福島県支援業務
わざわざこんな時期に福島・郡山を訪れたのは、福島県の支援事務での出張のためである。福島県郡山合同庁舎に掲げられている日の丸は、今でも半旗のまま。
震災直後から避難所への支援物資仕分け支援などでもずっと職員が交代で派遣され続けてきたが、それらは徐々に縮小されつつある。今回自分に課せられた任務は、そうしたものとは若干異なり、県内の被災者が別の場所に避難して民間のアパート等を借りている場合に、それを県が借りたという契約に付け替えて、家賃などを県が負担するというスキームで、その契約変更の手続きにかかる書類のチェックなどを行う事務だ。県の職員だけではとても手が足りないということで、支援に出向いているのだ。1週間ごとに交代しており、自分は第8次派遣要員となる。
それにしても契約書類に間違いの多いこと。そもそも書式がわかりにくいということもあるが、もうちょっと何とかならんものかと思う。職権で直せる程度なら構わないが、あまりにひどい間違いだとおそらく書き直して再提出ということになるのだろう。
さすがにお客さん、しかも初日ということで定時に解放してもらえた。職場から宿泊先のホテルに帰る道すがら、街の様子を観察していると、一見何ともないように見えるが、注意深く見るとあちこちの建物にひびが入っていたり、改修工事のため閉鎖されていたり、中には完全に空き地になっていたりと郡山の街も無傷ではなかったということがわかる。東日本大震災は津波被害が注目されていて、内陸部の郡山には津波は関係なかったものの、阪神大震災の神戸中心部ほどではないがそれと若干似ているような印象である。
さて、派遣に際して配給された資材があった。放射線量を測る装置である。ガイガーカウンターのようにカリカリと音がするものではなく、累積の被ばく量を測るものだそうだ。今日1日で最初3マイクロシーベルトだったのが、帰りには6マイクロシーベルトに増えていたが、示されている数値は健康には影響のないレベルだった。レントゲン1回受けると100マイクロシーベルトぐらい。また、地球上ならどこでも年間で2.4マイクロシーベルトぐらいの放射線を浴びている。
街のところどころで見かけるのが「がんばろう」と書かれた看板である。関西では、がんばろう日本、がんばろう東北というのは見かけるが、ここではがんばろう福島、がんばろう郡山と、よりローカルな地名になってくる。おそらくは東北各地でこのようなメッセージが掲げられているのだろう。そういえば阪神大震災の時もがんばろう神戸という言葉があったが、これが発祥だったように思う。
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