高槻シティハーフ2020

200119_01今年も高槻シティハーフマラソンに参加。ただし参加は私一人のみで、相方と子供らは家で留守番。自転車で会場に向かうと、以前は体育館の敷地内に停めていた自転車が、一律で少し離れた小学校の敷地内に停めるようやり方が変わっていた。また、荷物預かりも前は無くて、更衣室である体育館に置き去りにするしか無かったのだが、大きな袋に入れた上で選手だけが入れるゾーンに置くようになったので、盗難に遭うリスクもだいぶマシになった。

200119_02会場の販売ブースで本当に久々に新たなランニングシューズを購入。その手の店では現金オンリーが当たり前だったが、何とクレジットカード決済が可能だった。ここにもキャッシュレスの普及が。シューズは、この後3月に出場予定となる静岡マラソン用を意図していたのだが、その時点では後々の大激震など知る由も無かった。

さてレースの方は、もはや練習無しで1年ぶりという状況なので、相変わらずのサルの着ぐるみでゆっくりジョグ、気が向いたらちょっとだけビルドアップ走といったところ。天気は比較的好天。例年終盤にバテたところをラン友のU氏に目撃されてしまうので、だいぶがんばってダレずに走りきったのに、そんなときに限ってU氏は現れなかった。タイムはグロスで1時間56分30秒と、昨年の自己ワーストよりは改善。

200119_03レース終了後、自転車で帰宅中に、ベトコンラーメン新京を発見。このラーメン店は以前惜しまれつつも閉店していたのだが、かつての店舗から数軒離れたところで復活していたとは知らなんだ。コレは寄るしかないだろう。

200119_04というわけで遅い昼食も兼ねた一人お疲れさん会を実施。店内は同じくマラソン帰りと思われる客も多く、既に昼食ピーク時間はだいぶ過ぎているにもかかわらず盛況だった。

(本記事は、だいぶ後になってからの投稿のため、相当記憶が薄れており、そんなことがあった、という記録程度の内容となっているのでご了承願います)

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麺屋 優光

19121712月某日、烏丸姉小路西入ルのラーメン店「麺屋 優光」を訪れた。ここは相当人気があり、早めに並んでおかないと行列待ち必至。というわけで、この界隈に出張の用事があり、かつ、お昼ちょっと前に自由時間にならないとありつくのが困難となっている。

この日いただいたのは「黒竹」(くろちく)というメニュー。しっかり味の濃い醤油ラーメンと記されている。その名のとおりスープはかなり黒い。系統としては新福菜館、富山ブラックあたりか。

190618ちなみにこの時は初訪問ではなく2回目。同年6月にも訪れていたがブログ掲載をサボっていた次第。いったんその場でSNSに載せてしまうと、それで満足してしまうのか記事掲載まで至らないことが多くなっている。

初回訪問時にいただいていたのはこちら「淡竹」(はちく)。一番人気がある貝系ラーメン。その名のとおり色は淡白であっさり系、貝のダシの旨味を存分に味わうことができる。

(本記事は、だいぶ後になってからの投稿のため、相当記憶が薄れており、そんなことがあった、という記録程度の内容となっているのでご了承願います)

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第22回全国視覚障害者駅伝大会

191104_01今年もOSAKA EKIDEN in 長居 兼 全国視覚障害者駅伝大会に昨年に引き続き伴走者として参加すべく、長居陸上競技場を訪れた。

毎回出てるのに、前回・前々回はブログ記事掲載をサボっていたようだ。例によって東京のチームY、3区3.4kmでY氏の伴走を担当。前回は視覚障害者の部で優勝、デフェンディングチャンピオンだが、実は飛び道具(現役パラリンピアン)を使っていた。今回はそのようなズルは無しで臨む。

191104_02我がチームは1区の元パラリンピアンが出だしで5位と出遅れ、自分らの3区も、4位でもらったタスキをそのまま繋ぐだけ、タイムも15分20秒で区間5位とさえず。最終順位も部門4位に終わった。

プログラムの各チームひとこと欄には「過去の栄光の架け橋」と書いたが、まさにその通りとなった。まあ、結果はさておき、毎年このメンバーで打ち上げの飲み会をするのがメイン行事となっているので、これでいいのだ。

(本記事は、だいぶ後になってからの投稿のため、相当記憶が薄れており、そんなことがあった、という記録程度の内容となっているのでご了承願います)

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阪急レールウェイフェスティバル2019秋

191027_01春のイベントに引き続き、秋の阪急レールウェイフェスティバルにも参加した。前回参加以降、阪急電鉄 鉄道ファンクラブにも入会して、抽選当選確率を高めておく努力が奏功したようだ。

