さらばPiTaPaカード

18110110月下旬のある日、あまり頻繁にチェックしなくなったパソコンのメールを見ると、三井住友カードからの利用明細に関する連絡が入っていた。ふと気になって、Webサイトを確認すると、何と年会費の請求がエントリーされていた。このクレジットカードは、PiTaPaとセットになった阪急のエメラルドスタシアカードで、運営は三井住友が担っている。最近はもっぱらJR西日本のJ-WESTカードとICOCAの組み合わせでしか使わなくなっているため、こちらのカードを使う機会はほとんどなくなっていた。

PiTaPaに関して言えば、年間に一度もPiTaPaの使用がないと年会費1000円が取られることは認識していたので、年に1回はICOCAではなくPiTaPaで電車利用をするよう気を付けていたつもりだった。さらに言うと、この年の10月からJR西日本でもPiTaPa利用がポストペイになる、つまりICカードにチャージしたお金は使う機会がほとんどなくなるため、1000円余りあったPiTaPaのチャージ額を無理してJRで使い切って残額0円にしたばかりだった。

それで、よくよくカード規約等を調べてみると、交通系のPiTaPaとしての年会費は前述のとおりだったのだが、クレジットカードの年会費はこれとはまた別で、初年度は無料、それ以降は年に一度でもクレジット利用があれば無料だが利用がないと年会費1250円(税別)がかかるというのだ。しかも、どうやらそのクレジット利用には交通系IC利用ではカウントされず、店舗等での支払いでないとアカンということらしかった。

もはやほとんど使う機会のないこのカードのためにわざわざ買い物するのもアホらしいので、この際クレジットカードをPiTaPaもろとも解約することとした。この手続きはWebではできず、三井三友カードの窓口に電話で連絡する必要がある。平日の昼休み、電話は混んでいて結構待たされたが何とか解約手続き完了。後日届けられる返信用封筒に、裁断したカードを送り返して全て終了となった。なお、チャージ額を使い切っていたのは大正解で、もし残っていたらパーになっているところだったらしい。それから、請求予定に上がっていた年会費も、どうやらこの解約により引き落とされずに済んだようだ。

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平成30年台風21号

180904_1平成30年(2018年)9月4日、台風21号(アジア名:チェービー)は、非常に強い勢力を保ったまま12時頃に徳島県南部に上陸した。この台風やそれによる被害についての詳細は各所に記録されているのでそちらに譲ることとして、身の回りの状況などを備忘録代わりに記載しておくこととする。本記事は、便宜上台風襲来時の日付としているが、だいぶ後になってから掲載したものである。

台風の接近はあらかじめ予測されていたので、その日は早々と保育所の臨時閉鎖が決まり、またJR西日本も昼頃から全ての列車運行を止めると事前に宣言していたため、仕事も休みを取った。ところが当日朝も嵐の前の静けさ。保育所に行けず元気が有り余っている子供らを公園に連れて行って遊ばせるぐらいの平穏さだった。

しかし、昼頃から様相が一変する。今まで経験したことがないような強風が吹き荒れた。昼前からは家にこもり、シャッターも全て締め切っていたので、外の様子は見えず、音でうかがい知るしかない。何かが飛ばされて転がっていく音、飛ばされた何かが落ちてきてぶつかる音。そして最接近の15時あたりでは、時折瞬停が起きた。いよいよ停電かもと思ったが、何とか我が家は停電を免れたようだ。

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そして関西空港の連絡橋にタンカーが衝突したとのニュースが飛び込んできた。これにより関空は孤立、その後しばらくは鉄道も車もアプローチできない状態が続き、外国人観光客の激減につながることとなる。

そのほか、各地で主に強風による被害が発生した。以下はANNがまとめた投稿映像より。

消防庁の集計では、この台風による死者は13名。いずれも、強風による転落・転倒や、飛来物に当たったことが原因とみられるそうだ。これらは、外に出なければ防げた可能性も高い。さらに言えるのは、今回と似たような進路を取った昭和9年(1934年)の室戸台風で死者2000名余り、昭和36年(1961年)の第二室戸台風で死者200名弱に比べれば格段に少なかった。治水が進んで洪水被害がなかったこともあるが、建物が頑丈になり、外にさえ出なければ命はまず助かるようになったのだろう。そして、JR西日本が早々と運行休止を宣言したことが、多くの人の通勤通学を最初からあきらめさせることにつながり、犠牲者の減少に寄与したのではないかと考える。「超ファインプレー」と評しても過言ではない。

さて強風が収まった夕方過ぎ、近所の人らがわらわらと外に出て後片付けやらを始めた。こちらも家から出てみてビックリ、あちこちに飛ばされてきた屋根の破片やらが散らばっている。植木鉢を外に置いたままだったお宅では、全部飛ばされて落ちて割れていた。また、カーポートの屋根が丸ごと吹き飛ばされている家もあった。その後もSNSで友人らの「ベランダの屋根が飛ばされた」「未だに停電中」といった被害報告を目の当たりにすることとなった。

180904_3振り返るに我が家の被害はどうだったというと、通過直後には被害なしという認識だったのだが、後日よくよく見ると外壁に傷が付いているのに気がついた。おそらくは飛ばされてきた何かが当たったのだろう。車に当たらなくてなくてよかった。

