« ときわ健康温泉 | トップページ | おふろの王様(花小金井) »

千川上水

080323_1東京を走るのもこれがおそらく最後。ラストランに選んだルートは、千川上水のトレースラン。近所の地名にもなっている「千川」だが、昔は千川上水という用水路が流れていて、自宅のすぐそばもそのルートになっていたそうだ。この跡をたどってみることにした。

走り出してすぐのところに、おそらく跡地を公園にした細長い緑地帯があり、そこに掲示がしてあった。以下その解説文より引用。
--------
 かつてここを流れていた千川上水は、江戸六上水の一つで、元禄9年(1696)に幕府の命により河村瑞賢が設計したといわれ、千川太兵衛・徳兵衛の請負によって造られたものである。
 全長は七里六町三十九間(約28km)に及び、保谷村(保谷市)で玉川上水から分流し、石神井村、下練馬村、長崎村などを経て、板橋町、巣鴨町より下谷、浅草に達していた。
 この上水は、湯島聖堂、上野東叡山、小石川白山御殿、浅草寺御殿などに給水することを目的とし、余水は流域の武家、寺社、町家の飲料水として使われた。宝永4年(1707)には、流域の村々の嘆願により、農業用水としての利用が認められるようになり、区内では長崎、池袋、巣鴨の各村がその恩恵を受けた。
 千川上水は、享保7年(1722)に江戸への給水が中止され、安永8年(1779)に再開されたが、天明6年(1786)には上水としての利用は廃止された。その間、流域の灌漑用水としての利用は続き、明治期以降は工場の産業用水としても利用された。
 また、上水の堤には千数百本の桜が植えられ、花見の名所としてにぎわっていたが、戦後の都市化の進行とともに、区内では昭和28年(1953)から34年にかけて暗渠化工事が行われ、桜のほとんどが伐採され、流域の景観は一変した。
 平成元年(1989)、上水跡に区立千川親水公園が開設され、近隣住民の憩いの場となっている。
--------

080323_2しかし上水の痕跡はこれだけで、あとは走れども何の変哲もない車道が続いている。「千川通り」とその名を残すのと、心もち桜の街路樹が多いような気がするぐらいだった。

1時間ほど走って、ようやく水路が現れた。今でもちゃんと水は流れているのだ。

080323_3所々暗渠で途切れることはあるが、ずっと両脇を緑に囲われた水路が続く。桜がもうすぐ咲きそうになっていた。

080323_4途中案内板があったのでこれも解説文を引用。
--------
 千川上水は、元禄9年(1696年)に将軍の立寄先である小石川御殿、湯島聖堂、東叡山、浅草寺御殿などに給水することを主な目的として作られました。また、この上水は、江戸市中の飲料水や千川上水沿いの農地のかんがい用水としても大きな役割を果たしておりました。
 しかし、昭和46年、最後まで上水を使っていた大蔵省印刷局王子工場が取水をやめ、一旦その使命を負えました。
 そして、東京都の清流復活事業により、野火止用水、玉川上水に続き、平成元年には千川上水にも清流がよみがえりました。

清流復活事業とは
 東京都では、都民が水辺に親しむことができるように、せせらぎの水音が聞こえ、周辺のみどりとともに目で見て楽しむことができるような、清流復活をめざしています。
 この千川上水に流れている水は、多摩川上流処理場の処理水をさらに砂ろ過したものを利用しています。
--------

080323_5玉川上水との合流地点付近に、千川上水の復活部分起点があった。千川上水 清流の復活 という石碑があった。これにてトレースランは終了。

|

« ときわ健康温泉 | トップページ | おふろの王様(花小金井) »

「ランニング」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/8853/40613604

この記事へのトラックバック一覧です: 千川上水:

« ときわ健康温泉 | トップページ | おふろの王様(花小金井) »