サマータイムの是非
夏至が近づき、朝早くから明るく、宵もずっと明るい今日この頃。「クール・ビズ」と並んで、省エネ対策の切り札(?)として取り沙汰されているのが、サマータイム導入議論である。いろいろ見聞きしたところでは、戦後すぐにGHQの指導のもと実施されたが不評で廃止、その後も何度か導入議論がありつつも結局実現しないまま、という経緯のようだ。ところが今回は国会・政府などでかなり本気で導入を検討しているらしい。
でも、サマータイムでググってみて現れたとあるサイトでは、サマータイム導入に明確な異議を唱えている。確かに内容としてもかなり納得できる。というわけで現時点でのサマータイムへの個人的見解を述べてみる。
一、省エネ効果があるかどうか。これについては賛否両論、省エネになるという説もあれば、逆にロスが増えるという説もある。予測や推論に基づく部分が多すぎるので、実際やってみなければわからない、というのが正直なところだろう。
一、余暇の拡大、消費拡大につながるかどうか。これは甚だ疑問。かえって残業時間が1時間増えるだけのような気がする。まあ、終電時間も1時間早くなるのなら一緒という話もあるが。それと、消費拡大と省エネは矛盾してないかが気になる。
一、移行時の社会システムへの影響。これは甚大。既に制度の定着している欧米でも、1時間時計をずらすときは毎度多少の混乱が生じているというのに、ましてや経験のない日本でやればどうなるか。特に、昔に比べて時計内蔵で自動制御されている機械がこれだけ増えている現在では、かなり危険だと思う。また、欧米なら1時間遅れたという失敗も笑い飛ばす鷹揚さがあるかもしれないが、5分電車が遅れても騒ぎ出す日本人に、それらの混乱を許容するだけの寛容さはあるのだろうか。(そもそも外国ではサマータイムに関係なく列車は時間通りに来ないそうだが(爆))
というわけで、ドロー、反対、反対、よって反対の判定勝ち、という結論になりそうだ。
サマータイム導入を叫ぶ前に、まずは労働時間の短縮を意識として定着させるべきだろう。未だに残業して、しかもサービスで働くことが「美徳」とされるような発想がこびりついている限り、サマータイムはいくら素晴らしい効果を産み得るものだとしても、日本では効果無しとなる可能性が高い。
ちなみに、昔通っていた高校では学校ごとサマータイムを導入していた。昨年行ったゴールドコーストでは、マクドナルドが朝5:30から営業開始していた(その代わり飲み屋が閉まるのも早かったが(^^;)。要は、必要とあればやりたいところだけがやればいいのだ。今ではフレックスタイム導入も増えてきており、それならば個人の判断で対応すればいいだけのような気がする。それを、全国民に問答無用で押しつけようとするからややこしくなるのだ。#住基システムや年金も根は同じなのかもしれない。
もし省エネが究極の目的であるならば、散々こき下ろされている「クール・ビズ」の方がまだましといえよう。それよりも、25度までガンガンに冷やした空調が必要か、夜中まで煌々と輝くコンビニの照明は必要か(そもそも24時間も開いていなければならないのか)。事業者側は「顧客が、消費者がそれを求めているから」と口をそろえて言うだろうが、消費者よ、本当にそれでいいのか、ということを真剣に考えなければならない。
…って言いながらこんな遅くまで長いことPCの電源入れていたらアカンのだが(爆)。
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