180904_4気がかりだったのは屋根。簡単に見ることは出来ず、これも後日だいぶ経ってから、棒の先に携帯のカメラを貼り付けて撮影することでようやく確認できた。見たところ大きな被害はなさそうだったが、これもよく見ると真ん中あたりのスレート材の端っこが欠けているようであった。まあ、この程度ならかすり傷だろう。

6月の地震で屋根瓦がズレたり落ちたりしてブルーシートを掛けている家も市内に相当数あったが、これらの多くが台風で飛ばされてしまった。修理業者も手一杯でなかなか修復が進まず、その後も長期間ブルーシートが掛かった屋根が残り続けることとなった。

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父還る

7月下旬、父が亡くなった。享年76。

その1ヶ月ほど前に、胃がんが見つかり、しかもステージ4の末期、肝臓にも転移していて、ほとんど手の施しようがない状態だった。それでも一応抗がん剤治療はチャレンジするということでやってはみたが、1クールも終えないうちに体調が悪化し中止。痰が出せずに誤嚥して肺にたまり、肺炎を起こして多機能不全というのが直接の死因となった。告知時点から、長くはもつまいと覚悟はしていたが、予想をさらに上回ってあっという間に逝ってしまった。

がんについては、さらに遡ること3年前に肺がんが見つかり、早期だったため3葉を摘出するだけでその後は再発もなかった。その後腎臓がんも見つかったが、これも早期で部分切除により切り抜けた。以降経過観察も続けていたが、胃がんはノーマークだったとのこと。そもそも肺がんが胃がんに転移することはないそうである。確かに、診断では胃がんが原発(転移ではない)となっていた。従って、あるがんの経過を見ていたとしても、全てのがんをチェックするわけではないので、他のがん予防のためには別途人間ドック等で検査は必要なのだそうだ。そんなこととは知らなかった。

抗がん剤治療のため父が入院した際、親戚が見舞いに訪れたが、うちの家族は育児等が慌ただしいこともあり、行くのが遅くなってしまった。ほぼ毎日付き添っていた母に、うちの家族はまだ来ないのかを聞いていたそうだ。ようやく一家4人そろってお見舞い。結果として、このときが意識があるうちに会えた最後の機会となった。長男は衰えた父(長男から見ればじいじ)の姿におびえたのか、ちゃんと向かい合おうとしなかった。後ろ向きの頭を父になでてもらった。次男は無邪気なもので、超笑顔で父とハイタッチをした。このとき、心なしかずっと無表情だった父の顔がほころんだように見えた。そして、お見舞いの帰り際に、それまでほとんど無口だった父が大きな声でバイバイ、と言った。その時点では、ああ、まだもう少し元気が残っている、と思ったのだが、後から振り返れば、これが最後のお別れの挨拶だったのだろう。そこから一週間も経たないうちに最期を迎えた。

医師から臨終を告げられた後からが一気に慌ただしくなった。病院側から、遺体はどの葬儀会社に何時に引き取ってもらうのかを即日連絡せよと求められた。想定外に早い死去だったため、まだそこまでは決まっていなかった。病院から示されたいくつかの葬儀会社のリストには目もくれず、市役所の斎園課に駆けこんで、葬儀の日程等を押さえて申し込んだ。高槻市では市営葬儀と言って、葬儀会社を通さずとも自らで市営葬儀場を利用した葬儀のサービスを受けられるのだ。そのサービス一式の中に、遺体の搬送も含まれている。供花とか食事のサービスなどはそれぞれのカテゴリごとに相手の事業者を選んで、どういう内容にするかを指示する必要があり面倒だが、民間葬儀会社に丸投げの場合なら相当抜かれているであろう中間マージンが発生しないので、総額としてはかなりリーゾナブルな費用で済ませることができた。そもそも父は生前、墓は要らない、葬式も要らないと言っていたそうだが、さすがにそうもいくまい。長男である私が喪主となり、ごく少数の親戚のみでささやかに行う家族葬を行うことにした。自分や相方の職場からは弔電のみ受け取るということにした。

うちには菩提寺もなくどこかの檀家にもなっていないので、宗教者をどのお寺に頼むかも決めなければならない。ただこれには心当たりがあった。実家のすぐ近くにあるお寺がうちの宗派と同じ浄土真宗本願寺派であることを知っていたので、そこへ連絡。通夜・葬儀とも日程OKだった。そのお寺には、父がいよいよとなったときに事前に話をしにいこうと思っていたのだが、その暇もなくそのときが来たので、ご住職とは一度電話でやり取りしただけで直接会うのは通夜の日が初めてとなった。

通夜の前に少しご住職と話をしたのだが、お寺を指名した理由として、以前実家から学校なり会社なりに通うための駅との往復ルート上にそのお寺があり、お寺の前に掲げられていたひとこと法話も時折見ていたからだと話すと、「それもご縁ですね」と言われた。浄土真宗の考え方では、亡くなった人は皆必ず浄土へ行けるのだそうだ。葬式や、七日ごとの法要などは、亡くなった人とのご縁を確かめる機会であって、それで故人が極楽に行けますようにとお願いするものではない(そもそも誰でも行けるのだから)とのことだった。だから浄土真宗では、戒名と言わず法名と言ったり、六文銭を額の裏に貼るようなことはしないのだそうだ。他の宗派と比べても戒律等あまり厳しいことを言われず、ざっくりいえば「ゆるい」のが特徴のようだ。そのかわり、亡くなった人とのご縁を、有り難かったことだなと日々振り返り感謝するようにしてください、という考え方のようだ。自分の考え方ともしっくり合う感じで、救われる思いがした。

