真夏のオリオン
ついつい潜水艦モノに釣られて、映画「真夏のオリオン」を観た。以前に観た「ローレライ」は完全にSFで、第二次世界大戦を仮借した宇宙戦艦ヤマトでありエヴァンゲリオンだったのだが、この作品は、実際に太平洋戦争で帝国海軍潜水艦艦長だった人物が書いた小説「雷撃深度一九・五」をモチーフにしており、幾分かは現実に即している。
米国海軍駆逐艦艦長を務め、輝かしい戦績を残した人物が、戦後その話を一切語ることがなかった。その人が大切に持っていた一枚の楽譜。「真夏のオリオン」と名付けられたその楽譜は、実は日本人女性が大日本帝国海軍潜水艦イ・77号の艦長にお守りとして託したものだった。
1945年8月、既に連合艦隊は壊滅し、日本海軍は残されたわずかばかりの潜水艦で米海軍の補給路を叩くという絶望的な戦いを強いられていた。優秀な潜水艦の活躍で首尾良く何隻かのタンカーは沈めることができたが、補給船団の護衛に付いていた米海軍駆逐艦パーシバルの艦長は、さらにそれを上回る知略で日本の潜水艦防衛ラインをうち破っていった。そしていよいよ最後の砦となった潜水艦イ・77号との死闘が始まる。
(以下ネタバレ注意)
映画のサイトにもそのものズバリ書いてあったが、これは米海軍駆逐艦対独潜水艦Uボートの死闘を描いたかつての映画「眼下の敵」を日米対決で焼き直したものだ。ただ、それに加えられた独自のテイストとして、人間魚雷「回天」が重要なアイテムとして登場してくる。
一億玉砕、特攻兵器の海バージョンであるこの回天を、艦長は攻撃には一切使わなかった。艦長曰く「もったいない」と。一方、駆逐艦パーシバルの艦長は、弟がこの回天による攻撃で戦死しており、この兵器に対する憎悪をたぎらせていた。米艦長曰く「あれだけ誇り高く戦い甲斐のあった日本海軍は、なぜこうも狂ってしまったのか」と。このメッセージは、おそらくは戦時中の舞台を借りながら、実は現在の日本社会に向けられた痛烈な批判ではないかと私は思う。
そして戦いの方は潜水艦イ・77号が追いつめられ、魚雷残弾わずか1本、残りの酸素は1時間という絶望的な状況に。にもかかわらず、艦長は握り飯の配給を命ずる。飯を食いながら、子供達にもらった絵を見て何かがひらめいた艦長は、起死回生の作戦を発案する。
それにしても、戦争映画でありながらこの作品ではほとんど死人が出ないというのも珍しい。さすがに僚艦の潜水艦イ・81号は沈められて悲しい最期を迎えてしまったが、イ・77号では戦死者1名のみ。それでもこの艦長は犠牲者を出したことを悔い、戦後の乗組員の会合にも一切顔を出さなかったとか。ううむ、やはり潜水艦の艦長とは凡人には思いつかないような思考回路を持っているようだ。
ちなみに真夏に見えるオリオン座だが、元天文部としては至極当たり前のことなので珍しいとも思わない。夏至近くの6月頃はさすがに薄明が早いので厳しいが、8月ぐらいになれば明け方にオリオン座が上ってくるのは当たり前のこと。いやあ、一晩丸々星を観たねえ、というイメージでしかない。
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