしまうと水が止まってしまうという問題があった。ならば今度はホースの片方には空のペットボトルに蓋をして紐でくくり付け、もう一方にはガラス瓶をくくり付けた。こうすれば常にホースの片方の端は水面に浮き、もう片方の端は水底に沈むこととなる。

160511_1上記はほんの一例だが、他にもいろいろ細かい工夫・改善を加えることで、トイレ掃除の所要時間は日に日に短縮された。この経験から、ふと何かに似ているなと気づいたことがある。脈絡のない話だが、最近読んだ漫画作品「宇宙兄弟」で描かれる宇宙飛行士の振舞い、特にトラブル発生時の対応に似ていると思った。

宇宙飛行士は、平常時でも多くの複雑・困難なミッションを遂行しているが、トラブルが発生した際は特に迅速に事態の収拾と解決を図らなければならない。それも、宇宙に行っていたら資材はそう簡単に追加できないので、今手元にあるものでいかに速く、上手に解決するかを考えなければならない。実際にかつてのアポロ13号で起きた事故の際は、月着陸船と司令船の二酸化炭素除去カートリッジの口の形が合わず酸欠になりかけたところを、船内のあり合わせの材料でつなげることで危機を回避した。また、「宇宙兄弟」の中では、月面移動車にカーナビを付けるとか、太陽光を鏡で反射させて基地内の照明に使うことで電力消費を抑えつつ明るさを確保する、といった、あまり金をかけずにQOLを改善するといったアイデアが随所に出てきた。

160511_2宇宙飛行士のミッションとトイレ掃除を比べるのは余りにもおこがましいが、レベルの差こそあれ、常に何か改善できることはないかを考え、迅速に取り組む、なるべく費用をかけずに、既に周りにあるものをうまく活用する、という点は共通しているのだ。さらに言うなら、災害応援のトイレ掃除に限らず、普段の業務でも同じことは言えるのだ。ただ、普段の業務では災害のように逼迫した状況にないため、そこまで考えが及ぶことは少ないのかもしれない。また、さらに話は飛ぶが、トヨタ自動車の「カイゼン」だってこれと同じ発想の下にあるのだ。これが理解できただけでも、今回のトイレ掃除は大いに意義があるものだったと思う。

ちなみに、行政職員にいつまでトイレ掃除をやらせるのだ、ということで槍玉にあがり、我々の後任の班の途中からトイレ掃除は担当業務から外れて、民間事業者への委託になった(そもそも最初からそうなっているべきなのだが、益城町の手配がそこまで回っていなかった)。その後の派遣部隊の主力業務は、罹災証明の受付補助、支援制度の説明など、行政職員が得意とする本来の姿にようやく近づいたわけだが、その中でもこの常に改善できることはないかを考える精神は受け継いでもらえたらなと思う次第である。

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熊本震災支援業務を振り返る(1)

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早いもので熊本県益城町に震災支援業務で赴いてから1ヶ月が経過しようとしている。その時に見たもの、感じたことを体系的にまとめて記録せねばと思いつつ、なかなかじっくりと腰を据えて取り組む時間がなくて困る。1つの記事ではとても語りつくせないので、細切れで今後ちょくちょくと出していくつもりだ。

まずは地震による建物被害を目の当たりにして考えたこと。直下型地震ということもあり、1995年の阪神・淡路大震災時の神戸のことが記憶にあったので、それに近いイメージであった。熊本市内でも、外見上被害が何ともなく既に正常に動いているところもあれば(むしをそれがほとんど)、酷いダメージを受けてどうしようもない建物が混在していた。これが益城町では、ある一定の区域においてはほぼ建物全滅、それも耐震基準は満たしていそうな新しめの家でさえやられている状況であった。

今後も分析が進むのだろうが、昔は河床だった土地、池や沼だったところを埋め立てた土地などについて、地盤が緩いために局所的に揺れが大きくて、新しい家ですら耐えられなかったということが一つ考えられる。これについては、かつての阪神・淡路大震災でも、倒壊した家が多い区域にはそうした因果関係があったと聞き及んでいる。言いたいことは要するに、そういう土地には本来人の住む家を建てるべきではなかったのではないか、ということである。

