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京見峠

081109_1日曜日もあまり天気はよくない。まだ走ったことのないルートを行ってみようと思い立ち、千本通りをずっと北上すると鷹峯を経由して京見峠という峠道に行けるようなのでそのルートをたどる。

街中を走る区間が案外長くてちょっと飽きてしまったが、鷹峯を過ぎると、木々に覆われた1車線だけの舗道で結構歯ごたえのある登りが続いていい感じ。自転車に乗っている人と多くすれ違った。ここは自転車の練習コースとして有名なのかしらん。

ほぼ登りの終わりあたりに、京見峠の石碑があった。以下解説文を転載。

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京見峠
 太平記に、延元元年(1336)、後醍醐天皇方の兵が足利尊氏らとの洛中合戦にあたり京都への北の要所としてこの京見峠に陣をはったとある。北山・西山の諸峰を左右にみて峠に立てば名のとおり眼下に船山や釈迦谷山を遥か遠方に京都市中が一望できる。
 この道(長坂)は北国丹波方面とを結び、室町時代には関所もおかれた古くからの要所であるとともに峠の大木を山の神としてまつる庶民信仰にも重要な役割をはたしたことが伝えられている。
          京都市

 うつせみの寂しさ故におく山の
 辛夷は白く鎮もりて咲く

 この碑は在京の詩人島岡剣石市が辛夷の花の咲くこの峠で感銘を受けて詠まれた詩を鞍馬石に刻したものです。
     昭和53年10月
       京見峠歌碑建立委員会
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081109_2峠を越えてちょっと下っていったところに神社があった。道風神社というそうだ。これも門前に掲げてあった掲示を転記。

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 道風神社 由緒略記
 御祭神 小野道風朝臣
書道の歴史は古いが道風公は書道の巨擘(きょはく)能筆家で殊に草書は堪能であった。
平安中期の三跡の一人として有名である。
道風公が杉坂産土神和香社より湧出する霊水を所望して、宮僧の宿舎たりし明王寺に業を修め、栄達の結縁により氏神に斎い祀られた。
遺品には唐鑑・硯・唐筆硯屏掛算等があり今社宝とされている。
道風公は醍醐・朱雀村上の三朝に歴任し正四位下内蔵権頭に[じょうきょ*漢字出ない]せられ、36歳より七回紫宸殿賢聖の障子を書き39歳53歳の両度、大嘗会之宝[そ*漢字出ない]図屏風に揮毫した。又願文宮門・殿舎の額に?筆して其名最も著わる。
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ここで折り返した。帰路は行きの車道とほぼ平行してある長坂という道を行ってみた。舗装はされているが道幅は狭く、自動車は通らないような道。勾配もさらに急である。車がいないので走るにはこちらの方がいいのかも。この道だと鷹峯を少し逸らして北大路西大路のところに出てきた。

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コメント

京見峠からでしたら、茶屋を過ぎてすぐから西に一周トレイルの入り口があり、そこからトレイルに入ると高雄・清滝方面まで続きます。峠頂上の氷室分れから氷室方面に入れば、鞍馬方面への道も取れます。
さらに、道風神社からさらに北上し、杉坂都町から真弓方面に入れば、持越峠を経て雲ヶ畑街道へ全舗装のコースも取れます。
お時間と興味があれば、是非。

投稿: まりも | 2008/11/24 15:13

いろいろ情報ありがとうございます。確かに京都一周トレイルの標識も見かけたような気がします。ご参考にしてルート開拓してみます。

投稿: くりりん | 2008/11/24 22:59

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