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エネルギーという麻薬

3.11、あの東日本大震災から一年が過ぎた。約2万の人命を失い、家を失い、街を、暮らしを失った。空前絶後に思われるこの大地震も、歴史を紐解けば数百年、千年のオーダーならば幾度も繰り返されたことであることがわかってきた。ただ、この数百年の間に、人類は過去とは比べものにならない高度な文明社会を築き上げてしまった。それによって便利・快適になった反面、数百年に一度あるかどうかのこの強烈な一撃にはとてつもなく脆い社会になってしまった。

あの日、マグニチュード9.0の巨大地震と、それによって発生した津波により、福島第一原発は被害を受け、電源を失って制御不能となり、炉心融解を起こし、また爆発により大量の放射性物質を撒き散らして、あたり一面を汚染した。ここに至る経緯は結局のところ隠蔽され闇に葬られてしまうのだろうが、この機会に地震と原子力発電についていろいろな本を読んで考えた。今回は特に原子力とは何なのかについて考えたことをまとめてみることとする。

そもそも原子力発電がこれだけ使われるようになったのはなぜだろうか。事の始まりは、1930年頃を中心に原子核科学の研究が飛躍的に進み、核分裂反応が発見されたことである。その際発生するエネルギーは、これまでに知られた酸化(燃焼)などの化学反応とは違い、質量の一部がエネルギーに変わっているので、アインシュタインの発見したE=mc^2の特殊相対性理論に基づき、少ない燃料でも莫大なエネルギーを得られることがわかってきた。

しかし当時のご時世、この莫大なエネルギーを応用する先は兵器だった。核分裂連鎖反応を一瞬で増大させることで、超強力なエネルギーが生じる。原子爆弾(原爆)の原理である。その後は、原爆の爆発力で重水素を圧縮し、核融合反応でさらなる巨大なエネルギーを生み出す水素爆弾(水爆)に発達することになる。

その核爆弾の材料となるプルトニウムを得るために、まず原子炉が作られた。天然ウランの中でも核分裂しやすいウラン235はごくわずかしか含まれず、それを集めて濃縮するのは大変な作業となる。ところが、原子炉内で、そのままでは核分裂しにくいウラン238に中性子がぶつかることにより、核分裂しやすいプルトニウム239に変化する。ウラン235より集めやすいこのプルトニウムを材料にしたのである。実は当初の原子炉の目的はプルトニウムの生産であり、発電のためではなかったのだ。

第二次世界大戦も終わりかける間際になって、アメリカはようやく核爆弾の実用化に漕ぎ着けた。しかし既にその時には核兵器開発の競争相手と目されていたナチスドイツは敗れて存在しなかった。また実際のところ、ドイツが核爆弾を実用化するほどの能力は持っていなかったようだ。皮肉なことに、実在しない敵への恐怖心がマンハッタン計画という国家を挙げての取組を突き動かし、巨額の予算をつぎ込んで恐怖の兵器を誕生させたのである。

そしてその原爆は、残る敵国として抵抗を続けていた日本に落とされることになる。今でも印象に残る広島の平和記念資料館の展示で、アメリカが実戦で原爆を使った理由として挙げられた、「これだけ巨費をつぎ込んだのに、出番がなかったでは議会に説明が付かない」という趣旨の説明文。アメリカの公式見解では未だに原爆が戦争を早く終わらせたと頑なまで言い続けているが、実はこうした裏事情があるのだろう。

戦後、有力な戦勝国で核兵器開発競争が続くのと並行して、原子力発電所が作られはじめた。核兵器から原発へのつながりはまだよく分析し切れていないが、これも戦争が終わったのに巨額の核開発が要るのかという批判をかわすために、核エネルギーの平和利用という理屈は好都合だったに違いない。そしてあろうことか、唯一の被曝国である日本も、この原発に飛びついたのである。

