吉野ヶ里と柳川と
博多市街のホテルで一泊した翌朝は、ちょっとだけ早起きして走って大濠公園を回ってくる。平和台競技場も最近ご無沙汰しているが何とか2時間45分切ってここに戻ってこなくては。
さて2日目はレンタカーで南下、まずは吉野ヶ里遺跡を訪れた。実はこれで生まれて初めて佐賀県に降り立つ。これでくりりんの「経県値」が上がった!!(だがまだ空白県があと6つ)
この吉野ヶ里遺跡、以前は何もなかったところに工業団地を建てようとしたら、弥生時代のものとしては国内最大級の遺構がザクザク出てきたものだから、工業団地をやめて歴史公園にしたのだとか。これは結構最近の話なので記憶に新しいところ。で、色々な構造物が建っているが、これらは全部現代にレプリカとして新たに作ったものであり、本物の遺構には土をかぶせて保存している。
施設内の解説文等では、断言こそしないものの邪馬台国九州説をかなり強くにおわせる表現となっていた。卑弥呼の鏡が出てくれば吉野ヶ里こそ邪馬台国という証拠になるのだが、それが出ていないので有力とまでしか言えないそうだ。まあ、邪馬台かどうかはさておき、当時の日本でかなりの有力なクニであったことは間違いない。
復元した建物や施設は、開園当時よりも少しずつ増えているそうだ。まるでアトラクションを少しずつ増やしたりリニューアルしたりしてリピーターを引き留める某遊園地みたいなやり方だな。まあ、でも当初の予定の工業団地よりは相当の経済効果があったに違いない。以前は佐賀県と言ってもこれといった観光スポットがなかったのが、今や立派な観光名所だものな。失礼ながら、思った以上に面白かったので、さらっと見るだけの予定がかなり時間を食ってしまった。
吉野ヶ里のあとはさらに南下を続けてなぜかまた福岡県に入って柳川へ。柳川といえば水郷巡りが有名と聞いたことはあるのだが、もちろん乗るのは初めて。城跡を中心に張り巡らせた堀や水路を、竿一本で操る舟に乗って小1時間ほど進む。途中は柳が植わっていたり、趣のある石垣や、北原白秋の句碑が水路脇にあったり。天気が暖かくて抜群によかった。惜しむらくは車で来ているので酒が飲めないこと。これでビールかっ喰らいながらの船旅だったら最高なんだが。
川下りの終点でうなぎのせいろ蒸しをいただく。天気もいいせいか観光客であふれており、どのうなぎ屋も行列待ち。やっと入った店でも、あまりの客の多さに生産能力が全然追いついていないのか、ずいぶんと待たされた。待った甲斐あってうなぎは柔らかくてウマ―――(・∀・)―――。
ここで問題があって、川下りは片道のみ。ということは舟に乗る際に車を置いてきたが、下船後は乗船したところまで戻らねばならない。タクシーで戻ればいいのだが、5人のグループだったので、4人で1台のタクシーに乗り込み、私は走って戻ることにした(^^;。1km少々と聞いていたのだが、実際はもっと距離があって、しかも水濠沿いにピッタリ沿った道が必ずしもあるわけではないので、途中結構迷った。暖かい気候を通り越して汗だくになってしまった。
柳川を後にして、八女から九州道に乗り、再び福岡空港に戻って今回の旅行は無事終了。めでたしめでたし。
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コメント
吉野ヶ里遺跡が発見されて間もない頃に修学旅行で行きました。確かにこんなににぎやかじゃなかったですねぇ…まわりにもなにもなくて、だだっぴろくて、風がすごくて寒かった記憶ぐらいしか残っていません。ガイドのおじさん一生懸命説明してくれてたのに。
投稿: ちるこ | 2009/03/02 18:42
コメントありがとうございます。
吉野ヶ里遺跡が脚光を浴びてブームとなったのが平成元年、国営歴史公園の整備が閣議決定されたのが平成4年だそうです。ブームの時は数ヶ月で100万人を超える観光客が訪れたのだとか。90万弱の佐賀県人口よりも多いのですからすごいことです。今でも年間70万人が訪れるのだから立派な稼ぎ頭でしょう。工業団地にしなくて大正解。
投稿: くりりん | 2009/03/02 23:28
うわ、行ったの平成2年ですわ…私も歳とったもんだ。
今や佐賀県で行くところといえば吉野ヶ里ですからね、いつかまた再訪したいものです。
投稿: ちるこ | 2009/03/03 21:16