通夜の後は、父のきょうだいを中心とする親族で会食。これも市営葬儀場の中で行える。借りた会場が、家族葬向けの小規模な部屋のため全員は泊まれないので、子供(父から見れば孫)たちはそれぞれ実子でない方の相方がいったん自宅へ連れて帰り、遠方からの親族にはホテルに泊まってもらって、そのまま泊まったのは母と妹と母方の叔父と自分の4名となった。部屋の空調の設定がまずかったのか、寝苦しい夜だった。あまりぐっすりとは眠れず、夢も見なかったように思う。

翌日はお葬式。といっても、通夜の時の親族とほとんど顔ぶれに変わりはない。一通り式が進行し、出棺の際には、酒が好きだった父の口にビールを含ませてやった。また、喜多郎の「シルクロード」の曲が好きで、生前にも、もし葬式をやるならその曲で送り出してほしいと母に伝えていたそうなので、手持ちのタブレットにダウンロードして会場の音響機器につなぐことで曲を流した。せめてものはなむけとしてやれることはやったつもりだ。

火葬場は市営葬儀場のすぐ横にある。というか火葬場の隣に市営葬儀場が整備されたので、ここで行った葬式の後は霊柩車も不要でそのまま歩いて向かう。炉に点火するスイッチは、私と長男で一緒に押した。父が荼毘に付されている間、再度式場に戻って親族と会食。それにしても父方の家系は酒に強い人が多い。

しばらくして、また火葬場へ移動してお骨拾い。案内係の人の話では、父の骨はその年齢の割にはかなり丈夫だったらしい。高齢になると、骨がもろくなって、焼け落ちるときの衝撃で粉々になることが多いそうだが、父の骨は多くがその原型をとどめていた。丈夫な骨のDNA、2人の子供と4人の孫が受け継がれている。

お骨を骨壺に納めて、三たび式場に戻り、今度は初七日の法要。お経を上げる際は、経典が配られて、住職だけでなく参列者も一緒に唱和する。漢字がずらっと書かれた横にふりがなが振ってあるのをひたすら詠唱する。最初はチンプンカンプンで読むのに精一杯だったが、通夜、葬式、初七日、そしてその後の法要でも何度が目にするうちに、何となく意味が分かりそうな気がしてきた。特に、頻繁に詠唱する「正信偈(しょうしんげ)」というお経が気になったのでいろいろ調べてみると、専門家から怒られるのを承知で超ざっくりにいうと、親鸞聖人の教えで、生前の行いがどうこうとかに関係なく、人は誰でも阿弥陀如来さまに救われて浄土へ行ける、そうなるためには、そうであると信じること、ただそれだけでいいのだ、という趣旨であると理解した。浄土真宗が広まったのも、こうした分かりやすさ、戒律等の無理強いをしない、先にも述べたがこのような「ゆるい」ところが多く庶民に受け入れられたからなのだろうと思った。

実はこの日、台風が接近しつつあったのだが、一連の葬儀を終えて親戚が帰り着くまでは大丈夫だった。また、自分は父危篤から葬儀まで3日分休暇を取ったが、たまたま重要なイベント等入っておらず仕事への影響も軽微だった。これも、ご縁があった、おかげさま、ということなのだろう。市営葬儀場での葬儀を終えた際、式進行をしてもらった係員の方から、最後に「お疲れの出ませんように」という挨拶を受けた。このような言い回しがあるのだな、とこの歳になって初めて知った。

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平成30年大阪府北部地震(2)

平成30年大阪府北部地震の記事続き。地震当日からだいぶ経ってからの投稿のため、その後の報道等も含めての検証を中心とする。

まず今回の地震の震源について。当初はてっきり有馬・高槻構造線(阪神・淡路大震災を引き起こした活断層の延長線上にある断層帯)が動いたものかと思ったのだが、震源地はそれよりも若干南にずれていた。また、震源地よりも若干離れた茨木市内でも被害が大きかった。

180718_asahi地震から1ヶ月後の7月18日付朝日新聞の記事によると、震源では2つの異なる断層が別方向に動いたとみられるとの解析結果が載っていた。

その記事に載っていた図によると、震源から北寄りに向かって逆断層が、震源から西寄りに向かって横ずれ断層が動いたということである。この、西に向かって走った揺れが、茨木市内での被害につながったのではないかと思われる。

また、地震の翌日、6月19日付の毎日新聞の記事(有料)によると、地盤の軟弱さが揺れを増幅させたのではないかとの解説が述べられていた。以下その記事に載っていた震度分布の図だが、震源から近いところだけでなく、やや離れた場所でも震度6弱とされている地域があることがわかる。
180619_mainichi

地盤について調べていくと、住所ごとに地盤の揺れやすさを示す朝日新聞の記事があることがわかった。これは東日本大震災を受けて作られたページのようだが今でも健在で、住所を入れると丁目レベルの細かい単位で、元々どのような地勢の土地だったのかと揺れやすさの指数を示してくれる。

