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倫敦五輪雑感

ロンドンオリンピック2012も、もうあとわずかの種目を残すのみとなりまもなく閉幕するが、今回もまたうだうだと思ったことを書き残しておくこととする。

まずは日本のメダル獲得数について。もちろんメダルの数を競うのが目的ではないと言いつつも、当初期待された金メダル数よりかなり少ないという印象を受けた。やはり、大本命と言われる選手であっても、「絶対」はないのだろう。ただ、気になったのはトーナメント戦、いわゆるノックダウン形式で順位を決める種目において、決勝戦、つまりあと1つ勝てば金メダルというここ一番での勝負で負けて銀メダルというケースが多かったのではないかということである。金メダルがほぼ同じくらいの他の国に比べると、銀・銅メダルの割合が、日本は多いような気がする。やはりここ一番での勝負弱さというのは、前々回アテネで克服できたかと思いきや、前回北京で先祖返りしてそのままということなのでろうか。

ただ、金だけでなく銀銅を含めた全体の総数では、日本は過去最高だったアテネと同等まで盛り返している。決して全体的に弱くなったというわけではないようだ。となると、金とそれ以外を分ける要素は何なのだろう。報奨金の多寡で決まるのだろうか。確かにお隣の韓国ではメダルを取れば兵役免除などの特典が与えられるため選手の必死さが違うかもしれないが、では同じようにすればいいという話でもないだろう。金メダルを取ったとしても一切報奨金などの出ないイギリスが28個の金で国別3番目ということを見れば、選手は単に金(カネ)のためだけにそのスポーツをしているわけではないのだ。その、「何のために」という答えをはっきりと自分の中で持ち、かつ、それまでの努力の成果を本番で遺憾なく発揮できた者だけに、勝利の女神は金メダルを与えるのだろう。

次に思ったのは、審判にかかるごたごたである。特に柔道が酷かったが、見ていて審判が頼りない。国際大会故に、上位の国同士が当たる対戦となるほど、あまりそのスポーツが強くない国の審判が見なければいけない傾向となるのは仕方ないにしても、一定程度のレベルの審判は確保してもらわないと選手もたまったものではないだろう。また、科学技術が発達したおかげで、微妙なプレーについてはビデオ等を用いて慎重に判断するようになったのは良いことだと思う。特に秀逸だと思ったのはレスリングのチャレンジ制度だ。判定に異議のある側がチャレンジ権を行使すると、そのプレーを会場全体に大写しにしてスロー再生し、審判が再度ジャッジする。再判定のプロセスもオープンにしているというのが素晴らしい。テニスのイン・アウトの判定でのチャレンジ制度もこれと似たような感じである。もちろん審判が威厳を持ち適切なジャッジをすることは当然の前提ではあるが、より公正性・正確性を増すためにも、こうした技術の利用はあってしかるべきだろう。

最後に、今回もまた事前予想ではあまり注目されなかった種目でメダルを獲得し、にわかに脚光を浴びるものがいくつかあったが、このようにたまたまオリンピックで好成績だったときだけ採り上げるのではなく、普段からマイナー競技にも少しずつでいいのでスポットを当ててほしいと思う。オリンピックが終わればスポーツニュースはまたどの局もプロ野球ばっかりで、あとちょっとサッカーを報じるぐらいになってしまうのだろう。テレビ局やスポーツ番組は複数あるのだから、わずかの時間でいいので、この番組ではこれ、という感じでマイナースポーツを継続的に紹介してもらえないものだろうか。野球とサッカーしか報じないから、子供達の将来の夢もプロ野球選手とJリーグ選手ばかりになってしまう。五輪からも漏れるような野球が、唯一絶対のスポーツではないという認識が必要だろう。

〔関連記事:「銀・銅凱旋」(2010/3/3)、「北京オリンピック雑感」(2008/8/25)、「五輪で勝たねばならないか」(2006/02/24)、「ゴールド・ラッシュ2」(2004/8/23)〕

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