またしても靖国
小泉首相が靖国神社を参拝し、中国・韓国から猛反発を喰らっている。またしても同じ事の繰り返しだ。
大筋の議論は新聞各紙・TV・マスコミに任せることとして、自分なりに問題点を考えてみた。
・信教の自由はたとえ小泉純一郎氏であってももちろん尊重されてしかるべきだ。一個人が靖国神社へ参拝しているのなら、他の人がとやかくいう筋合いはない。但し氏は今は日本国を代表する内閣総理大臣である。たとえ一個人の信心の発露であったとしても、それが社会的に大きな影響を与えるのならば、より慎重な行動が求められる。公務員はたとえ勤務時間外であっても、信用失墜行為が厳に禁じられているのと同じ理屈だ。既に違憲判決も出ている。もし誰にも文句をいわれたくないのであれば、執務時間外に、誰にも知られずに、公費を一切使わずに、参拝すべきだ。それが現在不可能ならば首相在任中は参拝すべきでない。職務を退いた後、好きなだけ行けばよい。
・靖国神社自体、そもそもの成立の経緯は、国家に殉じた者を英霊として祀るために国策的に作られた。それが戦時中には「名誉の戦死を遂げて靖国で会おう」などというように、戦争礼賛、特攻戦死の後ろ盾に悪用されたのは言うまでもない。例えるなら、自爆テロを賞賛するイスラム原理主義過激派の思想と同じだった。それを今になって、コロッと手のひらを返したように、ここに参拝して不戦を誓うなどと、ぬけぬけと言って果たして信用されるだろうか。
・中国・韓国の対応はケシカラン、それはごもっともだ。彼の国々だって、いろいろケシカランことはしている。ただし、なぜあれだけ過敏に、ヒステリックに、反発し怒るのか、その理由はよく突き止めておかなければならない。
第二次大戦中に日本が大陸や半島で行った様々な侵略行為、それらについて、日本はいまだ国としてまともな謝罪を行ったことはないのだ。確かに何度かそれらしきコメントは発表しているかもしれない。しかし、いつも「遺憾」だとか「過去の不幸な歴史」だとかまわり持った言い方に終始している。それどころか、戦後補償についてはサンフランシスコ講和条約で決着済み、の一点張りで、各種の戦争被害の訴訟に対してはビタ一文も出さないという態度を政府はかたくなに貫いている。これでほんとに被害を受けた人達が、納得した、過去のことは水に流そう、と言ってくれると思うか。
自ら被害を受けていない者は被害者の気持ちはわからないものだ。例えば、某国が我が国の領域に踏み入り、海底資源を盗み出そうとしている。はたまた、某国は、我が国の無辜の市民を拉致して特殊工作員にさせた。何だコノヤロウ、ムカッと来ないはずはない。これと同じ、いやもっと酷いことをされた被害者の怒り・恨みがいかばかりか、想像には難くないはずだ。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 帰宅ラン2024(2024.10.10)
- 水星を観る(2024.09.06)
- 夏休み終わりのスイカ割り(2024.08.24)
- さどしま紀行(総括編・3)(2024.08.03)
- さどしま紀行(総括編・2)(2024.08.02)
コメント
侵略や略奪で日本軍からもっとも被害を受けたのは、特定アジア3ヶ国のいずれでもなく、フィリピンやベトナムだったことは、くりりんさんもご承知のことと思います。
諸々の条約で戦後補償についてもきちんと決着がつき、15年戦争の結末について一旦お互いが納得しているはずでもあります。
そもそも大陸中国の国力の疲弊は、清代の腐敗が遠因で、直接には国共内戦であるとか大躍進政策であるとか文化大革命であるとかいった、先方の内政問題に起因。人もたくさん死んだそうじゃないですか。
だのに何故、くだんの特定アジア3ヶ国のみが大騒ぎするのか。過敏かつヒステリックに対応するのか。「歴史認識」を持ち出せばいくらでも強請れる打ち出の小槌であると認識されているからではないですか。
私たち日本人が内省する分には勝手ですが、それを国外に持ち出してご注進、国際問題にまで発展させてしまうような愚を、オピニオンペーパー辺りが犯しているようでは、いつまでも日本が政治小国であり続けるのも仕方ないことと思えるものです。
投稿: Jan | 2005/10/24 22:24
Janさん、コメントありがとうございます。そちらのページをすっかりチェックするのがご無沙汰していて失礼しました。遅ればせながらおめでとうございます。
さて本題です。予想されたこととはいえ、なかなか手厳しいご意見ですね。確かに、「特定アジア3ヶ国」がやたら日本の歴史認識に対して過剰反応するのは気になっていたところです。比越両国がそれ程ではないのは、そもそも欧米列強に植民地化されていたのを一時的であれ日本に解放してもらったから、あるいはことさら反日を煽るような運動がないからなのでしょうか。「特定アジア3ヶ国」の性向はやはり「偏向教育」の影響なのでしょうか。だとすれば戦前戦中日本の教育も同様に相当偏向していたのでしょう。それをまた敗戦によりいとも易々と180度方向転換してしまったのだから、節操のなさにあきれます。
ただ、困ったことに我々も一定の偏向が掛かった教育しか受けられず、それが物心の根底に深層心理として染みつき、先入観を与えてしまうのかもしれません。願わくば、そういった各種の先入観に囚われない、ニュートラルな歴史の振り返りを双方の国のオピニオンリーダーが率先してほしいものです。
投稿: くりりん | 2005/10/26 00:27
少なくとも戦前の日本の初等教育が「偏向していた」というのは、眉に唾を付けて読んでいいのではと思っています。どうやら1938年前後くらいからは国内でも偏向していたようですが、終戦後の米軍占領下で実施された思想統制が、かなり影響しているんじゃないかと。だってストレートに考えると、偏向してたら大正デモクラシーなんて気楽なものもなかったでしょうし。
ご認識の通り、我々も偏向教育を受けるしかなかったし、それは歴史の時々で直面することなのだと思います。明治期は江戸末期の動乱以前の社会制度を旧弊と否定していたわけですが、歴史として往時の世界各国を横断的に振り返れば、それなりに評価できる社会だったかと。
いつの時代でも近代の評価は、後世の史家に託すほかなさそうで。
特定アジア3ヶ国と比越の最大の違いは、日本攻撃を国策として掲げているか否か、の1点でしょう。フィリピンでも日本軍の蛮行に苦い思い出を持つ方はまだ生き残っていらっしゃるでしょうが、個人としての対応と、国家として煽るかどうかというのは違ってくるから。
その辺は、人として国としてのプライドの問題なのでしょう。隣人に唾しないと落ち着いていられない人は、個人での付き合いでも敬意を得られないのと同じことで、少なくとも共産中国はこの数年でそのような問題に直面し、大人の国として変貌する可能性があります(ただし期待先行)。でも半島2ヶ国はノムヒョン世代が引退するまでは望み薄ですが。
投稿: Jan | 2005/11/13 21:26