191027_02展示内容や体験コーナーなどはほぼ前回同様。画像はミニトレイン乗車のコーナー。いろいろ見て回りたいが、結局のところジュニア達の意向が優先されるので、鉄オタの大人としては我慢が続く。一人で好き勝手にしたいものよのう。

191027_03そして今回もプラレールで遊ぶコーナー、予約券を予め並んで取ってからの利用。プラレールなら家になんぼでもあるやんか、と思うのだが。

(本記事は、だいぶ後になってからの投稿のため、相当記憶が薄れており、そんなことがあった、という記録程度の内容となっているのでご了承願います)

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香住釣りツアー

191022_01即位礼の日ということでこの年だけ特例的に祝日となった10月22日、早朝から車で兵庫県北部方面へ。市町村合併で今は香美町となっている、旧香住町の香住漁港へ釣りに行く。

191022_02実はここへ来るのはこれで2,3度目ぐらい。前に訪れた際のブログ記事掲載をサボっているだけ。

以前に来た際は小アジが入れ食い状態で、しこたま釣れたが、今回はボチボチ程度。岸壁からサビキを投げる釣り方である。ジュニア達は釣ることそのものよりも釣れた魚をいじくる方に関心があるようだ。

191022_03お昼ごはんは近くの「れんが亭」というレストランで、かに丼定食をいただいた。

191022_04釣りばかりではジュニア達も飽きてしまうので、近くの公園に連れて行って遊ぶ。海の間際にあり、そこから漁港の方面を見やる。

191022_05帰路途中、地元の銘酒「香住鶴」の直販店、福智屋に立ち寄り。土産に日本酒を購入。

191022_06さらに帰路を進めて、道の駅あゆの里矢田川に立ち寄り。この道の駅は、近年香住方面に高速道路が延伸されたことにより、一般道でないと通りがかれない立地が災いして客足が激減し、潰れる寸前まで追い込まれた。しかし、その逆境を比較的若い駅長(店長)が半ば自虐的にTwitterでアピールしたことで、ネット界隈でちょっと話題になり、息を吹き返しているという状況にある。その話題を知った時から一度は立ち寄りたいと思っていたので、ようやく念願がかなった。なお、当該道の駅の、かなりクセが強いTwitterアカウントはこちら(@tajimaayunosato)

191022_07土産に買って帰った品々。ちなみに、あゆの里矢田川では天然鮎が入手できなかったので鮎の甘露煮を買ったのだが、よく見たら愛知県豊川市製造だったというオチ。

(本記事は、だいぶ後になってからの投稿のため、相当記憶が薄れており、そんなことがあった、という記録程度の内容となっているのでご了承願います)

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大仏鉄道廃線跡マラニック

191013_0110月某日、ランニングフォーラム・FRUN有志のイベントで大仏鉄道廃線跡マラニックが行われた。かつては毎年この時期にFRUN主催で「おこしやすマラソン」を実施していたが、数年前に終了し、その名残というか代わりに何かやっているという次第。

近鉄奈良駅に集合した後、大きい荷物はコインロッカーに預けて、JR奈良駅から加茂駅まで電車で移動し、加茂駅からのスタート。実は加茂駅のホームの一部も、かつての大仏鉄道のホームだったそうだ。そして最初の画像は、加茂駅敷地内にある、レンガ造りのランプ小屋。

そもそも大仏鉄道とは、加茂駅から奈良市内方面へ、大仏への参拝客を運ぶ目的で1898(明治31)年に開業した路線だったが、途中かなりの急勾配を無理して通した線形が祟り、開業後わずか9年で廃止となった幻の鉄道だそうだ。現在では、さっき乗ってきた、やや遠回りだが平坦なところを結ぶJRの路線に取って変わられている。大仏鉄道の詳しい解説は他のページに委ねることとする。
191013_02鹿背山橋台。大仏鉄道跡にはもはや線路は残っていないが、このように橋などがあったところに、遺構が残っている。石垣のように石が積まれている。

191013_03梶ヶ谷隧道。レンガを積み上げて、鉄道の下を道や水路がくぐり抜けられるようにしている。

191013_04赤橋。廃線跡をそのまま走っているとこの姿は見られないので、いったん脇にそれて見物。

途中のコンビニで昼食休憩をはさみつつ、マラニックは続く。

191013_05大仏鉄道を作った、関西鉄道株式会社(「かんさい」ではなく「かんせい」読むそうだ)のロゴマークがレンガで表されている。当時は国有ではなく私鉄だった。