そのキーマンとなったのはあの中曽根康弘元首相であった。彼は原子力のことをとてもよく学び、特に通産大臣に就いていたころを中心に日本に原発を普及させる道筋を付けた。通産省(現在の経済産業省)も、原発にからむ巨額の予算や権益を足掛かりに、省庁間の覇権争いでも大きく躍進した。とにかく原発に絡んで巨額の金が動く。まずは「核アレルギー」を払拭し、原子力の平和利用に賛同させるための国民教化。また原発予定地には電源三法をフル活用してありったけの金をバラまき地元民を懐柔。そして原発自体が巨大な装置であり、これの納入で大手電機メーカーが潤う。電力会社も原子力礼賛のCMを多数打つので、マスコミも頭が上がらない。原子力関係の学者も、原発が要ることを大前提でしか物事を考えず、これに反対する者は徹底的に干されて排除された。いわゆる「原子力村」が出来上がった。

原子力発電というと最先端科学の結晶というイメージがあるが、確かに安定的・継続的な核分裂反応を維持させることには大変な労力を払ってはいるものの、電気エネルギーに変える方法は、核分裂で発生した熱エネルギーで水を沸騰させ、その蒸気でタービンを回して発電しているだけであり、原理的には火力発電と変わらないローテクを使っている。いわば巨大なやかんでお湯を沸かすが、その熱源に原子力を使っているだけのことだ。さらにいうと、原子力発電では実際の核分裂反応の熱を正味の電気に変換する際のエネルギーロスが大きく、発電量の約2倍のエネルギーが熱エネルギーとして海に(日本の場合は)捨てられている。

ではなぜこのように決して効率的とも言えない原発が推進されてきたのか。その一番の理由は、石油をはじめとする化石燃料は、埋蔵量に限りがあり、やがて尽きてしまうから、また特に日本は化石燃料をほぼ100%輸入に頼らなければならないからだとされている。ただ、どうも腑に落ちないのは、かつてのオイルショックの頃、地球上の石油はこのままだとあと30年しか持たない、とされたのに、30年以上経った今もまだ石油が尽きたという話を聞かない。後からも新たな油田の発見・開発があったり、そもそも産油国自身が本当の埋蔵量を公表しているのかも怪しかったりするので、いつまで経っても、石油の残りはあと何十年という状態が続いている。さらに、原子力発電の燃料となるウランも、日本で産出されるわけではなく、輸入に頼らなければならない。これでは目くそ鼻くそのレベルではないかと思われる。

こうした原子力発電の"いまいち感"を払拭させる「夢の技術」が、高速増殖炉による核燃料サイクル構想だった。通常の原子炉なら燃やして終わりとなるはずの燃料を、高速増殖炉を用いて燃やすと、核分裂で失われる燃料よりも、発生するプルトニウム239の方が量が多い(だから「増殖」という)ので、燃やせば燃やすほど燃料が増やせるという、まさに夢のような話だ。しかし、これを実現するには、核分裂時に飛び出す中性子の勢いを失わないように(つまり「高速」で)飛ばしてウラン238にぶつけてやらないといけないので、通常の原子炉では燃料を水に漬ける(だから「軽水炉」という。水だと中性子は減速してしまう)ところを、単体ナトリウムに漬けなければならないのだ。単体ナトリウムは反応性が強く扱いが大変厄介なのだが、その一次系熱交換を、ごく細い配管を介して二次系の水に伝え、二次系の水蒸気でタービンを回す。まるでサーカスのような芸当が必要となるが、これを完璧にこなせた原子炉はいまだ存在しない。欧米等各国もこぞってこの高速増殖炉の開発にあたったが、多くの国でその技術的困難さから撤退し、実用化のめども立っていない。日本でも、1995年に原型炉「もんじゅ」がナトリウム漏れの事故を起こしてからは、この夢の核燃料サイクルではなく、軽水炉での燃料の燃えかすを再処理して(MOX燃料)プルトニウムもろともに再度軽水炉で燃やす「プルサーマル」に方針を転換してしまった。このプルサーマルでは、結局のところ輸入に頼らず燃料を得られるようなことはなく、原子力発電は元の"いまいち"な状態に戻ってしまった。実はこの時が原子力発電に見切りを付ける重要なターニングポイントであったのだと思うのだが、原子力村の住民はそしらぬ顔をしており、国民もなんだかよくわからないままにスルーしてしまったのである。

