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責任者は誰か

あまり目立たないニュースかも知れないが、総務省の人事に内閣が介入して、いわゆる郵政民営化に反対する官僚を「粛正」したという話を聞いた。相当異例のことらしい。

それにしても、この国「責任者」は一体誰なのだろう。教科書的な答えで言えば、国民全員が主権者ではあるが、それでは多すぎるから、選挙で選ばれた議員で構成される国会こそ国権の最高機関である。ただ、国の仕事(行政)を実際に行うのは国会から選出された総理大臣を筆頭とする内閣であり、もちろん内閣だけで全てをまかない切れないから、その手足として公務員、いわゆる官僚を雇って仕事を任せているわけである。

と建前論ではそうだが、実際は行政のほとんどを官僚が牛耳っているというのが実態なのは今更言うことでもない。しかし、問題なのは、国会議員やそこから選び出された内閣については、国民の利益に反することとなれば選挙で辞めさせることも(理論上)可能なのだが、官僚については国民が直接辞めさせることはできないのだ。だから、むしろどんな政変があろうが官僚だけがずっと変わらずに居続けられるのだ。

このことは制度上やむを得ないのだとしても、こういう状態が長く続くにつれ、国を動かしているのは官僚であると官僚自らが当然のように思いこんでいることが、今ではむしろ弊害の面が大きくなっているように思われる。内閣が、あるいは大臣が替わって何かをやろうとしても、官僚の意に添わないことであれば徹底的に抵抗するのである。体に例えれば手足が頭の言うことをきかないわけだ。

確かに官僚達は優秀だ。おそらく日本のトップクラスの成績優秀者が多く送り込まれ、さらにその中で競争して生き残った者達なのだから。しかし、逆にいえば、それだけ優秀とされる官僚達が、若い頃から2時3時4時まで働いて死力を尽くした割には、この財政赤字は何だ、年金問題は何だ、薬害問題は何だ、失業率は何だ。その程度の成果でしかないのだ。確かに、彼らでなければもっと酷くなっていた、という考え方もあるのかもしれないが、彼ら以外であればもっと他の道、他の可能性もあったかもしれないのだ。別の掲示板にも少し書いたが、あまりにも固定化された環境が、官僚を「部分最適」に走らせてしまったに違いない。

連休中に、堺屋太一氏が著した「平成三十年」を読んで暗澹たる思いとなった。結局、この国に対して「責任者出てこい」と叫んでも、具体的な名を持った誰か、は出てこないのだ。この問題に対する答えは見つからない。だからせめて選挙の投票はかならずしろと兼々訴えるのである。現行の憲法の枠組みを変えない限り、国民一人一人にもこの国はどうすべきか、どうあるべきかを考え行動する責任があるのだ。

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コメント

キャッチアップ政策に邁進する時には力を発揮するけど、今はどうなんでしょう...くらいに迷ってみるのも、楽しそうではあります。

投稿: Jan | 2005/05/20 23:16

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