191013_06奈良市街に入ってくると、住宅地が広がっており、もはやかつての路線跡を正確にはトレースできない。その住宅地の中にポツンと公園があり、これが大仏鉄道終点の大仏駅跡地。本当はもっと大仏殿の近くまで引く予定が、用地確保できずに、仮設的にここに駅を置いたそうだ。というわけでここから大仏まではまだだいぶ離れている。

191013_07大仏殿まで到着。中には入らず。たくさんの観光客、とりわけインバウンドの外国人客で賑わっている。

この後はひとっ風呂浴びてから飲み会。二次会では日本酒がいっぱい選べる店もあり、したたかに酔った。

今回のマラニックをReliveというアプリでトレースしていたので、その動画も貼り付けておく。


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みやまい紀行

190830_018月末、夏の家族旅行第二弾で京都府北部方面へ車を走らせる。金曜日にそちら方面の出張予定があり、仕事が終わってから別働隊の家族と合流の予定だったが、出張予定のイベントが中止になったために最初からの参加となった。

まず向かったのは綾部市天文館パオ。以前からその存在は知っていたが、今回ようやく初めて訪れることができた。

190830_02シンボルでもあるドームの中には95cmの天体望遠鏡が鎮座しており、見学させてもらえた。昼間でしかも曇天時折雨という天候だったので、星を観ることはできず。

190830_03館内にある展示物を見て回る。こぢんまりとしており全体的に古め。というか置かれていたパソコンがPC98シリーズなのにはビックリ。更新する予算も付かないのだろうなあ。天文系の展示や資料以外にも、手作りおもちゃなどがあり、子供らはそちらの方に関心を寄せる。また、屋外には結構長いローラー滑り台もあって、そこでひとしきり遊んだ。

その後は宮津方面へ向かい、晩御飯は富田屋に寄りたかったのだが、あいにく満員。仕方なく泊地のホテルまで行ってホテルの居酒屋で晩御飯とした。

190831_01今回泊まったのは、ホテル&リゾーツ 京都 宮津。元々は「宮津ロイヤルホテル」という名前だったが、経営主体である大和リゾートのブランディングリニューアルにより改称となっている。高層階からだと、栗田湾を挟んで天橋立を見ることができる。

このホテルにも温泉があるので一応リポート。大浴場の一般的な設備の中の一部に温泉の浴槽がある。露天風呂も温泉水。サウナ・水風呂はもちろんある。由良の浜から汲み上げた「宮津の湯らゆら温泉」が使われているようで、とすれば泉質はナトリウム-塩化物強塩冷鉱泉であろう。無色透明塩味無臭だった。

★★★☆☆ 温泉については可もなく不可もなくといったところ。

なお、このホテルでは「小さなお子様のいるご家族に優しいホテル」もコンセプトに掲げているようで、今回利用した宿泊プランも、和室で何名泊まっても全部で一室1万円(素泊まり)というものだった。
190831_02チェックアウト後には、ホテル内に併設されているプールを利用。宿泊客は割引価格となる。

当初の天気予報は曇時々雨だったが、予想外に良い方向へ外れて、プール日和となった。既に夏休みは終わっている日程のため、客は少なく、というか最初は貸切状態だったが、その後次第にうちと同じような子連れも含め他の客もちらほら現れた。ガラ空きのプールでプチリゾート気分を満喫。

190831_03昼ご飯は、前日の晩御飯断念していた宮津駅前の富田屋に再度挑戦、今度は入れたので、うなぎ定食をいただく。それにしてもここはいつも混雑している。

190831_04しばらく車を走らせると、宮津の地酒の看板を見つけたので立ち寄った。ハクレイ酒造、漢字では「白嶺」と書く。

190831_05地酒の試飲もさせてもらえた。ハンドルキーパーは申し訳ないが相方に委ねて、私だけいただく。お土産に1本と酒粕もいただいた。

190831_06さらに進んで舞鶴市に入り、「エル・マールまいづる」という施設を訪れた。ここは関西電力のPR施設で、元々は船だったものを改造してミュージアムにしている。

原発マネーで作られた施設だから、さぞや原発ゴリ推しの展示内容かと思ったが、意外とそうでもなく、メインのプラネタリウムのシアターと、船に関する展示、舞鶴の歴史等に関する展示、そしてエネルギーに関する展示と抑揚が取れていた。(まあ、原発礼賛の基本スタンスは変わらないのだが)

190831_07そしてプラネタリウム上映の時間が回ってきたので鑑賞。今度は義母が気を使ってくれて次男坊を連れて外で待機してもらえたので、グズられて退場という心配もなし。富士山の四季と星空のコラボの美しい映像を鑑賞できた。