この、何が起きても原子力発電は絶対存続させる、という原子力村の執念にはおぞましいものがある。石油ショックが起きたときはもちろん石油に頼らず発電できると喧伝し、地球温暖化が取り沙汰されると、今度は「原子力発電では二酸化炭素を出しません」と高らかにうたう。福島第一原発の事故でさすがにぐうの音も出ないだろうと思ったのに、今度は「原発が止まれば日本の電力は賄えなくなる」と半ば脅迫のような開き直りの態度に出てきた。しかし、もうまもなく日本のほとんどの原発が停止しようとしているが、日本の電力が途絶えたという話は聞かない。もちろん、既存の火力発電所などをフル稼働してカバーしているとは思うが、最初からそうしたシフトを敷いておけば、石油等燃料の確保という問題はさておき、もともと原発などなくても日本の電力エネルギーは賄えたのである。原子力発電の割合が全体の3割4割を占めていたのは、原子力発電が優秀だから、それに頼らざるを得ないからということではなく、その比率が増えるように仕向けられていたからに過ぎないということを今更ながらに思い知った。

このことを敷衍すると、なぜ南沙諸島など有望な海底油田がありそうなのに必死こいて開発せず中国にやられっぱなしなのか、日本近海の海底に眠るメタンハイドレードの掘削方法を全力で開発しないのか、太陽光発電が一時期普及しかけたのに途中で失速したのか、地熱発電で成功しているアイスランドを見習わないのか、について、穿ち過ぎかもしれないが、結局これらがうまくいくと、「何だ、それなら原子力なんかいらないじゃん」となってしまうことを原子力村の住民は極度に恐れて、原子力のライバルとなりそうなものを徹底的に潰してきたのではないかとさえ思えてくる。

ただここで冷静に状況を見つめなければならないのは、原子力を叩けばそれで解決する話ではないということである。ただひたすら感情的に捕鯨に反対してテロ行為を行うシーシェパードのようになってはいけない。日本には確かにエネルギー源は少ない。それをどのように調達するかは、冷静に客観的に選ばなければならない。これまで意図的に原子力ありきで進められたのは問題だったが、原子力も排除するのではなく、一つの可能性として科学的研究は続けるべきだろう。しかし原子力が唯一最善の解決策かというと、たぶんそれはないだろう。原子力発電で生じる大量の放射性廃棄物をどのように処理するのかが未だに道筋がついていない。安定した地層に埋めるという案が今のところ有力だが、そのような安定した地層が日本に存在するのだろうか。地球史的視点で見れば、つい最近出来たばかりの日本列島は地震が多く不安定であり、原発を置くのには全然適性がないと考えるべきだろう。

ではどうすればよいか。答えが分かっていれば苦労はしないが、考えられるのは地熱、バイオマス、風力、太陽光といった、化石燃料をできるだけ使わない発電方法で、どれが一番ということもないので、ひたすらいろいろ組み合わせて使うこと、課題として指摘される供給量の不安定さについては、今流行のスマートグリッドと、電池の性能向上でカバーすることである。また、メタンを燃やすのではなく、うまいこと水素を取り出せるようになれば、燃料電池という手があり、これなら二酸化炭素を出さないで済む。いずれも今すぐは実現不可能なので、それまではやむを得ず化石燃料をつなぎとして使うとしても、できるだけ自国領域で確保するよう開発を全力で行う。こうしたところぐらいだろう。少なくとも、日本では原子力発電が主役となることはありえない。そろそろ「手じまい」の準備をしておくべきだ。今のうちなら小さい負けで済むが、このまま原子力に固執すると、きっと将来もっと大きな負けになるだろう。何か第二次世界大戦の時と似ているような気がしてきた。出発点はこの国を救いたいという真摯な思いだったので、そのこと自体は責められないにしても、一旦動き出すとその方向で本当に正解だったのかを問い直すこともなく、ただひたすらその方向に進み続け、疑問・反対の意見を一顧だにしない。

