船岡温泉
自転車で船岡山を目指す。住宅街の中にぽっかり現れるような小高い丘、という感じだ。登ってみると、絶景というほどではないが京都の街並みが一望できる。神社の境内にもなっているようで、そこの案内看板をアーカイブ。
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史跡 船岡山 (昭和43年2月15日 文部省指定)
船岡山は標高112メートル、面積2万5千坪の優美な小山である。今より千二百年の昔、京都に都が定められる際、船岡山がきたの基点となり、この山の真南が、大極殿・朱雀大路となった。
これは、陰陽五行思想・風水思想に基づいて、船岡山は大地の気が溢れ出る、玄武の小山であるとされたためである。
平安朝の昔には、清少納言が枕草子で「丘は船岡…」と讃え、又、清原元輔・藤原俊成等、多くの和歌が残されている。
船岡山は平安京の人々が若菜摘み、わらび採りに興じるまさに、清遊の地であった。
戦国時代の応仁の乱の際、この船岡山が西軍の陣地になり、船岡山周辺一帯はその後、西陣の名で呼ばれている。
この戦国の世を統一して太平の世を開いた織田信長が本能寺の変で没すると、豊臣秀吉は時の正親町天皇の勅許を得て、主君信長公の御魂を、この船岡山に祀ろうとした。
以来船岡山は、信長公の大切な地として伝えられ、明治2年、明治天皇がここに建勲神社を創建された。
文部省は、日本の歴史の重要な舞台に、しばしば登場した船岡山の全体を、指定基準に基づいて、国の史跡に指定し、地形や現状の変更をしない様、保護を計っている。
又、京都府は平成7年3月27日、新たに制定した京都の自然二百選歴史環境部門第一号に選定した。
なお、京都市は、昭和6年7月14日付にて、制定直後の風致地区に船岡山を指定した。
建勲神社
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船岡山のすぐ近くにあるのが船岡温泉。温泉と名がついているが、天然温泉ではなく普通の銭湯である。玄関は歴史を感じさせる破風造りで、ちょっと別府の竹瓦温泉を髣髴とさせる。
脱衣場にも欄間やら天井に天狗の彫り物が施されており、歴史のある社寺のような雰囲気すらある。浴室はまあ普通の銭湯となっているが、木製の浴槽や、狭いながらも露天の岩風呂もあり、飽きさせない。塩素臭も感じられなかった。
★★☆☆☆ 天然温泉ではないので本来評価対象外だが、趣のよさを評価して★2つ。
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