(本記事は、だいぶ後になってからの投稿のため、相当記憶が薄れており、そんなことがあった、という記録程度の内容となっているのでご了承願います)

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ほくりく紀行(後編)

前編からの続き)
190715_01翌朝。朝食前に、宿の近くを散歩。名勝「窓岩」を改めて眺める。岩の真ん中に穴(窓)が開いている。年間のごくわずかの期間に、ちょうどこの穴のところを通る夕日、あるいは月を観ることができるそうだ。

190715_02さらにもう少し歩いたところに、「せっぷんトンネル」なるスポットもあった。かつて映画のロケでここで撮られたキスシーンがあったのでそう呼ばれるようになったとのこと。トンネルの中に、見る角度によってはハート型に見えるイルミネーションが施されているが、それが写るように明暗調整すると、トンネル手前の地面が白飛びしてしまう。

で、なぜこのようなトンネルがあるのかというと、ずっと昔は、この海岸を行き来するには、波打ち際の岩場を通るしかなく、遭難事故が絶えなかったそうで、そこを通らなくていいように手彫りでトンネルを作ったのがこれなのだそうだ。今でこそ片側1車線の道路が整備されているが、昔は移動するのも命懸けだった。

190715_03宿を後にしてしばらく車で進むと、「輪島塩」という看板が目に付いたので立ち寄る。その名のとおり、昔ながらの製法で塩を作っている。見学や体験もできる。

海水から塩を作る場合、海水をいきなり煮詰めるとたくさんの薪が必要になってしまうので、まずは砂に撒いて天日干しをして、濃い塩分を含む砂をさらに海水で溶かして、十分に塩分濃度を高めてから煮詰めるのだそうだ。

砂に海水を撒く体験もさせてもらったが、スプリンクラーのように広く薄く飛ばすのは非常に難しく、また装備も重くて重労働だった。なお、かつてなぜそこまでして塩を作ったかというと、能登の地では地形上の制約から米作りが困難なことが多く、米で納める年貢の代わりに塩で納めたのだとか。ここで作られた、結晶の大きなお塩をお土産で購入。

それにしても、今の技術ならば、塩分濃度を上げるためなら、砂に撒くのではなく半透膜を使うのだろうけど、それだと味気ないのだろうか(塩だけに)。

190715_04さらにしばらく車で行くと、千枚田というスポットがあったので見物。「白米千枚田」は要するに棚田のこと。平坦な土地の少ない能登で何とか米作のためにと造作された見事な棚田だ。

さっきの塩といい、米作りが大変な能登の土地柄を感じた。

190715_05今度は世界一長いベンチがあるとのことで、サンセットヒルイン増穂の道の駅に立ち寄った。ここも夕日の名所なのだそうだ。端から端までは確かめなかったが、記されているところによれは全長460m。

190715_06旅行二日目のメインの目的地、石川県羽咋市にある「コスモアイル羽咋」に到着。元天文部としては期待するところ大。屋外にはロケットのレプリカが立ちはだかっていた。

190715_07展示物を見て驚くのは、「本物」も中にはあること。画像のヴォストーク宇宙船カプセル(旧ソ連)も、実際に宇宙から帰還したホンモノ。どうやって手に入れたんだ?。

で、展示を見ていくうちに、ネタが微妙に古いということが気になる。冷戦期に米ソがこぞって宇宙開発競争してた時期のものばかりで、スペースシャトルすら出てこない。ボタンを押すと流れる映像も、何かそこはかとなく漂う少し古い感。極めつけは、UFOとか超常現象とかの、科学からすれば結構「トンデモ」扱いされているテーマも正面切って展示されていた。いったい何なんだここは。

一つ一つの展示ももっとよく見たかったのだが、前日同様、息子らのご機嫌取りと後を追うことにばかり労力が裂かれてしまう。ミニシアターで上映される映像も見たかったのだが、始まった途端真っ暗な会場でグズリだした次男坊を連れて泣く泣く退散(なお、シアターは別料金だったがこの場合は払い戻してくれた)。子連れで博物館に行っても大人はほとんど楽しめない。

190715_08最後の観光立ち寄り(と言っても車窓見学だが)スポットは千里浜なぎさドライブウェイ。自動車で堂々と波打ち際の砂浜を走れる道だ。ここは昔々若かりし学生の頃にドライブツアーで遊びに来て通った記憶がある。時を経て妻子連れで通ることになるとは、感慨深い。

(本記事は、だいぶ後になってからの投稿のため、相当記憶が薄れており、そんなことがあった、という記録程度の内容となっているのでご了承願います)