これによって自分の住んでいる地域を調べてみると、意外にも「砂礫質台地」と表示され、それほど軟弱ではないことが分かった。そういえば自宅を建てる際、地盤のボーリング調査をしたが杭打ちは不要という調査結果だった。一方で、ブロック塀が倒れて女児が亡くなった地点の地盤を調べると、後背湿地で非常に軟弱と表示された。

Old_osakabayこれでふと思い当って、さらに大阪湾(というか大阪の海岸線)の変遷を調べてみると、大阪市住吉区が載せている資料(PDFファイル)の中に左のような図を発見した。これは縄文海進と言われる海水面上昇が起こっていた頃の海岸線(そのうち約5500年前のもの)で、現在の大阪平野は大部分が海の中に没しており、わずかに上町台地のみが半島状に付き出していた。一方で高槻付近を見ると、現在の淀川沿岸一帯はこれも海中あるいは河口のあたりとなっており、ただしそのすぐ北側に「富田台地」と書かれた陸地があった。先の地質を示すサイトで「砂礫質台地」と表示されたのは、たぶんこれだろう。

そういえば、以前に地元自治会の集まりがあった際、年配の方々が雑談しているのを漏れ聞くところでは、地質関係の学者さんが「地震に関してはこの町内は大丈夫だ」と言っていた、ということを思い出した。その意味するところは、たぶんこのことを指していたのではないかと考えられる。

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次に、大阪近辺の古地図(明治時代後半)をたまたま目にする機会があったので、高槻付近を改めて確認すると、まだ高槻市に合併する前の当時の村々が点在しているのだが、その中でもひときわ大きい集落となっている富田村は、先の大阪湾変遷で見た「富田台地」のちょうど南の縁の部分にあたるのだということが分かる。台地の縁は伏流水からの水を得ることが容易であり、だからこそ今でも酒蔵がある。

その一方、富田村から南東方向は、田畑と思われる平地が広がっているが、集落は見当たらない。おそらくは、ひとたび淀川や芥川、如是川が氾濫すれば水浸しになる低湿地だったので、田畑はできても家は建てられなかったのではないかと考えられる。しかし、現在はどこもかしこも住宅街となっている。この辺の話については、自然災害・地域防災対策支援センターというNPO法人のサイトに載っていた「大地震や大雨から守る 安全な地盤」-高槻市域で宅地・住宅に適した地盤の見分け方-という資料(PDFファイル)にも詳しく述べられている。

180620_mainichiところで、地震の2日後、6月20日に掲載された毎日新聞の記事(有料)によれば、今回の地震波は「極短周期」というタイプで、多くの家屋が倒壊した阪神大震災や熊本地震に比べると、家(1・2階建て程度の木造家屋)よりもブロック塀や家具の方が共振しやすい性質を有しているとのことであった。確かに今回震度6弱という強さにもかかわらず家が倒壊したという被害は聞かれなかったが、他方で屋根瓦がやられた家が多かったのはこのことが原因であると思われる。

ということで、いろいろ調べて見ると、今回の地震が震源地間近だったにもかかわらず、我が家では皿一つ割れなかったのは、これらのような背景があることが分かった。そもそも4年前に自宅を建てた際、最重要コンセプトは、来るべき南海トラフ巨大地震に耐えること、無傷は無理にしても、家にいて死ぬことはないこと、が最低条件であった(参考:本ブログ記事「新都造営の経過(その2)」にトラックバック)が、それに向けての格好の抜き打ち検査の機会にはなったといえる。秘策「制震テープ」は十分に機能していたようだ。

逆に言うと、今回の地震ぐらいでやられているようだと、「本番」の際は目も当てられない事態となることだろう。上に示したように、かつて海の底だった軟弱な地盤に、今や何百万人も住んでいるということをよく認識する必要があると思われる。

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平成30年大阪府北部地震(1)

平成30年6月18日午前7時58分、大阪府北部を震源とするM6.1の地震が発生した。
その時は家族全員がまだ家にいて、息子二人はダイニングテーブル脇の椅子に座っており、自分は掃除機をかけているところだった。最初にグラッと来て、普段なら初期微動継続時間を計るのだが、そんな暇もなく瞬時に大きな揺れが襲う。「地震だ、デカい!」と叫ぶと、ダイニングテーブル脇で座っていた次男坊がギャーッと悲鳴を上げたので、相方がそばに飛んで行って抱きあげた。自分は何をしていたのかよく覚えていないが、ようやくブザーが鳴った携帯の緊急地震速報に「遅いっ!」とツッコミつつ、揺れが収まる頃になって食器棚の開放防止ロックをかけていた。ちなみに食器棚は転倒も中の食器の飛び出しもなかった。突っ張り棒をしていたおかげだろう。幸いにして部屋の中で落下物はなく、パントリーのワインボトルが倒れていた(割れていはいない)のと、外の自転車が倒れていた程度。

急いで携帯のワンセグでテレビを見る。余談だが我が家ではちょっと前からテレビを撤去してしまったので、普段はテレビのない生活で、朝にラジオのネット放送を聴いている。報じられている震源地は、大阪府北部…って、直下ではないか。震源地の高槻市やその周辺で震度6弱。でも我が家の近所では、家が倒れたとかはなさそうだ。

