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消極的自己責任

イラクで人質となり、辛くも無事生還した日本人に対し、「自己責任」の非難が殺到、個人への中傷も相次いでいるとか。全く情けない限りである。この手の個人攻撃はテロと精神的な中身は変わらない。すぐにやめるべきだ。確かに行動がいささか勇敢すぎたきらいはあるが、そのことの代償は監禁生活と死の恐怖で既に存分に思い知ったはずである。これ以上赤の他人が追い打ちをかける必要もあるまい。本当に自己責任を主張できるのは定款にその旨明記した保険会社ぐらいのものである。

また、このような危険な行動をした者を国が救う必要があるのかといった議論もあるようだが、これも本末転倒。無謀運転で勝手に事故を起こして死にかけている馬鹿者であっても救急隊員は懸命に命を救うのが任務だ。彼らのケースはこれよりもはるかにまっとうな行動だった。この任務を国が放棄するというのなら、少なくとも税金を取ったり法律を守る義務を課したりしてはならない。

むしろそれよりも気になるのは、多数の市民の無関心や場当たり的な価値判断による「消極的自己責任」ではないかと思うことが最近多いことだ。徹底した議論も尽くさぬままなし崩し的にイラク派遣されてしまった自衛隊の件もその一つではあるが、もっと身近なところでは、ただ単に安いと言う理由だけで消費行動を取っていないか、環境への配慮とか地元品の消費とかその他工夫して付加価値のあるものを理解して積極的に買おうという配慮が少しでもあるか(卵、牛乳、衣料品然り)、視聴率向上しか念頭にない売らんかな・見せんかなの低俗番組ばかりを喜んで見ていないか。

他にも選挙で人を選ぶとき、自分のセクトや地元に利益誘導するかという価値判断だけで決めていないか。そのことが無駄な公共事業を誘発したり、都会と田舎の格差を生んだり、環境、雇用、年金の問題をここまでこじらせてしまったのではあるまいか。もちろんそういった議論を、難しいわからないと考えようとすらもせず権利放棄する有権者は論外である。そのツケが溜まりに溜まっていま回ってきたのではあるまいか。

この手の問題にはこれが正解という答えがない。常にあちらを立てればこちらが立たずという矛盾が生じる。だからこそ、徹底的に考え議論して、お互い納得できる落としどころを見つけていかなければならない。そうした面倒くさい努力を怠っていながら、ある日突然自分の目の前に不利益が降りかかってきたときだけ文句を垂れる。そういう人に対してこそ言いたい。全て自己責任だと。

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コメント

くりりんさんの意見に賛成!

本末転倒の自己責任論は疲れる。

投稿: こうめ | 2004/04/24 09:30

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