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どうなる裁判員制度

いよいよ裁判員制度の嚆矢となる法廷が開かれ、マスコミもその一挙手一投足に大注目しているところである。裁判員制度自体にはいろいろな意見もあって、もちろんこの制度が完璧だとはとても言えないが、これまでその筋の人しか関わらず、その世界での常識・お約束のみで仕切られていた司法の世界に、一般市民の目線を加えるという根本的な発想は間違っていないと思う。問題があれば制度を改良していけばいいのだ。

ただ、今回いきなりの事例が、被告人自らが罪を認めてしまっている殺人事件だった。もし裁判員制度が「陪審制」であれば対象外だっただろうに、本件では有罪であることは間違いなく、あとは量刑についての判断を迫られることになり、裁判員にとっては大変荷が重いことだろう。それでも、報道から漏れ聞くところでは、被害者にも非があったのかどうか、被告の反省の度合いはどうか、遺族の感情はどうか、という、むしろ素人感覚で迫った方が納得の行く判決が下されるのではないかという期待も持てる。

さて本件とは若干話がずれるが、裁判員制度あるいはそれでなくても陪審制で是非やってもらいたかったのが、和歌山のヒ素入りカレー事件である。この事件の被告は限りなく黒に近い灰色なのだが、決定的証拠がないのだ。実際の裁判では状況証拠の積み重ねだけでも有罪とできると結論づけて死刑判決が出たと思うが、もし自分が陪審員であったなら、おそらく無罪とせざるを得ないという持論だっただろう。限りなく疑わしいけれど決定的証拠がないので、疑わしきは罰せず、の原則に戻らねばならないからだ。というのも、もし一旦有罪となればこの事例では死刑は免れ得ず、万一死刑執行後に新証拠(別の真犯人)が出て無実が証明されても、もう取り返しがつかないからだ。最近でも、DNA鑑定の誤りで何十年も無実の罪で拘束されていた人が釈放されたばかりなのは記憶に新しいところだ。

もちろんカレー事件の被告を擁護するつもりはさらさらなく、カレー事件の犯人であるかどうかにかかわらず、他のヒ素を使った保険金詐欺などをやらかしたことを鑑みれば、この被告は人間のクズであることは間違いない。しかし、人間のクズだから証拠不十分でも死刑に処してしまって構わない、という発想には断固反対するのである。それにしても、本当に犯行に手を染めていたのに無実だとしゃあしゃあと言ってのけているとすれば被告の頭の中はいったいどうなっているのか、逆に本当は無実なのに状況証拠で有罪の虚構を作り上げていたとしたらいったいどのような捜査をしていたのか、いずれにせよ科学的にスパッとメスを入れて確かめてみたいものである。

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コメント

世の「悪いやつはやっつけろ」って風潮(厳罰化とも言うらしい)に拍車をかけないかと心配な裁判員制度です。
本来、刑事訴訟制度は、国家による暴力(刑事罰)から、市民の基本的人権を擁護するためのもの。最近はこの視点がすっかり抜け落ちているのではないかと心配しています。

投稿: ふれっぷ | 2009/08/05 11:07

コメントありがとうございます。遺族感情や世論を背景に厳罰・極刑を課しても、犯罪抑止に効果があるのかはどうも疑問です。破れかぶれで大量殺人を犯して死刑にしてくれというとんでもない輩が出るようなご時世ですので。

検察の求刑は懲役16年ですか。私が裁判員なら…懲役12、3年というところでしょうか。ただこの被告、たとえ刑期を終えて出所しても、残る人生どうやって送るのかと思うと暗澹たる思いです。

投稿: くりりん | 2009/08/05 21:56

15年でしたね。量刑についての論評は難しいけれど・・。

投稿: ふれっぷ | 2009/08/07 11:22

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