敗戦記念日
(高橋のブログ「太平洋戦争は回避できなかったのか?」へTrackback)
このようなタイトルにするとすぐに「自虐史観」と噛みつく向きも多かろうが、敢えてこのように表現しておく。意地を張ることなく、何が失敗だったのかを謙虚に省みることなくして成長はありえず、また同じ失敗を繰り返すだろうから。
そもそも、単に軍事力のみならず、エネルギー資源、生産力といった国力の総力をあげて戦うことが自明となった近代戦において、戦略的に見れば到底敵わない大国を相手に戦いを挑んでしまったこと。当然相手もそれを知ったうえで泳がせ、挑発していたわけだから、その手にまんまと乗せられてしまった時点でまずは第一のミスである。
それでも、緒戦では互角によく戦った。破竹の快進撃を進めているうちに、有利な条件で講和に持ち込むという手もあったはずだ。しかしそれはしなかった。己の力を過信し、もっといけるとガメってしまった。これが第二のミス。
伸びきった前線を維持できず、裏打ちするだけの生産力もなければ、やがてジリ貧の後退を余儀なくされる。ここでも、スパッとあきらめ一旦引いて戦力を整えるというような発想はなく、ダラダラと戦力を逐次投入、無駄な白兵線・消耗戦を繰り返すという愚を犯した。そして最大のミスは、降伏やむなしという判断に至るまでの決断の遅さ(いやこの期に及んでも反対していた輩も多かったというのだから聞いて呆れる)。少しでも早く決断していれば余計な血は流されずに済んだはずだ。
結果論といえばそれまでだが、国家の命運を舵取る責任のある者は結果責任を負わされて当然だろう。高校野球じゃないんだから、一生懸命努力はしました、でも負けましたすみません、では済まされない。その覚悟なくば指導者などなるべきではない。
しかし、実際国家の中枢を支えていたのは「官僚化」した軍部であり、大局を見て判断の下せる明確な責任者の姿は見えなかった。個々の人材は優秀で正確な判断をしていたかもしれないが、往々にして近眼視的、部分最適なものであり、全体の流れがおかしな方向にむかっていても誰も「それはおかしい」と声を上げることはできなかった。いやもしあったとしてもその声は採り上げられることなく抹殺されるようなシステムが既に出来上がってしまっていた。
上に述べたことは果たして戦前・戦中だけの話をしているのだろうか。
工場の排水、車の排気ガスが人体の健康に悪影響を及ぼしていることがわかりながらすぐには止められなかった。輸入血液製剤が危ないと薄々感づいていながら止められなかった。石綿が健康に害を与えると感づいていながらすぐに規制できなかった。バブル期の税収増で、国家財政の借金を一掃することもできたはずなのに、もっといけるとガメって借金して無駄遣いを続け、さらに大きな借金が残った。実際の値は既に大きくかけ離れているのに、楽観的な出生率を示し年金は大丈夫だと豪語する。数え上げればキリがないが、たまたま戦争という方向に行っていないだけで、国家の判断ミスによる出血は、今も止まない。
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