180618_1こんな状況ではあるが、とりあえず相方が次男を保育所に預けに行く。預け終わって家に戻った相方が言うには、保育所に行く途中の幾つかの家では瓦が落ちていたり、石灯籠が倒れているところもあったとのこと。

なお、いったんは子供を預かってくれた保育所だったが、結局この日は臨時休所となり、再び子供を引き取ることとなった。親の仕事の都合ですぐには迎えに来られない、長男坊の同クラスの子供もついでに我が家で過ごしてもらうこととなった。

180618_2やがて上空には複数のヘリが飛び交う音が聞こえてきた。それらの空撮映像が臨時モードに切り替わったテレビで生中継されている。地元民がよくわかっていない周囲の光景が、テレビではいち早く報道されており、それを見て状況を知る、という何だか滑稽な状況だ。新幹線が止まっている映像、水道管が破裂して水が吹きあがっている映像などが流れてきた。これは結構ひどい被害になっているのか。そして、小学校のブロック塀が倒れて児童が心肺停止と速報が流れる。ああ、ついに、犠牲者が出てしまった。

鉄道は完全にマヒした。近所の阪急京都線でも、快速急行が途中で止まったままで動かない。踏切をまたいだ状態で停車しているので、通行にも支障が出ている。掲載画像は地震からだいぶ時間が経った後の様子。ドアを開け、乗客が線路に降りはじめている。それでもまだたくさんの乗客が車内に残ったまま。通勤時間帯だったので車内も込み合っており、中には長時間立ちつくして気分が悪くなったのか、線路脇にぐったりと座り込んでいる人もいた。結局この日は深夜になるまで鉄道が動き出すことはなかった。

JR、阪急とも動きそうな気配は微塵もなく、とても通勤できる状況ではなかった。むしろ通勤のために電車に乗っていなかったのは幸運で、たまたまこの日は子供を保育所に送る当番の曜日だったから遅くまで家にいたのであり、そうでなければ地震発生時は既に電車に乗っている時間帯だった。午後になってから、地震当時既に梅田近辺に出勤しており、歩いてこちら方面に向かい帰宅中だった義母を回収すべく、車に乗って出かけたのだが、ごく近所でさえかなり渋滞気味であり、これはとても無理だろうとすぐに引き返した。その後、相方が自転車で迎えに行って、合流後義母に自転車に乗ってもらい、当人は走って一緒に帰るという形で救援した。

なお、地震直後も、我が家のライフラインについては、電気・ガス・水道・ネットとも一切途切れることなく健在なのは強運だった。茨木市内の親戚宅も含むかなりの軒数が数日間ガスが不通だったり、同じ高槻市内のマンションにある実家では給水タンクが損傷を受け数日間断水した。ちなみに地震当日の夕方頃に、高槻市内で広範囲にわたって断水するとの情報が一時流れたのだが、他の自治体からの応援給水を確保して辛くも免れたそうだ。こうした情報が、相方も参加している、保育所のママ友LINEグループで飛び交っていたようだ。

情報関連で言えば、地震直後は当然輻輳するだろうから携帯電話は掛けなかったのだが、実家に安否確認のつもりで送ったキャリアメール(ドコモ)も送信できない状態だった。一方、ネット上のSNSは、Twitter、Facebook、LINEとも問題なく送信・閲覧できるようだった。振り返ってみればLINEグループが安否確認には一番便利だったという状況。昼過ぎになってから、小学校時代の恩師から電話がかかってきた。それまでずっと電話をかけてもつながらない状態だったそうだ。というか、だからこそ輻輳が起きてしまうわけなのだが。

長くなってきたので、一旦ここで切って、今回の地震の検証等は別記事で改めることとする。

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さらばANAカード

180525自分の持っているクレジットカードのうち、メインで使うものは、数年前からJR西日本のJ-WESTカードにSmartICOCAの電子マネーとなっている。その昔は、JCBのANAカード(&電子マネーはEdy)をメインにして、いわゆる「陸(おか)マイラー」として、カードの利用ポイントを貯めてANAマイレージに変換し無料航空券をゲットするという戦略を採ったものだが、航空機に乗る機会が激減し、使われなくなっていた。

そして久しぶりにそのANAカードの利用記録をWEBで調べたところ、引き落としは0円かと思ったら2160円の記録が見つかった。何じゃこりゃ、と思ったら、カードの年会費だった。そう、ANAカードのクレジットカード連携型には、年会費0円というものはないのである。

アホらしい、カード退会や、と思ったが、今後もまれには航空機に乗ることもあるだろうし、わずかだがマイレージ残高もある。そこで調べたところ、クレジット連携なしの、単なるマイレージだけが貯められる、いわば素うどんのようなANAマイレージカードもあり、それは年会費無料ということがわかった。新規でこのカードを使うタイプのマイレージ会員を登録し、従前のカードの会員番号と「マイレージを統合する」という手続きをマイレージの会員サイトで行い、メインのカードをこの新規の方にすれば、従前のクレジットカードは退会してもマイレージは引き継がれる。これで晴れて年会費だけが取られ続けるクレジットカードを退会することができた。カード退会もWEB上で手続き可能だが、退会手続きの入り口がわかりにくいのと、手続きを始めても、「まだ止めないでー、こんなにメリットあるしー」という説明ページを3つぐらい延々見せられて辟易した。そんな引き留め策が私に通用すると思っているのか。