これは地震に限らず、水害や土砂災害でも一緒の話であり、そういうリスクのある土地は、いにしえの知恵で家を建てていなかったのに、人口が増え住宅が足りないということで、どこかしこでも住宅地にしてしまったことが新たな被害を生む要因になったのではないだろうか。住宅用の土地を買う際に、駅からの距離、学校、スーパーの位置やローンの計算はしきりに気にするが、ハザードマップを見る人がどれだけいるだろうか、ましてや古地図や地質図と照らし合わせる人などほぼ皆無であろう。ただ、地震の活動期に入ったこの日本列島においては、これからはそういう要素を優先して行かないと自らの命にかかわりかねないだろう。

残念ながら不動産業者が自発的にそうした情報を開示することは望むべくもないので、買う側が意識を高め、リスクが高い土地には見向きもしないようにならなければ、業者側にそういう住宅地を開発させない圧力は働かないであろう。

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もう一つ気になる点は、住宅の耐震基準である。建築基準法上の耐震基準は定められているが、地域によって係数があり、要するに地震が多そうな地域ではより厳しめに、そうでない地域はすこし緩めてもよい的なルール(地域係数Z)があるそうなのだ。

これについて、熊本県では、0.9または0.8が設定されており、1.0の東京や大阪より緩めても構わないとなっているのである。しかし、厳しくするのは静岡県の1.2のみ、これはいわゆる東海地震を想定しての話だったのだろうが、前提自体が既に崩れているのではなかろうか。海溝プレート型の地震のうち、順番がまだ来ていない東海地震が近々来るかもしれないと以前に騒がれ出したが、おそらく明治ごろの濃尾地震がその代わりを果たしたので、東海地震だけが直近に来るという考え方は今では無意味である。にもかかわらずこの地域係数はその時の発想を引きずっているのではないだろうか。また、直下型に関して言えば日本どこでも震度7ぐらい起きてもおかしくないので、ここは下げてよい、という地域を設定する意味もわからない。

また、家を建てる際に気にした耐震等級も実はあてにならない。耐震等級3であれば、阪神淡路大震災級の震度7でも倒壊しないということにはなっているが、倒壊はしないだけで、無傷では済まない。さらにいうと、一発目を食らったときに倒壊しないというだけであって、益城町のように2回も震度7を食らうことは想定していないのである。要は最初の一撃ではとりあえず崩れないから命は助かる、その間に逃げる、という発想なのだ。益城町で倒壊家屋数の多い割には死者が少なかったのも、これによるところが大きいのだろう。

だから、家を建てるときは逆転の発想で、いずれは大地震で崩れるのだから、2回建てられるだけの予算を考えて建てる、というのはありかも知れない。そうすれば、運悪く崩れても何とかもう一度建て直せる。住宅メーカー(特に大手)は、ローン限度額いっぱいの予算で建てさせようとするが、その話には乗らない方がいいのだろうな、と強く思った。

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電子レンジ買い替え・再び

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我が家の電子レンジが故障した。エラーコードによれば、マグネトロンがイカれたようだ。もし修理すると20k円以上かかるそうで、そんなんアホらしいということで買い替えとなった。振り返ればこの電子レンジを買ったのは5年前。その時も3年使っていたものが故障しており、電子レンジとはおよそ長持ちしないものなのだろうか。保証書によれば、通常部品1年、マグネトロンのみ2年と、あまり長期間の保証はしてくれないようだ。

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我が家の調理事情では、電子レンジがないと大打撃を受けるため、すぐに近所のJ電機まで買いに走った。これまで使っていたH社のレンジにはオーブン機能が付いていたのだが、結局のところほとんどオーブンを使うことはなかった。むしろ電子レンジでの加熱ムラが酷くて不満だったので、もはや電子レンジ機能オンリーの機器で良い、なおかつターンテーブルに回帰、どのみち長持ちしないのなら安物で良い、ということで7k円程度のT社製を購入した。

かくして最大出力700W、丸いテーブルがくるくる回って「チン」と鳴るだけの、ザ・電子レンジが復活した。さて今度は何年持ってくれるのやら。

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