ちなみに、今回の記事は、「原子力はエネルギーの麻薬」というタイトルを想定していろいろ考えてきた。一度ハマるとやめられない、権益のるつぼ、補助金づけの地元、等々、麻薬的要素が多々あるからである。しかし、最後になって思ったのは、原子力に限らず、エネルギーそのものが、人類にとっての麻薬であるということである。人類がエネルギーを操れるようになったおかげで、灌漑や省力化での農作業ができるようになって農業生産が増えた。余った労働力は第二次産業たる工業に向かい、エネルギーをどんどん使ってたくさんの製品を世の中に作り出した。それで豊かになって、第三次産業たる金融経済やサービス業も発達して、人やモノ、情報の流通でも様々なエネルギーをさらに消費する。人類の発展はエネルギーによってもたらされた。そのエネルギーへの欲望が原子力発電を生み出した。

ギリシャ神話でプロメテウスが人類に火を与えたとされているが、この「火」とはエネルギーのことだったのだろう。そして、その行き着く先が原子力発電の燃料となるプルトニウムだった。プルトニウムとは冥王星にちなんで付けられた名前だが、そもそも冥王とはローマ神話の冥王府、つまり地獄の神であるというのは何とも皮肉なつながりである。

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コメント

私も同意しますっ。
でも 原子力も上手につかえばしばらくはOKかなと思っています。 ただ 当初寿命40年だったのがなし崩しに延命するなど 運用が問題だと思います。 どんな良い器械も運用とと整備を怠ればあきまねん。

現実的には 40年設計のものは40年でやめる
途中でトラブルが発生したものはより寿命を短くする。 でないと信頼できません、そういった原発はごめんです。

今ある原発はストレステストみたなわけのわからないことはやめて 一番若いものからあと2年なら二年 3年なら三年と決めて運転再開し
その間に 新しいのを東京湾でも大阪舞洲にでも
作るとか~ でそのエネルギーを使って
太陽電池とかを作るのがええかと~~

ともかく運用があかんと重いますわ~~
自動車も便利やけど整備をおこたったり へたくそが運転したり 酒呑んでとk~~

そやけどやっぱり 一人当たりのエネルギー消費日本は多すぎると思いますぅ~~

投稿: たけした | 2012/03/11 21:51

たけしたさん:
コメントありがとうございます。

私も以前は原発は必要悪かと思っていた節があったのですが、いろいろ調べているうちにとんでもないまやかしが横行していたことがわかってきました。

40年の耐用年数をなし崩しに60年に延ばしているのも、当初予想の建設コストに合わなかったので無理矢理元を取ろうとしているんです。そもそも原発の方が発電コストが安いという説明自体大嘘で、アメリカでは、そのままでは火力発電にも劣るということが常識です。炭素税など原発を優遇する施策がセットになってようやくトントンぐらい。しかも、そのコストには廃炉や放射性廃棄物処理の費用は含まれていません。

また、地震など数万年に一度も起きないような安定陸塊で、周囲何百キロも人っ子一人住んでいないような土地なら、まだ原発を作ることは考えられますが、日本のような人口密度の高い、しかも世界でも有数の地震が多い土地に原発を建てるのはそもそも無理があったんです。

投稿: くりりん | 2012/03/17 16:56

原子力発電所再稼動するのであれば 中央制御室とか すべての運転所のライブ画像をネット配信すべきです。 勿論各種計器も~~ 画像で
それと電力会社の社長 副社長クラスの人が
必ず現場にいてる すぐに対応できるようにするのが一番だと思います。

投稿: たけした | 2012/03/21 10:20

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今年もまた3.11が巡ってきた。福島第一原発の事故は未だに収束の目処が立たないまま丸3年が過ぎた。一昨年の今頃も原子力について考える記事をアップしたが、あまりうまくまとまらなかったので、続編という感じで徒然に思うところを述べる。 先月の都知事選挙で、突如原発問題を争点に掲げる候補が現れたが、あまり盛り上がることもなく、自民党が推す候補が当選した。まあ本来国政レベルで議論すべき話だから致し方ないが、かと言ってその前の国政選挙で議論が尽くされたかというとそうでもない。要はうまいことウヤムヤにされ続けてい... [続きを読む]

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