新たな「素うどん」マイレージカードは、まだ手元に届いていないが、Edy機能もない安っぽいプラカードになるそうだ。まあ年会費無料だし、めったに使わないだろうから、そんなもんでいいだろう。それにしても、数年間年会費を無駄に払ったことが悔やまれる。


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ポンポン山&ジャズスト2018

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今年も恒例のポンポン山マラニック&高槻ジャズストリート鑑賞を開催した。昨年に引き続き5月4日にスライドしての日程。そして、これまでの伴走者不足に懲りて広めに呼びかけたところ、何と20名超というかつてない大人数となった。伴走者は十分足りたものの、今度はこれだけの編隊をさばく運用が大変となることが思いやられる。さらに、今回はろうと盲ろうのランナーも初めての参加。

まずは恒例の芥川河川敷、こいのぼりフェスタの会場へ。この日は風が強く、1000匹のこいのぼりも元気に泳いでいた。

180504_2住宅街を抜け、神峯山寺、本山寺と、若干前後の間が開きつつも、全員が頂上アタックのトレイルコースまでたどり着いた。

すると、今まで見覚えのない新しい階段が現れた。どうやら、従前のトレイルコースよりもさらに歩きやすいバイパスルートが新設されたようである。

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だいぶ前後の時間差は開いたが、全員が無事ポンポン山山頂に到着。盲ろうランナーには2人がかりのガイドが付く体制でトレイルも踏破、私が知る限りでは初登頂の快挙。

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山頂周辺はハイカーや我々以外にもトレイルランナーがたくさんいて混雑。心配していた風は、山頂あたりではそれほどでもない。日が照っていると温かいものの、雲で日が陰ると肌寒い。

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復路は、さらに隊列がバラけ、前後が大きく開いた。もはや、最後尾の通過を確認してから全速力で先頭を追っても追い付けない。神峯山寺で一旦集合するつもりだったが、待ち時間が長くなりすぎたので中段のグループは上の口まで進んでバスに乗ってもらうこととなった。一番先頭はその連絡が届くよりも先に出発していたので、そのまま走って高槻駅まで向かっていた。

なおここでコース状況の変化について記録。原立石バス停と神峯山寺の間の一部区間で、車両が通れないようになっていた。神峯山寺に行く新たな自動車用道路が開通したことに伴う措置と思われる。新たな道というのは、以前新名神の建設現場へ工事車両を通すために、従来からの道を横切るようにして作られていた道があったのだが、新名神開通に伴い、その道を一般道として改修し、神峯山寺の第二駐車場付近まで新道でアプローチ出来るようになったものである。以前は車で行くと、神峯山口バス停付近で狭い道や鋭角カーブを通らねばならなかったが、そこを通らなくてすむように改善された。

最後尾グループを先導して、このグループは神峯山口からバスに乗車。上の口からは10分に1本のペースでバスがあるが、このバス停からは1時間に2、3本程度しか走っていないので時刻表の見極めが重要だ。なお、神峯山寺入り口の売店にバス時刻表の案内がある。

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多少の時間差は生じつつも、全員高槻駅まで無事帰還。銭湯で汗を流した後は高槻ジャズストリートの会場へ。多少メンバーの入れ替わりがあるも相変わらず大人数のため、例によって弁当と缶ビールを買い込んで阪急高槻市駅高架下会場のすぐ脇の自転車置き場付近でまず鑑賞。

その次は桃園小学校へ。ここは野外会場の中でも屈指の大箱で、飲食の屋台も出ており、大人数を連れての案内には好都合。テーブルや椅子も設置されているが、当然ながら満席。大きなレジャーシートを持ってくるべきだったと次回以降の反省材料に。

180504_7夜も更けてきて三々五々に同行者が帰り始める。最後まで残った3人で、高槻現代劇場の地下ホールへ。プロのサックス奏者に、ピアノ、バス、ドラムが加わったカルテット。同会場でのその日最後の講演で、21時の終了時間となったため、「会場の都合によりアンコールはありません」とのアナウンス。観客が皆ちょっとガッカリしつつ帰ろうとした矢先、「お前らジャズ聴きたいやろ」とのかけ声とともに、おそらくはシナリオ想定外の「A列車で行こう」おまけ演奏で、会場は最高の盛り上がりを見せた。やっぱりジャズはこうでなくちゃ。

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伏見名水マラニック2018

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今年も恒例の伏見名水マラニックに参加した。今回は人数3人のこじんまりとしたパーティー。伏見稲荷大社お旅所から疏水沿いに藤森神社へ。昨年は一部工事中だった道も整備が終わり、走りやすくなっている。

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続いて清和荘・清和の井へ。

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3ヶ所目の城南宮へ。奥の本殿は改修工事中。いつもこの頃ツツジが満開なのだが、今年は既に盛りを過ぎていた。

180430_04ここで、スタンプとは関係ないがここ数年コースに加えられている、鳥羽水環境保全センターへ向かう。城南宮の北側にあるコンビニで昼食用のおにぎりも買い込んだ。昨年の経験を生かし、「城南宮北側の道をそのまま西進して鴨川を渡り、渡り終わったら千本通り沿いに北上、左側にある一方通行の細い道を西進して公園の南縁を通り、堤防に当たったら階段を上って歩行者専用の細い橋で西高瀬川を渡り、渡った先の下水処理場の歩行者用入り口」を目指したが、千本通りを左折すべき場所を少し間違えた。正解はこの画像の箇所。あまりにも狭そうなのでこれではないと思って一つ先まで行ってしまったが、この狭いところで合っていた。