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ほくりく紀行(前編)

190714_017月某日、夏の家族旅行第一弾として、車に乗り込んで一路北陸方面へ。まず最初の目的地は福井県立恐竜博物館。博物館手前で表示が出ていて、博物館の駐車場は満車だからここに車を止めてシャトルバスに乗れとの案内があり、素直に従った。それが正解のようで、案内を無視して博物館敷地の駐車場に向かった車は、目的地だいぶ手前から渋滞にハマっていた。シャトルバスはこれを避けるような抜け道の林道を通って博物館前に到着。

ここまではよかったが、昼食を博物館内で取るのは失敗だった。ファストフードのプレートランチを買うだけでも大行列の長時間待ち。フードコートのような飲食スペースはあるものの、混雑で場所を確保するのも大変。食事は館に来る前に済ませておくか、弁当などを持って入るべきだろう。

190714_02さてようやく館内を見学。比較的新しい時期にできた博物館ということもあり、精巧にできた動く恐竜模型など興味深い展示が目白押しだった。

ただ、残念なことに、息子たちのご機嫌を伺いつつ迷子にならないよう監視するのが手一杯で、じっくり思う存分見るといったことは不可能だった。

190714_03博物館を後にして、この日の泊地を目指す。福井県から石川県へ入り、それも能登半島の曽々木海岸まで、だいぶ長いドライブ。名勝「窓岩」のすぐ横にあるからか、その名も「横岩屋」という旅館にようやくたどり着いた。

190714_04西側が全部海岸線という立地なので、水平線に沈む夕日を拝むことができる。左側に写っているのが窓岩。

190714_05この宿の特筆すべきときろは食事。この日も地元で採れた海産物などをふんだんに使った料理がこれでもかと出された。時期的に「夏枯れ」のためかなり貧弱とのことだったが、それでも十分。食材豊かなシーズンにも是非訪れたいものだ。

190714_06旅館内の屏風に揮毫やら絵画やらが貼ってあった。それらが何かはよく分からない。

なお、この宿はかつて漁師の家だった建物を温泉民宿に改装しているそうで、館内は古き良き時代の趣がある。また、運び湯だとは思われるが輪島温泉郷の温泉に浸かることができる。お風呂はごくこじんまりとした浴槽が1つあるのみ。無色透明、塩味、かすかにツルヌル感あり。加水・加温・循環・消毒ありの「四重苦」だったが、気にならないレベル。

★★★★☆ 最低でも2泊はして食事を満喫したい宿。

後編に続く)

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関東遠征・再び

190604_016月某日、再び神奈川県内某所への出張へ。今後は経由地となる新横浜駅で昼食を取ることにして、ラーメン博物館に立ち寄る。ここに来るのは初めてではなく、2000年ごろにも一度訪れた記憶があるが、まだその頃は本ブログも立ち上がっておらず正確な記録が残っていない。

190604_02まずは熊本ラーメン「こむらさき」という店に入る。

190604_03白湯ベースのスープ。博多ラーメンに近い感じか。

190604_04続いての店は「琉球新麺 通道(とんどう)」。

190604_05焦がし黒醤油ラーメンをいただいた。

190604_06出張の用務を終えて、今度は都内の某所へ向かう。以前は小田急を使ったので、今度は東急田園都市線を利用するルートにしてみた。まずは長津田駅で乗り換え。

190604_07車両が見慣れないうえに、押上行きと書かれていても、それで合っているのかどうか全く土地勘が無い。

190604_08東急は渋谷駅を経由してそのまま半蔵門線に直通。九段下で東西線に乗り換え。営団、じゃなかった、東京メトロは発車メロディーがないと思っていたのだが、九段下駅では爆風スランプの大きな玉ねぎの下でが流れた。

190604_09東西線は水色のイメージカラーだが、オレンジ色のラインの車両。直通運転している東葉高速鉄道の車両なんだろう。

そして、某駅近くにてこれまた9年ぶりぐらいとなる、小学校同窓生との飲み会。恩師も更に年を重ねられたが、ありがたいことに健在で出席いただけた。卒業以来30数年ぶりに会う同級生もいた。懐かしいことこの上なし。先生は早めに帰られたが、残った有志で夜更けまで。


190605_01翌日は残念なことに丸一日は休めず、午前半休しか取れなかったので、朝の新幹線で職場へ直行。となると、朝8時台の東西線に乗らなければならない。すっかり忘れていたが、この時間帯の東西線は地獄の混雑だった。

(本記事は、だいぶ後になってからの投稿のため、相当記憶が薄れており、そんなことがあった、という記録程度の内容となっているのでご了承願います)

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