なお、後で地図を精査すると、千本通りを北上し名神をくぐった後、左斜め下に下って行く道があるのでそこを降りてすぐ左折、川にぶつかるまで西進してぶつかったら右折・北上、というルートの方が分かりやすいかもしれないので、今後の参考として記録しておく。(2年前の記事も参照)

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鳥羽水環境保全センターに着いてみると、残念なことに藤の花はとっくに盛りを過ぎていた。今年は桜から始まって全ての花の盛りが例年より早いようだ。

180430_06というわけで、藤のの花に代わって、会場に居られた華、京都・ミスきもののお姉さんと共に記念撮影。

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藤色が大部分の藤棚の中に、一郭だけある、白い藤の花はかろうじて見頃だった。

180430_08スタンプラリーを再開して、4ヶ所目のキンシ正宗。ここも中に入れない・お水が飲めない状態となって久しい。

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5ヶ所目、大黒寺。画像には映っていないが、車で入る方の入り口で大きく穴ぼこを掘る工事中だった。

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伏見の酒蔵エリアに入って6ヶ所目のキザクラカッパカントリー。

180430_11ここでお約束の地ビールをいただく。「ケルシュ」を注文したら、少し1杯に足りないくらいでビールが切れてしまったので、次にタンクを入れ替えた「アルト」を1杯サービスしてくれたので、ラッキーにも1杯分の値段で飲み比べができた。

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7ヶ所目、鳥せい本店。

180430_138ヶ所目、月桂冠大倉記念館。ここで主催者H氏から提案、有料だということで今まで一度も中に入ったことがなかったが、料金を払って入ってみよう、ということに。300円を払って中に入り、初めてここの名水をいただいた。

180430_14記念館では、酒造りの工程が見学できるようになっている。さらには、お酒の試飲もでき、お土産に日本酒1合のミニボトルももらえるので、300円払って入る価値は十分あると感じた。…と思って同館のサイトを見たら、何と2018年7月から入館料が400円に値上げになるとのこと。

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9ヶ所目の長建寺。ここは文化財特別公開を実施中で、要は中に入るには拝観料が必要だったので、外から眺めるだけ。

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そして最後の10ヶ所目、御香宮神社に到着。

180430_17今年も無事にお猪口をいただけた。今回は菊水若水のデザイン。

180430_18今回は久しぶりにスタンプラリー箇所も含め丹念に写真を撮った。というのも、タブレットでランニングアプリを起動させつつ、そのアプリで写真を撮れば、あとでそれらの写真が撮影場所にプロットされた形で地図上に表示されるからである。ただしログインしないと地図が表示されないようなので、その様子をキャプチャした画像を貼っておく。

ちなみに、走った跡を見ると、ちょっと道を間違えたところまで再現されている。便利な世の中になったものだ。

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10数年ぶりのUSJ

180408_14月上旬、10数年振りぐらいで、大阪のUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)を訪れた。その昔であれば、友達と行く、デートで行くというような場所であったのだろうが、一気に間が開き過ぎて、今や自分にとっては家族連れで行く、という場所になっていた。そして長らくご無沙汰している間に、すっかり繁盛しているようで、大変強気の入場料を取られる状況になっていた。

180408_2子供らに楽しませることメインなので、「ミニオンズ」のライブステージを鑑賞。次男坊はベビーカーに乗せて連れていたのだが、そういう客用にベビーカーでの観覧スペースというのが設けられていた。

ライブのごく一部を動画でも紹介。後で分かったことだが、人間の姿をした鼻の長いオッサン(グルーという怪盗だそうだ)が、なぜかコテコテの大阪弁でしゃべっていて、どっかで聞いた覚えがあるなと思ったら、笑福亭鶴瓶師匠が声を当てているのであった。

180408_3場内の所々にキャラクターの着ぐるみがいて愛想を振りまいている。チャーリーブラウンが近寄ってきて、身振りで、子供と一緒の写真を撮ったらどうだ、という提案をしてきたので、パチリ。次男は、ぬいぐるみや生身の人間相手でも、指で鼻をツンツンするのがマイブームのようで、この時もツン。それを見ていた他の女性客が「かわいい!」と歓声。

4歳の長男、1歳の次男で回れるアトラクションは結構限られていて、そうした家族連れ向きにしつらえられたスヌーピーのエリアに集中して滞在することとなる。この日は日曜日で人出も多く、ジェットコースター1つ乗るのにも1時間弱待たされた。子供向けマイルド設定なので、乗車時間はわずか30秒程でおしまい。

この他、並んで何かに乗るという以外にも、ボールプールやジャングルジムみたいな遊具で遊ばせるコーナーもあった。困ったことに、長男は自分の思うがままにあちこちすぐに移動してしまうので、ちょっとでも油断すると行方不明になってしまった。本人には自分が迷子になっているという感覚は皆無のようだ。

180409_1そして、実は日帰りではなく、近くのホテルに一泊し、二日目もUSJ。月曜日なので有給休暇を取っている。朝、ホテルからUSJに向かう際、ルート取りの関係で、一般客が通る駅からのメインストリートより一段低い道路からアプローチしたところ、ひっそりとした従業員用出入り口を発見した。そりゃあたくさんのスタッフが働いており、それら従業員も大半がJRに乗って通勤してくるわけだから、そういう入り口が要る訳だ。

平日となるので、さすがに日曜日ほどの大混雑ではないが、それでも閑散ということはなく賑わっている。やはりインバウンドの需要があるということだろうか。外国人観光客の比率が上がった感があった。

180409_2前日の日曜日は3時間待ちとの表示が出ていたのであきらめたミニオンズのアトラクションに、この日は並んだ。しかし、1歳の次男は身長制限に掛かって乗れない。こういう場合のために、「チャイルドスイッチカード」なるものが配布されていた。これは、アトラクションに乗れない子供の面倒を見る方の保護者が、乗った側の保護者と交代するときに、最初からの並び直しではなく、優先して乗車できるという制度だそうで、要するに、1家族1回分の待ち時間で2回乗れるということである。なお、長男はこれに乗れるので、まずは父ちゃんと一緒に、ついで母ちゃんと一緒に、と2回続けて乗れるという役得があった。

180409_3それで、二日目とはいえ小さい子連れでは回れるエリアも限られており、結局前日同様スヌーピーのエリアにほぼ入り浸りという状態だった。個々のアトラクションにどんなのがあって、とか、効率的な回り方がどう、とかは他のサイトで山ほど紹介されているだろうからこの記事では割愛。代わりに思ったこと二点を述べる。

一つは、あらゆるモノ・サービスの値段が観光地仕様、強気だなと感じたこと。よくお祭りの屋台で出ている飲食物が、普段からすれば高いよな、と思うのだが、それよりも更に上を行く値段設定で、ちょっとした団子やスナックを購入する程度でも、普段なら昼食が賄える金額が吹っ飛ぶのである。まあ、世界最高峰のテキ屋と思えばよいのだろうか。更には、ご祝儀感覚で、あるいは入れ込んでいるキャラクターのために、このような大枚をはたける人が増えるようになれば、本当に景気が良くなったと言えるのだろうなとも思った。

もう一点、それまで「ミニオンズ」なるキャラクターが居ることは承知していたが詳しくは知らなかったので、今回を機によく調べてみたところ、知れば知るほど、これってウチの次男坊そのままやん、ということが分かってきた。すなわち、人間の言葉に若干似てはいるが彼らなりの独自の言語を話すこと、バナナが大好物であること、この世で最も強いものを主(あるじ)と慕って付いてくるのだが、その主のためによかれと思いながらも、実は主に対して致命的なダメージを与えるようなことを平気でやらかす、でも愛らしくかわいらしいといったところである。むしろ、このキャラクター設定を考える際に、これぐらいの幼児をモチーフにしたのではないかと思えるほどである。

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祝・JR総持寺駅開業

180317_1この日のダイヤ改正で、JR京都線の茨木-摂津富田間に新駅「JR総持寺」駅が開業。早起きできず、一番列車で見に行くことには失敗したものの、夕方になって相方から、走って極楽湯茨木店まで走って風呂に入ってビール飲んでJR総持寺駅から電車に乗って帰るのはどうかという素晴らしい提案があったので乗ることにした。子供たち2人はベビージョガーに乗せて出発。途中買い物もしながらで極楽湯到着。休日料金800円だがwebのクーポンで550円にて入浴。子供はいずれも6歳未満なので無料で済むようだ。

極楽湯茨木店は近すぎる故か意外にもこのブログではリポート記事がなかったのでここで改めて紹介。内湯はジェットバスや水風呂などいくつかあり、サウナも付いている。カラン・シャワーはきちんと整備されており、シャンプー・ボディーソープも備え付けあり。温泉浴槽はドアを開けて露天部分に2ヶ所ある。泉質はナトリウム・カルシウム・塩化物泉。かすかな濁り、結構強い塩味、匂いは残念ながら消毒の塩素臭がする。

総合評価としては ★★★☆☆ ぐらいか。

180317_2自分と長男は先に上がって、併設の食事処で生ビールをいただく。しばらくして相方と次男も上がってきて家族4人で食事へ。しかしまあ小さい子がいると落ち着いて食べられたものじゃない。他にも子連れ家族で食事という客も複数いて、風呂と食事がいっぺんに済ませられるというところは、ニーズによく合致している。出される食事のおいしさは及第点だが、注文から提供までだいぶ時間がかかることと、値段がやや高めなのがネック。

180317_3さて食事を終えていよいよメインの新駅・JR総持寺駅へ。徒歩6分ほど、安威川を橋で渡った先にある。

180317_4入り口にたどり着く。

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改札口。ホーム下に1箇所ある。

180317_6ホームに上がる。ベビージョガーでもエレベーター(通り抜け式)が付いているので楽々だ。1面2線の島型ホームで、内側線上り下りの間にある。外側線はホームに接していない。JR京都線・神戸線に新設される駅はこのパターンばかりだ。

ホームドアが最初から設置されている。電車到着時の動画も掲載

180317_7摂津富田駅の看板も、当然のことながら隣駅表示が茨木からJR総持寺に変わっていた。

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